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第12話 スラムでの一夜

西の城壁の淵から、まるで赤い絵の具が空に沁みていくように、日が別れを告げる。

ボロボロのマントで体を覆った少年は土がむき出しの地面の上を何の感慨も無く歩いていた。

右へ曲がって直進、今度は左の角にある隙間を抜けていく。

目を瞑っていても辿れる道を辿りつくすと、随分久しぶりのように思える小屋が肩身狭そうに所在していた。



「いないのか」



がっかりしたような、ほっとしたような声が、ため息のように漏れる。

しばらくそのみすぼらしい有様を眺めていたが、踏ん切りが付いたように少年はぱっと来た道へ振り返った。


作業着と頬を汚し、ずだ袋を担いだ勝気そうな顔の少女。

それと思いのほか近くで対面した少年は面食らって後ずさる。

目を丸くしてしばらく固まっていたその少女の顔に血色が戻っていく。

どんどん赤く、目は見開いて、口を横に大きく裂いて、



「いないのはどっちだ、このっ、バカ!!!!!」



大きな叱咤が響き渡り、無関係な鳥が驚いて、暮れた空へ逃げて行った。



=====================================



頭をどつかれ、マントを引きずられるように小屋へ連れ込まれた少年は、居心地悪そうに御座を広げた床に座らされていた。

視線の先では先の少女、つまり少年の姉が、棚に向かって色々と取り出したりしまったりを繰り返している。

背中を預けるのも不安な壁の隅からは風が吹き込み、座り心地の悪い地面からは薄い御座を貫通して砂がざりざりと尻を刺す。

口にするわけにもいかない不満と内心格闘を続けていると、下を向いていた視線に痩せた脚が踏み込んできた。



「……今、あんまり食べるもん無かった。買ってくるからそれ食って待ってな」



少年の組んでいた足に置かれたパンは小さく、すっかり水分を乾いた空気に持ち去られていた。

家畜ですらそっぽを向きそうなそれに彼が言葉を失っているうちに、姉は足早に外へ出て行った。

口に入れるとほのかに甘い香りがして、纏っていた埃が喉に張り付いてむせ返る。

そういえば、と、以前は食べる前に手ではたいていたことを思い出す。



「やっぱり、こんなところにいたらダメだ」



彼は乾いた塊を食べたふりして隠し、何事も無かったかのように姉の帰りを待った。

空っぽの腹の中には、決意と虚無感ばかりが溜まっていた。



干しすぎて縮んだ肉、良くないカビかたをしたチーズ、さっきのよりはマシな黒いパン。

()()の食事を知った彼からすると見るも悲惨な残飯の展示。

それですら、3品も並んでいるからごちそうだと姉の表情は明るい。



「ほら、食いな」

「こんなに豪勢にすることないだろ。仕事減ったんだから」

「なんだ、イロも知ってたんだ。全く、勇者だかなんだか知らないけど余計なお世話だっての」

「……でも、あの仕事続けてたら体壊してたよ」

「かもね」



姉が口にした肉は固く縮こまっていて、しばらく唾液でふやかさないと嚙み切るどころか歯が折れそうな硬さだった。

もぞもぞと唇を動かす姿はどこか嬉しそうなその姿は、少年にとってはいたたまれない。

それでも彼女の顔色は以前よりも明るい。表情だけでなく、下地の血色から明らかに違う。



『姉ちゃん。また徹夜するの……?』

『あんな割のいい仕事、次はいつ来るか分かんないからね。姉ちゃんは大丈夫だから、お前は早く寝るんだよ』



そんなやり取りをしたこともあった、とチーズのカビたところを削りながら少年は考える。

その時にこっそり付いて行ったり地道な聞き込みをしたりしてようやく分かったのが、どうやらいけ好かない金持ちが金に飽かせてスラムの人をこき使っているらしいということだった。

だが依頼主がどこにいるかも分からず、金を持っているだけならこの都市にはいくらでも候補がいる。

第一犯人を突き止めたところで、体の弱い自分に何ができたというのだろう。

姉が無理をしているのは、自分がまだ満足に働けないからだというのに。



「……なあ、顔色悪いけど、また体調悪いか?」

「いや……なんでもない」



削って削って、だいぶ小さくなった塊を口の中に放り込む。

鼻の裏から強烈な腐臭が突き抜けるが、噛む分には味がして悪くない。

美味い、とは二度と思うことは無いのだろう。



「美味いだろ。昔からチーズ好きだったもんな」

「……うん」



=====================================



スラムは市街のように照明があるわけではない。

燃料を使って火なんかを灯すくらいなら他にいくらでも使い道があるので、大抵の住民はさっさと寝る。

姉も例外ではなく、太陽が姿を隠すなり、自分もさっさと御座に体を包んで眠りについた。


少年、名をイロと言う彼は、そんな姿を座って見守り、飽きて窓から差し込む月に目を向けた。


どこにいてもあの光は眩しい。太陽は見上げると目が痛くなるが、月の光は直視できる分、存分に明るさを享受できる。

昔から眠れない日は、よく窓から夜空を見上げていた。

昔はよくあの光に手を伸ばしていたが、いつからか全くしなくなった。


今なら届くだろうか、と彼が手を伸ばす。

だが、頭上の光に手をかざしたところで、彼はふと思う。


───どうして、あの光に手を伸ばしていたんだっけ。


使い終わった食器を漬けている桶が、もう一つ月明かりを水面に写す。

彼らがこの街に来たばかりの頃、幼き日の少年はあの光を持ち出そうとして、転んでびしょ濡れになったことがあった。

それだけ執着があったはずなのに、今はもう、手が届いたところで虚しい気持ちになる気がしてならない。

姉のそれより細く脆い自分の腕。



『あんたは体が弱いんだから、もっと食べな』



こんなに軽くて使いでのしないのに、無駄に負担のかかる腕。

でも、今は何も握れないわけじゃない。



「あのクソデブだけじゃ、やっぱり何も変わらなかった」



頭上の月を睨む目はもう胡乱に揺れることは無い。

据わった視界の先で手を握る。

ゆっくりと開いたその掌の中には、月よりも眩い光があった。




『もしキミにぃ、勇者になる素質があるって言ったらぁ』


『どうしますぅ?』




ちらつくのは、あのにやついた笑み。

想像の中ですら小馬鹿にしてくる忌々しい表情を握りつぶすと、少年は静かに立ち上がった。



「……そろそろ時間かな」



眠る姉を起こさないように、そっとボロ小屋を後にする。

最後に一度振り返り、彼女が熟睡していることを確認すると、彼は再び踏み出した。


ずっとどこかへ歩いていく。

道順は出鱈目だった。待ち合わせの場所の指定は無かった。

親切にしてくれた老婆のいた小屋を通り過ぎた。今は誰も住んでいない。

度々遊んでいた友達の父親が、また家にたどり着く前に力尽きて爆睡している。

やたら顔の広い老爺の小屋からは、何やら話し声が聞こえてくる。


冷たい明かりが皆の、惨めで、けれど逞しい生き様を照らし出す。

少なくとも、少年はそう思っていた。

そして同時に、早くこんなところから抜け出さないといけないとも。




「里帰りは楽しめましたかぁ?大好きで大好きでしょうがないお姉ちゃん、元気でしたぁ?」

「……ディア」



上から響いてきた生意気そのものな声の方へ、少年は振り向く。

小屋の屋根の上、足を空中に投げ出して彼を見下ろす少女の恰好は明らかに異様だった。

ゴシックパンクという分類にあたるそのファッションを見かけたことがある人は、連邦でもおそらくごく一部だろう。

丈の短いシャツを肩が片方出るように気崩し、チェーンで繋いだアクセサリーが黒地を彩る。

アームカバーから覗くカラフルに彩られた爪が、意地悪く歪む口元へ華やかに添う。

フリルのみで構成されたスカートから太ももを惜しげもなく曝け出し、厚底のショートブーツに対比された細さが際立たせていた。


ディア、と呼ばれた少女は指で四角を作り、目下で不満そうな態度を隠さない少年に向ける。



「あーい変わらずお顔はシケてますねぇ。もっと勇ましくできないんですかぁ?」

「うるさい。さっさと転移しろ」

「きゃー、こっわーい♪ じゃあ……おや?」

「どうした、早くしろ」



屋根の上でなお高く手を振り上げようとした少女が、徐に動きを止めた。

少年がそれに戸惑っていると、見る見るうちに彼女の表情は喜色に歪んでいく。



「……いぃえ~?また後で呼びに来ますねぇ~♡」

「ちょっと、おい……!」



割れんばかりの破顔を見せたかと思うと、少女はその場から跡形もなく消失した。

想定外の事態に少年が思わず一歩踏み出し、声を荒げる、



「イロっ!!!」



その前に、響いた声があった。

少年の心臓を直接掴むような、あまりに聞きなじみのある叫び声が。



「……姉ちゃん」



息を切らした状態で仁王立ちする少年の姉。

後ろめたい顔のまま固まった彼に向ってずかずかと歩いていくと、その手を乱暴に握る。



「あんた、またっ……!訳の分からないこと言っていなくなるのは止めなって言っただろ!」

「……なんで、起きてきちゃうんだよ」

「帰るよ、ほら……!」



腕を引いて、来た道を引き返そうと姉が体の向きを反転させる。

しかし、一歩踏み出したところでその勢いは止まってしまう。

信じられないような顔で後ろを振り返ると、その場で弟は微動だにせず、腕をつかみ返して姉を睨みつけていた。

彼は目を伏せながら腕を振り払い、戻って来た腕を抑える姉に対して背中を向けた。



「イロ……?」

「ごめん、おれ、行かないと」

「行くって……だから、もう変なことは……」

「姉ちゃん、教会を頼って。もうこんな場所にいたら───」



ぱん、と軽快な破裂音が響く。

少年は赤く染まった頬を擦ると、またも後ろめたそうに目を伏せた。

姉の方はというと、肩で息をしながら振りぬいた腕を戻し、ゆっくりと少年に掴みかかった。

ひん剥かれた目は信じられないものを見るかのよう、震える唇はあまりの怒りに声を紡ぐことができない。

浅い呼吸を繰り返し、唇を噛んでようやく、姉は声を発した。



「誰に、何を吹き込まれたの」

「違う。教会は一応、困ってる人に対して手を差し伸べてる。姉ちゃんはまだ子供だから、もっとマシな扱いを───」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!忘れたわけじゃないだろ!?」



幾度目かの悲痛な叫びが夜空に木霊する。

不気味なほど静まり返った空間で、少年はそっと肩を握りしめる手をほどいた。

為されるがまま手を離した姉は何かを察し、そのまま力なくへたり込む。

その姿に何か慰めを言おうとして、少年は自分が何も口にする資格が無いことにようやく気が付いた。


長年の憎悪を捨てろ。

大切な弟から手を離せ。

安穏とした生活の対価としては、彼女にとってそれは余りにも重いもの。

よりにもよってその重石の下で苦難の雨を避けてきた彼が遺棄を唆すことがどれだけ残酷なことか。

……だとしても。



「……姉ちゃんは真面目だし働き者だから。きっとどこでも上手くやっていける」

「なんで……?なんでそんなことを言うの……?」

「家族を引き裂いたのは教会じゃない。教会に潜んでいた悪魔だ」

「何……なんなの、それ……今更……」

「おれが今からそいつをぶっ殺す。……だから、教会を頼っても酷い目に会わされることは無いんだよ」

「じゃあ、イロも戻って来る……?」

「……ああ」



上辺だけの言葉がつらつらと並んでしまう。

あの悪魔のような少女から、そんなことまで学ぶつもりは無かったのに。

そんな自分の薄汚さから、少年の胸に自己嫌悪が渦を巻く。

けれどその回転は、目的の達成のためのエネルギーとしなくてはならない。



「……行かないで。行くなよぉ……」

「どうか、元気で」



最愛の家族に背を向けて、少年は家族の仇の元へと向かう。

その姿が見えなくなろうとしていても、彼女の足は動かない。



「なんで……。なんで、こうなるの……?何を、間違えたの……?」



守るべき存在が遠ざかる。

よりにもよって、仇を頼れと言い残して。



「お父さん……お母さん……」



理解の枠を飛び越えていった弟に追いすがる気力もなく、姉はその場で情けなく泣くことしかできなかった。







=====================================



「あのですねぇ、夜中に大声で喧嘩するのって普通に迷惑だと思うんですよぉ」

「……急に消えたのはこのせいか?」

「いえ?普通に姉弟の感動的な一幕を特等席で見てただけでーす♪」

「……チッ」



いつの間にか自分の半歩後ろを歩いていた少女に対して本気の舌打ちが飛んだ。

そんな悪態すらも楽しんでいるような彼女が軽く地面を蹴ると、その体がふわりと虚空に浮き上がる。

頭の上を飛び越えて、上下逆さまになっても、意地の悪い笑みは崩れない。



「感謝してくださいねぇ?あんなに大きな声でぎゃんぎゃん喚いてたのをバレないよう隠してたんですからぁ」

「ほんと、隠すことだけは上手いよな」

「失礼なぁ。こう見えて才覚溢れる優等生なのでぇ~?ぶっちゃけまだ実力の3割も発揮してませんよぉ~?」

「うっとおしい……。無駄に歩かせないでさっさと跳ばしてくれ」

「また怒られちゃったぁ♪……んじゃ、3、2、1───」



わざとらしく少女が指を振ると、瞬間、体を包むのは浮遊感。

文字通り瞬きの間に、彼の体はシデロリオの東側にある平原へ跳ばされた。



「っと。じゃ、この辺で待っててくださいねぇ」



そういうなり、また瞬きする間に視認できなくなった少女の声だけが残る。

少年が周辺を見渡すと、辺り一面、月の光に淡く照らされた平原が闇の中へどこまでも伸びていく

壁外は魔物が出て危ないと聞かされていたが、そんな影はどこにも見えない。


静寂の中、彼は一人、何も背負っていないように見える背中に手を回す。

まるで背中に何か大きなものを背負っているかのような姿勢のまま、じっと自らの中に意識を落としていく。




───姉を酷使したらしい金持ちを成敗した時は、ちゃんと加減が出来た。

でも、今度は正真正銘の殺し合い。

自分の力を使えば、ただこれを振り回しただけで凡人は容易く殺せるだろう。

……本当に?


余波に触れただけで心臓が止まりそうになる威圧感、振ってる自身すら身近に死を感じさせる圧倒的な暴力。

それを振るうことに、殺すために振るうことに、躊躇してしまわないか?

殺意を籠めて、相手を狙って、惨たらしく肉塊に還すつもりで、これを振るえるか?




「……やってみせるさ」




少年は決意を固める。

その姿を、月は孤独に照らし出していた。


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