第17話 邂逅
「……?」
しばらくの間、彼は何が起こったか理解できなかった。
聖女と思わしき叫びだけが空響きし、実を伴うものは何もない。
一瞬にして消えた少年もそう。あの状態で、しかも一切の発光を伴わず高速移動ができるとは思えない。
理解を超えた現象の発生は、この世全てを既知だと思い込む彼にとってはとりわけよく効いた。
次の行動が始まるまでの数秒間、彼を全く動かせなかったのだから。
「あっははははッ!!こんなところに愛しの聖女サマがいるわけないじゃないデスかぁ!」
教主はゆっくりと、生意気に響く甲高い声の方を向いた。
月を背負うように宙に浮き、先ほどの少年を宙吊りに侍らせる一人の少女。
ベレー帽に、ありったけのフリルを盛り込んだミニスカート、異質なファッションもさることながら、逆光の中でも黄金に輝く目が彼女の不気味さを引き立てる。
よく見ると腰のあたりから、小さな、いかにも悪魔の羽といった形の何かが、あらゆる者をあざ笑うようにぱたぱたと揺れていた。
「てゆーか、勇者クンさぁ。あんだけ意気揚々と出ていってコノザマぁ?」
「う、ぐぅ……」
「ま、相手が相手だしぃ?付け焼刃もいいとこって考えたら、善戦したほうかなぁ?あははッ」
「……いや、いやッ、まだおれは戦え───」
「あ、剣振りたいなら前に振ってくださいねぇ」
「───え、うわぁっ!?」
元気を取り戻した少年の体が見えない何かに振り回される。
握りしめていた剣が綺麗な軌道を描くと、鋭い音が鳴り、何かを弾いたような衝撃が少年の手に伝わった。
「何叩いたかも分かんないきったない鞭、こっちに向けないでくださいますぅ?」
「なっ、2本目……?」
「アレがアレ使う時って躾の時らしいですよぉ。逆に良かったんじゃないですかぁ?」
地上から上を見上げる教主は、どこからか取り出した2本目の鞭で優雅に浮かぶ二人を叩き落そうとしていた。
しかし見えない手に首根っこを掴まれた少年が再びそれを冷静に迎撃すると、諦めたように口を開いた。
「何者だ。少女よ」
「来易く呼ぶな。この悪魔が」
「心外だが、生憎君との面識は無いと記憶している。目的と動機を聞かせて貰おう」
「それで正直に話すとでも思ってるんですかぁ?バぁっカですねぇ」
まるで取り付く島もない返答。
少年に対する嘲笑的な態度とは打って変わり、彼女が教主に向ける視線は心の底からの憎悪がこもっていた。
可能なら言葉の一つも交わしたくない、そんな侮蔑と嫌悪に一匙の哀れみを混ぜたような。
「だいたいぃ?そんなに聞きたいならいつもみたいに捕まえてみればいいじゃないデスかぁ。ほ~ら、ワタシはここデスよぉ♪」
ひらひらとスカートをはためかせる挑発を受けても、教主は動かない。
彼の関心は既に目の前の少女そのものから、これから起こりうることへと移行していた。
彼女はこの瞬間まで、その姿を現さなかった。
その理由は自らの正体を隠すため、表舞台に痕跡を残さないためだと推測できる。
───ならば、なぜこのタイミングで姿を現したか。
勇者の回収は一理ある。彼にはまだ利用価値があるということなのだろう。
だがそれなら、どうして早々に撤収しないのか。
今の今まで神の視線を欺き続けた彼女が、補足されるリスクを負ってまで姿を晒し続ける理由は何か。
「……あーあ。心ここにあらずって感じぃ?別に注目されるのは虫唾が走るんですけど、だからってほっとかれるのも気分悪」
「なあ、そろそろ降ろすか逃げるか決めてくれないか?」
「……もうちょっと。アイツら時間食いすぎ……」
時間稼ぎ。
黒幕という最高の餌をちらつかせることによって、現在存在する最高戦力の足を止めること。
ならば彼女らの本命は自ずと見えてくる。
教主の最大の関心対象にして絶対防衛対象、彼を都市から遠く離すことで初めて達成できる目標。
「ちぃッ─────────」
彼は大きく体を縮める。
その直後、空気は爆発する。
「「はっ───」」
少女はとっさに取り出した傘で飛び散る土片の飛来を防ぐ。
見えない力に捕まれたままの少年は、特になすすべなく降りかかるそれに甘んじて体を打たれていた。
上空約5m、大地を抉り吹き飛ばす一発の余波は、その高さまで届いていた。
「───やぁ……」
「ううっ、ぺっ、ぺっ……。こっちも庇えよ……」
「やーですよぉ。……ちなみにアレまだ本気じゃなかったっぽいデスけど、次、イケそうですぅ?」
「…………」
「ですよねぇ」
もはやとっくに姿の見えなくなった彼の進路を見ながら、少女はため息混じりに呟く。
彼女らにとっては打倒すべき仇敵、その底知れなさを見せつけられてやや気勢が削がれたようだ。
四肢を投げ出し、実質的な敗北に打ちのめされていた少年だが、しばらくするとその手に力が戻る。
剣を握り直し、顔を上げ、悔しさと憎しみを込めた目で、都市の方を睨みつける。
見据えるは勝利、固めるはより早く動く己が姿、願うは……。
「……この程度で、終われない」
「負けてもいいですよぉ?別にキミだけじゃないデスしぃ」
「……お前ってさ、味方なの、敵なの」
「味方の定義によりますねぇ~。ま、願ってることは一緒デスよぉ」
少女は月下に微笑む。
滾る憎悪、溢れる侮蔑をその可憐な眼に湛えて。
「あの、クソジジイに、一片の救いも無い死を与えること、でしょ♪」
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「ハドリアル……ダメか、交戦中か」
気づけば都市からかなり遠い所まで来ていた。
いや、目的を考えれば来させられた|、というのが正しいだろう。
彼は激走しながら虚空に向かって語り掛ける。
伝声の奇跡。都市を見守る守護天使を通して人物に声を届けることができるものだが、相手に応答の意思が無ければ意味が無い。
騎士団長は几帳面な男である。連絡をされた場合、よっぽどの有事の最中でもなければ声に応えるだろう。
即ちこの沈黙は、そのよっぽどの有事に対する無言のSOSでもあった。
「どれだけ多く見積もっても10人前後だと思っていたが……甘かったか……!?」
昨日、恐れ知らずにも教会の敷地内に潜伏していた3人の獣人を思い出す。
内1人は捕獲した途端に仲間に殺されたため、戦力は減衰しているはずだった。
神の目を欺く方法がどのようなものかは未だに検討が付いていないが、人の目もある以上あまり大規模に潜入はできないはず。
それを見越して十分な戦力を付けた、はずだった。
勇者の力、そして潜伏する無数の獣人、いずれも彼の想像を超えた。
教主の背にかつてない危機感が走る。彼の俊足より速く。
外壁を一息で飛び越え、そのまま屋根を伝って最短距離で中央教会へ。
着地音で寝ている住民を起こしてしまったかもしれない。それを気遣う余裕は今は無い。
教会の灯りが見える。普段より明るく灯る輝きが。
「聖女様……どうかご無事で……!!!」
音を置き去りに、彼は走る。




