第14話 都市外壁近郊にて
城門付近の広場、夜も更けたこの時間帯に出歩く人間はほとんどいない。
街灯もほとんど落ちて、建物の影は真の暗闇となり、じっと見ているとそこから何かが飛び出してきそうにすら思えてくる。
そんな、猫一匹見かけない場所を、真っすぐ横切る人物の姿があった。
月の光に照らされるその威容に反して、足音の類は一切響かない。
教会特注のローブで辛うじて身分が判っても、どうして彼がここにいるのか理解できる者はそう多くないだろう。
夜影をなびかせ、いつものように真っすぐと歩いているのにも関わらず、彼は昼間とは全く異なった様相を見せる。
慈悲と意義を掲げて人を導く背中ではなく、目的の為には手段を選ばないと思わせる冷酷さを。
その大男、つまり教主は広場の端で立ち止まる。
見られている気配はしない。それは逆に不気味でもあった。
獣人は確実にこの街に潜んでいて、敵対視している教会の要人が一人きりという状況に、全く目を付けてないということがあり得るのだろうか。
なにやらしばらく考えるように俯きこんだ教主だったが、やがて諦めたかのように溜息を吐き、満月が座す外壁の上に目を向けた。
月光が煌々とボロのローブが照らす。
背丈は明らかに子どものもの。何も持っていないようなその姿が、外壁上の通路にぽつんと一つあるのみだ。
今の教主とはまた違った異様さをはらむその子供は、高低差約20mを以て豆粒のようにしか見えない教主の姿を真っすぐに見つめていた。
数秒、互いににらみ合う。
すると突然、子供はひらりと外壁の上から姿を消した。
一見ただ飛び降りたように見えるが、子供が飛び降りて無事で済むような高度ではとてもない。
加えて外壁の周辺には水堀が掘ってあり、垂直落下では着地すらできないはずだ。
だが、教主はかの少年が無事だという奇妙な確信があった。
彼は再び歩みを初め、とうとう都市と外野を隔てる関門に到着した。
付近を見回すが、やはり誰も、何も存在しない。
外壁の方からは仄かに灯りが漏れ、宿直担当が今日も立派に見張りの任務をこなしていることが分かる。
しかし今彼らと接触したところで役に立つことは無い。
こんな深夜に関門の吊り橋を降ろしては、周辺の住民を起こして騒ぎになってしまう。
教主がこんな深夜に外壁の外へ出かけるなど、そのくらい只事ではない。
彼は聳え立つ城壁に向かい立ち、数歩後ずさる。
壁に目掛けて走り出し大きく踏み切り、そのまま壁を蹴り対面の建物に向けて飛んだ。
屋根の縁に着地し、壁の上を目掛けて足のばねを溜め、解き放つ。
砲弾のような速度が放物線を描き、緩やかに外壁の上、先ほどまで子供の姿があった箇所へと着地した。
壁外を見下ろすと、夜を塗り広げた平原が広がる中心にその姿はある。
教主が移動にかけた時間は一分足らず、その間に子供の足で移動できる距離には無い。
彼は壁の縁に脚をかけ、一息にその目の前へと飛び込んだ。
ようやく対面したその姿は、やはり子供そのもの。
吹いた風が布を払い、まだあどけない顔を月夜の下に晒す。
「……本当に子供じゃないか」
思わず呟いたしゃがれ声に、その眉が不快そうに歪む。
計画的な悪意とは縁遠い純朴さを感じさせる顔立ちを見ては、とても人に対して暴力を振るうとは思えない。
精一杯目に敵意を込めて睨みつけてくる様は、むしろかわいらしさすら覚えるというのに。
「あんたが教会の偉いやつだな」
「いかにも。私こそ、リリアル邦の教主だ」
「……あんたに聞きたいことがある」
開いた口からは、変声期特有のハスキーな声が響く。
迫力には欠けるが、確かな怒りの籠った声。
それを以て、少年は問う。
「10年前、森に住んでた一家が教会の人間に襲撃された。誰がやったか教えろ」
都市を離れて森や荒野で魔物を避けつつ生きている人間は確かに存在する。
しかし、だからといってそういった人物を教会が敵視する理由は無い。
教えに背く程度で異端扱いするほど狭量でもなければ、むしろそういった人物にこそ寄り添おうとするのが基本方針である。
スラムの人間も教会の能力不足で取りこぼされているだけ、教会の救済対象には変わりない。
だから、教会に属する者がそのようなことをすることはありえない。
教主は答えた。
「───それは、私のことだな」
一瞬、躊躇。
しかし口を開いた後は淀みなく、開き直ると言ってもいいほど潔くその事実を自ら認めた。
なぜ、どうして、喉を突き上げる問いを全て飲み下し、少年の目が煌々と輝き出す。
どんな言葉を交わしたところで、為すべきことは一つ。
「━━━お前のせいで、おれの家族はバラバラになったんだ!!!!その罪を……」
少年が肩越しに虚空を握る。
その瞬間、彼の背後から光が溢れ出し、握りしめた拳の中には白く輝く柄が存在していた。
勢いよくその腕を振り上げる。
彼が掲げるのは、闇夜を裂く眩い光を放つ大剣。
「……今、償え!!!」
天を突くように輝き続けるそれこそが、彼の持つ理外の力そのものだ。
「これが……」
「この光は、お前の欺瞞も虚飾も全てを引き剥がす力!!!」
「……話し合いの余地は無いようだな」
太陽そのものを相手にするかのようなプレッシャーと相対しても、教主は眉一つ動かさない。
特別なことなど何もない鞭を取り出し、その張りをしっかりと確かめる。
次の瞬間、少年の手元が2度弾けた。
燐光が火花となって散り、怯んだ彼は数歩後ずさる。
「……ッ、卑怯な!」
「不意打ち程度でそう吠えるな。どんな手品かは知らんが───」
いつの間にか鞭の射程圏内まで踏み込んでいた教主を少年は強く睨みつける。
教主の振る舞いは、普段と変わらない。
迷える子供には迷いなく手を差し伸べる。
それが道を違えそうになっているなら、少々手荒な手段を取ることも厭わないというだけである。
「───私の秩序を乱そうというのなら、手ずから躾しなおしてやろう」