第18話 中央教会襲撃
「───月が綺麗だな」
「なんだよ急に気持ち悪い」
「いや……暇だから」
「教主様直々の命令だぞ。気を抜くなよ」
シデロリオの中央教会。
いつもより明るく夜間運営を続けるその門戸を二人の騎士が固めていた。
門の内側にも騎士が配置され、定期的に人が入れ替わる様子が見える。
日中なら騒ぎになりかねない厳戒態勢。それに疑問を抱くのは当人である騎士団も同様だ。
「そんなこと言ってもさ、いくらなんでもこんなに動員する必要あるか?」
「敵は姿を隠すことができるらしい。一瞬の隙が命取りだ」
夜は静かだ。
耳を済ませれば二軒先の家の様子だって聞こえてきそうなほど。
道を照らす街灯も明るさを弱め、歩くのに最低限の明かりのみを確保する。
眠れない人々はこっそり外に出ては、星空を眺めながら明日に思いを馳せるだろう。
最も、今日はそういった人も近くには見られないが。
「魔物が出るわけでもないし、よりによって都市のな、か」
隣の騎士の声が鈍った。
疑問に思う間も無く、首をそちらへ向ける。
「……、ぇ……?」
そのまま彼の視界は90°回転し、力の入らなくなった体が崩れ落ちる。
ぼやけていくその中央には、壁を背にして同僚の脚が揺れている。
見えていないが、恐らく頭のあたりを固定されているのだろうな、と彼は死の間際に思った。
「のぁ……ぃ……」
色を失う。
光を失う。
やがて、音も失われた。
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「敵襲っ!!!」
ケイシアの良く通る声が響き渡るのとガラスが割れる音がするのはほぼ同時だった。
驚いた聖女が布団から立ち上がろうとした所をすかさず乱暴にケイシアが押さえつける。
金属音が数度弾け、そして呻き声を二つ上がるまで、刹那の争乱は続く。
怒号、剣戟、それすら遠く感じるほど耳の裏で直接脈打つ心臓の音が、聖女の体を頑として動かさなかった。
やがて、そっとその頭に優しく触れるものがあった。
「聖女様、怪我はない?」
「……はっ、ひ」
声が上手く出なかった。
まだ脈は速く、燃えそうなほど体が熱いのに、全く思うように動かない。
ケイシアが深呼吸を促し、窓から入り込んだ夜をゆっくり吸い込んで、ようやく彼女の平静が僅かに戻った。
「あ、あのっ、何が……」
「教主様が言ってた奴らが来たみたい。大丈夫、あたしに任せて」
「い、いえ、そうではなく、何を……」
聖女が困惑しているのはもっと目の前のこと。
短い話の最中に、ケイシアの手は聖女の体をひっくり返していた。
首に手を回し、体を伸ばさせて、細い膝の下に反対の手を回す。
「あ、靴が必要か」
「え?あ、はい……」
聖女が外出用の靴に履き替える間、ケイシアは絶えず窓の外に視線を遣っていた。
準備が終わるや否や、またも少女騎士は同じように聖女へ手を回す。
その姿勢そのものには覚えがある。
それは、教主が眠たくなった彼女を運ぶときの抱き方だった。
大きな腕に体重を預け、穏やかに歩く時の振動はさながら揺り篭、彼女にとっては安心の象徴だった。
だが今、聖女に回される手は、それと比べるべくもなく細く頼りなく見えた。
「わっ……」
「口閉じて!慣れてないと舌噛むから!」
頼りないのは見た目だけだと、聖女はすぐに思い知る。
力むことすらなく彼女は聖女を軽々と持ち上げ、扉を蹴破ると素早く周囲の安全を確認する。
廊下の端に敵影を見かけたのだろう。彼女の体は、加速する。
「─────────!!!!」
声なき悲鳴が置き去りにされる。
景色は長く尾を引いて、気を強く持たないと首ごと持っていかれそうになる。
感じる重力は横殴りに心臓を押さえつけ、しかしそれを受け止める華奢な腕は驚くほど安定していた。
少女二人が教会の廊下を疾駆する。
目まぐるしく変わる景色の合間には、時折黒い影が縫って入る。
しかし、そのたびにケイシアの体は上下に大きく跳ねる。躱す。
自分とほとんど変わらない少女を抱えているとは思えないほど、軽やかに。
右へ、左へ、上から、下から、もはや聖女には色も方向も判別が全くつかない。
「あーもう!!なんで両手塞がる体制にしちゃったかなあたしのバカー!」
「ケイシアちゃん。こっちだ!」
仲間の騎士がケイシアを誘導する。
その周辺では、同じく騎士たちが戦闘態勢を取っていた。
……虚空に向かって。
「くそっ!!こいつらなんで姿が見えないんだ!!」
「ごめん!ちょっと時間稼いで!」
「ついでに槍も持っていけ!中央教会は多分無理だ、南部の教会が一番近い!」
「おっけー!」
心神喪失状態の聖女を肩担ぎに変え、開いた手に用意してあった鉄槍を握りしめる。
柄まで鋼鉄で鋳造されたそれは少女の華奢な体躯を補う破壊力を持つ。
だが、当然その重量も木製の柄の槍とは比較にならない。
現に彼女を援護する騎士が使うのも木の柄に鋼の穂先を据え付けた取り回しに優れるものである。
騎士の発言を真に受けるなら、彼はケイシアに聖女を担いだまま、何㎞も先にある遠方の教会に避難しろということになる。
見えざる襲撃をかわしながら。大人の男ですら扱いたがらないピーキーな得物を扱って。
そんな無茶ぶりを自分の娘と同じ年頃の少女に吹っ掛けている。
「情けないが、頼む。こいつら、本当に得体が知れない……!」
「何言ってんの!!教主様が来れば全部終わるんだから!だから……」
少女の目に曇りは無い。
額に汗も、手に震えも、無い。
「先輩こそ、死んじゃダメだよ!」
あるのは勝利、そこに至るまでの道のりのみ。
「行くぞ!」
「「応!!」」
聖女らへの暗殺を食い止めていた騎士らが、にわかに息を合わせた。
彼らの剣、槍、その切っ先が光り輝く。
敵も何かを悟ったのか、彼らの無防備になった背中目掛けて凶刃を向ける。
だが、騎士の方が一呼吸早かった。
「「「『神誓顕現-剣光一滴』!!!」」」
教会の壁が、束ねられた輝きによって吹き飛ばされる。
瓦礫が幾つも芝の上を転がり、あたりには粉塵による煙幕が立ち込める。
それが鎮まるより前に、飛び出すのは一陣の赤い影。
「死ぬなって言った直後に捨て身で活路を開くなバカっ!!!」
無防備になった仲間をカバーし、返す刀で一目散に逃走するケイシア。
担いでいる聖女は相変わらずうわごとを呟き続け、その体は塵で僅かに汚れていた。
彼女が向かう方向は教会を囲む外壁。
足掛かりらしいものはなく、高さも少女の身の丈の二倍ほど、飛び越えるには高すぎるのは明白だ。
それでも彼女は脚を止めない。むしろその脚を早めていく。
(誰だか何だか知らないけど、聖女さまに……、ううん)
目前を二つの黒い影が塞ぐ。
建物の陰影ではない。襲撃者の、辛うじて判る歪んだ輪郭だ。
息の合った挟撃で少女の命を狙う。かわす隙間は、無い。
少女は、加速した。
「あたしの友達に傷一つ付けさせるわけないでしょ!!」
鋳鉄の槍が鋏の片刃を叩き潰す。
しかし、当然の帰結ながら少女の体重ではその重心変化に耐えきれない。
大きく態勢が崩れたところを残った片刃が正確に狙い裂く。
だが、それは少女の意に介すことではなかった。
振れる重心は良質な運動エネルギー。勢いは削ぐものではなく盛り立てるもの。
ケイシアの戦い方はシンプルだ。
嵐のように何もかもを振り回し、最後に一人、勝者足るのだ。
もう片刃を吹き飛ばした勢いのまま今度は槍を縦にぶん回す。
切っ先は正確に花壇の石を突き、弾みでその滑らかな表層が欠けて飛ぶ。
剛体が跳ね返したエネルギーは鋳鉄の柄を伝ってケイシアにほとんど跳ね返される。
それが、彼女の翼となった。
「──────ッにぃ!!!!」
棒高跳びの要領で、聖女を抱えたまま、壁を乗り越えたケイシアは彼女に負荷がかからないよう受け身を取る。
その勢いのまま駆け出していく姿へ、追いすがる影がまだ複数あった。




