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第21話 暗い場所で

まず初めに感じたのは、全身に広がる鈍痛。

不愉快な手触りに手をついて体を起こす。

目を覚ましたはずなのに何も見えない。辺りに広がるのは暗く冷たい暗闇だけ。

湿って張り付く何かを掃おうと手を叩くも、不快感は消えない。

見えないなりに想像を働かせれば、それが土だとすぐに分かった。



「ここは……?」



聖女の声は微かに反響し、今いる場所の狭さを語る。

水気の多い土のにおい、背中に感じる固い壁は彼女の柔らかい肌に食い込む。

狭く暗い場所に閉じ込められたという事実が、じわじわと無垢な心に染みを落としていく。



「だ、だっ……」



誰かいませんか。

そんな簡単な言葉すら、恐怖で縺れた舌では上手く紡げない。

魔物が突然出てくるかもしれない。

あるいは救いも何も出てこないかもしれない。

あらゆる想像が悪い方向へ傾いて、下がった気温よりも早く足を凍てつかせる。

涙すら出てこない絶望の中に、彼女はいた。



「ごほっ……」

「ひっ……───ぃっ、う……」



何もない所から、突然音がした。

驚いて飛びのいた聖女は強かに尻を打ち付けた痛みに悶える。

だが、そのおかげで少し恐怖心が薄れたらしい。

両手をついて、暗中を探りながら、少しずつ前へ進む。

永遠にも思える短い時間を這いつくばり、やがてその手に何かが触れた。

ぞっとするほど冷たい、人の体に。



「……せいじょ、ちゃん……?」

「───っ、ぁ、あ」



日中の快活さの面影の無い、弱弱しくか細い声。

何も見えないはずの暗い視界の中に赤い髪の色を垣間見る。

脳裏に映し出すのは、頼りになる友人の最悪の姿。



「ああっ……あああああっ……!!」



聖女の心の堰が切れた。

ぼろぼろと熱い涙がこぼれ落ち、冷たい肌を濡らしていく。

ここに連れてこられる直前の出来事。

混乱する自分を連れて必死に逃げてくれた騎士が、無残な姿にされてしまったこと。



「ケイシアさん……っ!ケイシアさん!!」

「ご、めん。ちょい、みすっ、た……」



ケイシアは死んでいるわけではない。

しかし負った傷が治ったわけでも、失われた体力が戻ったわけでもなかった。

聖女には暗くて見えないが、おなざりに腹部の傷には布が当てられている。

そのおかげか血は止まっていたが、この劣悪な環境では回復の見込みはない。



「声を出さないで……!きっとすぐに、助けが来ますから……!」



急いで探りあてた手を握りながら、聖女は叫ぶ。

握り返す力はほとんどない。血の脈動どころか、体温もほんの僅か。

いつ死んでもおかしくないほど状態が悪いのに、何もすることができない。



「どうしよう……どうしたら……」



傷の手当には道具が足りない。

体を温めようにも、かけてあげられるような服を着ていない。



「きょうしゅ、さま……」



自分には、何もできない。

何が聖女だ。

何が救いだ。

目の前の友達も救えないのに。



「───騒がしいな。あぁ?」



背筋に鋭いナイフが突き立てられたような錯覚。

それを引き起こしたのは、しゃがれて低く荒々しい声だった。


聖女は顔を上げ、目に飛び込んできた光に目を眩ませる。

それほど強いものではなく、すぐに目は慣れるが、それもいいことばかりではない。


歩いてくる姿がよく見える。聖女は思わず後ずさる。

隆々とした体格。漂う血の匂い。

眼光は薄暗い中でもよく目立ち、それは射貫くように聖女に向けられていた。


───逃げなきゃ。

命の危機と使命感がせめぎ合う。

今、ケイシアを見捨てては逃げられないと。



「……マジでしぶといな。ただのガキならとっくに死んでるだろうが、なぁ」



気だるそうになその男は、蹲る二人の少女の前で立ち止まる。

近づいた分濃くなった匂いが鼻の奥を突き刺し、不快感に涙がにじむ。



「なにが……」

「───あぁ?」

「何が、目的なんですか」

「目的、だぁ?」

「どうして、私を狙うのですか!ケイシアさんにこんな酷いことをしてまで、どうして!」



あまりにも何でもなかった。

この男にとっては命など何の価値も無いように感じられた。

人を傷つけているのに、それを罪など夢にも思わない。

理解を超えた邪悪に、聖女は吠える。



「獣人は山脈の向こうに住んでいると教主様はおっしゃられました!それがどうして───」

「うるせぇ」



聖女の頬を鋭いものが撫でた。

それは刃でなく、武器ですらない、ただ血と油で固まった彼の体毛。

脅しで壁に突き立てた脚から伸びるただの毛が、彼女の頬に赤く痕を残す。

発狂的な威勢は、それであっさりと剥がされてしまう。



「必要なのはお前の身柄だけだ。そこの無駄に強いガキはどうでもいい」

「っ……」

「それでも守りたいなら、大人しくしてろ。なぁ」



彼はくるりと背中を向ける。

そうして来た時と同じように、気だるそうに二人を後にする。

ようやく息苦しい時間が終わりが感じられ、聖女は無意識に止めていた呼吸を思い出し、大きく息をついた。



「……あぁ、でも、よぉ」



苛立ちの声に、聖女の息が凍り付く。

顔を上げるとそこには立ち去ろうとしていた獣が、再び二人の少女を高くから見下ろしている。

先ほどとは違い、目の奥で憎悪を沸かせながら。



「そいつには、散々、手を焼かされた───なぁっ!?」」

「やめっ……」



とっさに庇い立つ聖女の体を蹴り飛ばし、そのまま蹲るケイシアの背中へ体重を叩きつける。

そのまま踏みにじり、蹴りつけ、それを皮切りにだんだんと彼の中で抑えきれないものが膨れ上がる。

明らかに手加減が見えるのは最後の理性か、それでも今の半死半生の少女には致命的だ。



「ぐぅ、ぁ……っ……」

「やめて……やめてくださいっ……!」



動けないなりに背中を丸めていることすら気に喰わないのか、彼のつま先が庇いきれない脇腹へ突き刺さった。

呻き声と共に背中を壁に打ち付けたまま動かなくなった少女に、容赦のない追い打ちが入る。



「ライカは、なぁっ、服を、縫うのが、好き、だったぁ!弟のっ、ためにぃ!」

「やめてくださいっ……!!これ以上は本当に……!!」

「てめえにっ、腕を、切られなきゃぁ!もっと!なぁ!!」

「っぅ…………!」



彼の毛むくの脚に聖女は必死に縋りついた。

それでも構わず振り払い、振り下ろし、また振り払い、振り下ろす。


「スペオトも!キュオも!さっき死んだカルドも!こんな、こんな、ガキにぃっ……」

「リーダー!!何やってんだ!」



様子を見にやって来たのだろう、もう一人獣人が暗いこの現場に慌てて走り寄る。

リーダーと呼ばれた彼はその脚を止め、舌打ちをしながら足早に出口へ向かう。



「無駄に殺すなって言われただろ!オレが来なかったらマジでヤバかったんじゃないか!?」

「……るっせえ。殺してねえよ。なぁ?」

「うっ……ぅ……」



必死に制止を試みた聖女が、ボロボロになった体を引きずってケイシアの下へと這っていく。

もはやピクリとも動かない彼女に縋りつき、必死にその体を揺すっていた。



「エサの方までボロボロにして……。まぁ、気持ちは、分かるけど……」

「さっさと行くぞ」



嵐のように何もかも崩して、それすら嘘だったかのように全てが去った。

音も、光も、希望すら。

聖女は、動かなくなったケイシアに寄り添うことしかできなかった。

今にも途切れそうな息が一秒でも長く続くようにと祈りながら。



「うっ、ううっ……うぁぁ……」



泣いて泣いてがらがらの声を上げ、土と涙でどろどろの手で縋りつく。

赤く腫れた瞼には何も映らず、皮膚には鼓動を感じられない。

ただ悲しくて、ただ辛くて、ただ苦しくて、ただ虚しい。

もはや彼女は虚空に助けを乞うことすらままならなかった。


暗闇の中、指先が凍りついていく。

歯はがちがちと鳴り、暑くも無いのに汗が止まらない。

日の光の届かぬというだけで、人の体温というのはこうも容易く無くなっていく。

知識が無い。力が無い。勇気が無い。冷静さが無い。

友達を救うために必要な何もかもがここにはない。


聖女の瞼が降りていく。

命の舞台に幕を引くように。

全身を包む絶望から逃れるために。



「……ぁ」



そっと、その頬に何かが触れていた。

泥まみれの頬に跡を残して落ちていくそれを、聖女はとっさに受け止めた。

冷たく、固く、それでも涙を拭おうとした少女の指を。



「……だい、じょ、ぅ、……」

「ぁ、あぁっ……」



こんな時にまで、自分は慰められる側だった。

死に体の彼女に余計に負担をかけている。



「ごめんなさい……ごめんなさい……」



無知で、無力で、無能で、無価値で、ごめんなさい。

守られるばかりでごめんなさい。

足手纏いでごめんなさい。

何もかもだめでごめんなさい。

こんな、生まれてきて───



『きっと、来てくれるよ』

「…………ぐすっ」



微かに聞こえた慰めの声。

それがちゃんと発されたものだったのか、それとも掠れた呼吸の錯覚かは分からない。

どうしてこの状況で、まだそんな言葉を言えるのかも分からない。

分からないことだらけでも、一つだけ聖女には理解できた。

聖女の涙は、心を覆う絶望の闇は、少しだけ拭えたのだ。



「……きっと、来てくれますよね」



聖女は自身の温もりを分けるため、ケイシアに静かに寄り添う。

少しでも命を繋ぐため。再び光が差すときまで。



「教主様……」


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