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プロローグ

視界に映るは人、人、無数の人。

祭典ということもあり、大聖堂が見下ろす大通りには数多くの露店が今日という日を盛り上げに集まっていた。

 

そんな浮かれ気分絶頂の賑わいをかき分けながら、老いた男が街下を一人横切っていく。

人込みの中にあって一際目立つ巨躯、険しい顔つきに、威厳に満ちた顔。

しかしその厳めしい印象とは裏腹に、通りすがる人や露店の店主らからは度々親しげに声をかけられていた。

誘いをやんわりと断りながら歩みを止めない彼は視線の先、大通りが交錯する広場に人集りを見つけた。


人集りの中心には少女が3人。

囲む大人たちからひっきりなしに勧められる飲み物や食べ物を断ったり、受け取ったりして満喫している様子だった。

慌ただしくも微笑ましい様子に男は安堵を見せ、同時に深いため息を吐いて、広場の方へ人をかき分けていく。




「だーかーらー!これ以上貰っても食べきれないんだって!」

「そんなこと言うなよケイちゃん、食べ盛りだろ?ほら、そっちの子はまだまだ食えるってよ」

「そうそう、これ美味しいよ〜。カリカリのお芋にチーズとケチャップたっぷり〜。……んぐ、君もどう?」

「え、えっと、では……頂戴して……」

「ちょっとぉっ!あんたが率先して受け取るからこんな……あっ、あー!こぼれるこぼれるこぼれてる!!!」

「……楽しそうだな、お前たち」




男の声に、騒動の中心にいた少女3人はぴたりと固まる。

同時に、食べさせたがりの大人たちも、その存在に気づき、各々が祈りの姿勢を取った。




「うわ、いつの間に!?……えっと、これはー……その……」

「あっ、センセイだ、どったの?あ、これ食べる?」

「こうやって人が集まりすぎるから人目を避けろと命じたはずだが?」

「…………やーべ」

「あ、あの……」




男が手前の少女二人に詰問していると、卓の反対側に行儀よく座っていた少女がおずおずと歩みでた。

男と同じ意匠のローブを羽織り、金のアクセサリーがその高貴さを飾り立てる。

絹糸のように細やかな白い髪、宝石をはめ込んだような丸く眩い瞳、陶器のような冷たい滑らかさと少女特有の温かい柔らかさを備えた素肌。

胸の前で小さな手を握り、表情を変えぬ大男の前に堂々と躍り出た清廉たる少女。

口の周りにソースを付けたことに気づいていない茶目っ気も備えた彼女こそ、今日の祭典の主役であり、人々の安寧の象徴となる存在。



まさに今日、教会によって新たに戴冠を受けた、聖女、その人であった。



「申し訳ありません。私が、もっと深くフードを被っていれば……」

「……聖女様。人並みに揉まれて怪我などしておりませんか?」



男は身を屈め、傷や汚れなど無いか全身を確認した後に、懐から端布を取り出して彼女の口元を優しく拭った。

与えられた仰々しい肩書など感じさせない、まるでありふれた親子のような光景。

だが、周囲の人にとってはそれ以上の尊い意味を持つようで、中には涙を流す人すらいた。




「いえ、皆様本当に親切にしていただいています。この人集りも、私に一目会いたいという方ばかりで……」

「だから人目を避けろ、と命じたのです。……だと言うのに」




叱咤と呆れの混じった視線が項垂れる少女二人に突き刺さる。

彼女らが、聖女を祭りに連れて行きたいと申し出た張本人であり、人目を避けるという約束を破った愚かな子供である。

赤いくせ毛が犬や猫の耳のようにも見える小柄な少女に、紫の髪を綺麗に整えたやや陰気な印象の少女。

二人とも年少ながら、教会で立派に勤めを果たしている小さな才媛であった。

とはいえ子供であることには違いなく、祭りの熱気に充てられるのも無理のないことである。


見立てが甘かったと再びため息を吐き、男はあたりを見まわす。

聖女を間近で見られるという噂が広がったのか、広場を取り巻く人の密度は増していた。

あまり長く留まれないと考えた彼は、裾に付いた砂埃を払って立ち上がる。

それを見た少女二人は慌ててその後ろに控える。紫の方は残っていたまだ温かい芋を口の中に押し込むのを忘れない。


並び立つと倍ほども違う背丈の影が聖女に落ちる。

大きな者に見下ろされる本能的な恐怖、言いつけを破った後ろめたさに彼女の体が思わず強張る。

固まってしまった少女に対して、男はゆっくり口を開いた。




「……まだどこか回りたいところがあるなら、手短に回りましょう」

「よ、よろしいのですか……?」

「もちろんでございます。この際、ですからね」

「で、でしたら……!」





そう言って聖女は、懐から一枚の紙切れを取り出した。

そこには聖堂街の略図と、そこに出店している店の走り書き、そして明らかに聖女の筆跡のものではないメモ書きが所狭しと並んでいた。

軽食を始めとして占い、くじ引き、魔術体験など、予定はバリエーションに富み、かなり念入りな下調べの跡が見える。

まるで、当日は忙しくて祭りを回れない教会の職員が、想像でだけでも祭りを満喫しようとしたかのように。

そしてちょうどそこに年下の女の子を案内するという大儀名分が舞い込んだと言わんばかりに、今、聖女の手にそれは握られている。


男が後ろの少女らをにらむと、片方は後ろめたさに目を反らし、もう片方は見てられないと言わんばかりに目を反らしていた。



「……初日から、聖女の威厳も何もあったものではないな」



大きくため息を吐いた男は、裾を引く聖女に付いて日が暮れるまで城下町をあちこち歩き回った。




=====================================




大陸の端、険しい山脈に守られるようにして広がる一帯に、連邦という形の共同体を作り、人々は暮らしていた。

連なる邦々の共通点は一つ。



唯一絶対の理である”神”を信仰すること。




その連邦を構成する邦の一つ、リリアル邦。

実直建創を掲げるこの邦で、先日一人の聖女が戴冠を受けた。


「━━━━然して、先導者は人々に生きるための術と、安寧の礎たる法を、そして、いずれ来る福音の予言を告げました。以来このリリアルを始めとする神光連邦はその教えを守り続けてきたのです」

「……やはり、実感が湧きません。私には……」



リリアルの中枢都市の大聖堂、その一角で、今日も彼女は日課の手習いを受けていた。

語られるのは、今まで何度も聞いてきた聖女の成り立ちについて。

しかし、今日はその話が、やけに重いことのように感じられる。



「そんな大層な力など、何も、ありません……」

「『福音の一つは、豊穣である』『福音の一つは、新奇である』……『福音の一つは、御遣わしである』。あなたの存在そのものが、民の幸福の象徴となるのです」

「……ただ、生きているだけでいい、と?」

「そうとも取れるかもしれませんね」



先日の祭りで聖女を迎えに来た男が、今日も教鞭を取る。

いつも彼は聖女の問いに的確な答えを返してきたが、今日に限ってはその答えは随分と曖昧だ。



「それに、何を成すかではなく、何に挑むか、でも人の価値は変わります。そう悲観することも──────」

「教主様、そろそろお時間です」

「───む、もう時間か。ありがとう。すぐ行くと伝えてくれ」


粛々たる態度の伝令に、教主は壁に掛けられた時計を見る。

彼は手習い用の道具を片付け、部屋の隅にかけていたローブを羽織る。

筋骨隆々とした体が白い布に覆い隠され、彼の印象が少し柔らかくなったように変わる。



聖女もノートとペンを片付け、彼が次にかける言葉を行儀よく待つ。

その場で身支度を整えたらしい男は、聖女の座る机の元に歩み寄り、手を差し出した。



「では、参りましょうか」

「……わ、私も、ですか?」



差し出された黒い手袋の大きな手を見、続いて視線を上げて男の顔を見る。

彼は僅かに微笑んで、聖女に告げた。



「これから向かう都市では、どうも大きな事件が起こったようなのです。そこで、貴女に付いてきてもらい聖女としての自覚を深めてもらおうかと」

「で、でも、私は捜査などできません……」

「捜査をして解決するのは私の役目です。貴女の役目は、営みを知り、苦難を知り、自分に何ができるか、何を成すべきか見つけることです」

「……つ、つまり、どういうことですか?」



その問いに男は簡潔に答えた。



「社会勉強、と言ったところですね」




=====================================




のどかな平原を馬車が行く。

磨かれた木製の戸にガラスが嵌め込まれ、その向こうを、まばらに立つ木々や、草原を貫く四角い巨岩が景色として流れていく。

見渡す限り平穏そのもので、脅威が無いならピクニックでもすると気持ちよさそうな風景である。

道中で柵で囲まれた村もいくつか通り過ぎ、住民が日常を営む姿が見えた。



「これから向かうシデロリオという都市は、リリアルの中で最も金属加工が盛んな都市です。工業区画に行ってみると王都とは違った賑やかさがありますね」

「そうなんですね」

「また、煉瓦の生産も盛んですね。工場を建てるのに使うので」

「へえ……」



他愛のない話が続く。

御者以外には二人きりの空間で、聖女は妙な居心地悪さを感じていた。

圧倒的な場違い感。それはこの場に限った話ではない。



なぜ、何も持たない自分が聖女なのか?

なぜ、聖女たる自分が都市の事件調査に連れ出されたのか?


なぜ、彼はこんな自分によくしてくれるのか?

本当に、自分にそんな価値があるのか?



「どうしても気になるようですね」

「ふえっ!?」



まるで心を読んだかのような発言に、聖女の喉から情けない声が飛び出した。

対面の男は馬車の揺れにも、長時間の乗車にも関わらず、出発した時からほとんど姿勢を崩していない。

まるで鋼の彫像のように堅い印象を覚えるが、反してその声は柔らかだ。



「言ったでしょう。これは勉強の一環です。貴女は聖女の冠を戴いたとはいえ、まだ子供には変わりありません。これから様々なことを知り、できることを増やしていくのです」

「なら、そうやって成長した後の方が聖女にふさわしいのではないのですか?私よりも立派に勤めを果たしているシスターさんはたくさんいます……」

「それは神の思し召し。私たち人間は、その意図を汲んで懸命に励むほか無いのです」



男の示した答えはいつも通りのもの。

いつも通り、聖女の抱く疑問の唯一解ではなかった。



「……疑問が尽きない気持ちはわかります。ですが、こればかりは私にもどうしようもないのです」

「貴方様でも、どうしようもない……?」

「はい」



男は、膝の上で手を組んで、強くそれを握りしめる。



「もちろん、分かりやすい答えがあることが理想には変わりありません。ですが、それが定まらなくても進まなくてはいけない時、あるいは、間違った答えだと分かっていても進まねばならない時というのは存在します」

「……そう、なのですね」

「であれば、その時必要なのは、その状況に耐えられる強さ」

「強さ……」

「ゆくゆくは、貴女にはそんな強さを身に着けてほしい。そう考えております」



窓の景色が木漏れ日から快晴へと移る。

開けた平原の向こう側で、中枢都市にも負けない立派な、灰色の煉瓦が積まれた堅固な壁が聳え立つ。

聖女が窓枠に手をかけて座席に膝を付き、教主は首だけを回してその方を見る。




「あれが、鉄工都市シデロリオ。私たちがしばらく滞在する都市です」




勇者事件。

後にそう歴史に刻まれる事件の中心地であった。

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