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レンタル悪役令嬢(ラスボス級)として四件の奉仕活動を終えたリュシーはマザーに押し付けられた繕い物をしながら前世のことを思い出していた。
生まれながらの才能とそれに恥じぬ努力により他を圧倒する存在であったリュシエンヌはしかし人格を伴っていなかった。自分以外は全て出来損ないだと思っていたし自分こそが支配者として相応しく、世界はそうあるべきだと考えていた。ウィリアムから贈られた赤い髪留めは大切に使っていたが、ウィリアムのことなど眼中になかったはずだ。それ故に、ポッと湧き出てきた女と平凡な男ごときに自らの計画を危ういものにさせられたことが許せなかったし判断を誤った。魔王などに頼らず自分で勝ち取れば良かったのだ。魔王よりもずっと私の方が強かったのに。いや、たとえ勝ち取っていたとしてもいつか破綻していただろう。
リュシエンヌは知らなかったのだ。子を、親を、家族を愛する人間がいるということを。脆いなりに強くあろうと前を向く人々を。
リュシエンヌを処刑する際、ずっと付けていた髪留めが外され慈悲としてその髪留めを手に握らされた。そうして刑が執行されリュシーとして生を受ける前に白い光に包まれた何かが使命を下した。
“哀れな悪役令嬢よ、お前にもチャンスをやろう。ただし十五歳まで何の魔法も使えぬただの弱者として生きよ。十五歳になったら全ての力を戻そう。それをどう使うかはお前次第だ”
そうしてマザーのもとへ降り立ったのだ。ウィリアムに貰った赤い髪留めと共に。そんなことを考えていると誰かが教会の扉を叩く音がした。あまり進まなかった繕い物を置き、扉を開けるとそこにいたのは先日の依頼先にいた美貌の執事であった。
「私を貴女様の御傍に置いてください」
開口一番にそう言うと男はその漆黒の瞳でこちらを覗う。吸い込まれそうな闇の深淵を見返しながらリュシーは鼻で笑った。
「フフッ、私には精神干渉は効きませんことよ」
「…精神干渉?何のことでしょう」
白を切る男にリュシーは居丈高な態度で言う。
「分かっていてよ。貴方、魔族の者でしょう。その若く美しい容姿もその漆黒の瞳も魔族の特徴ですもの。精神干渉を使える者がいたことは知りませんでしたけれど。効かなくて残念でした。私は悪役令嬢(ラスボス級)、つまり魔王と同等に…いやあのような腰抜けなんて目じゃないわね」
「…魔王様をご存じとは話が早い。私はある目的のために人間に紛れておりました。必ずや貴女様のお役に立ちますからしばらく御傍に置いていただけませんか」
「ふうん。まあ貴方は使えそうね。良いわよ。ただしマザーの許しが出たらね」
当のマザーからは「男手が足りないから、こき使えるなら良い」と簡単に許可が下り魔族の男も教会に住むことになった。聞けば各地を転々としており精神干渉を使って信用させて入り込み、彼に関する記憶を有耶無耶にしてから出ていくのだという。魔族にとって自らよりも強い者に本当の名を教えることは忠誠を誓うことだそうで彼の偽名だというヴィロと呼ぶことにした。
ヴィロが来てからしばらく経った頃、突然王城から登城要請があった。正直、転移した方が早かったがお迎えの馬車に乗せられ通されたのは宰相の部屋だった。
「…なんてことだ。噂には聞いていたが、本当に近代三大悪役令嬢の一人とされるリュシエンヌ嬢に瓜二つだ」
「フフッ、レンタル悪役令嬢(ラスボス級)のリュシーですわ。それでご用件は」
「ああ失礼した。実は帝国から我が国との国交を戻す条件が提示されたのだが、それが“そちらの国の悪役令嬢”が間に入ること、という意味不明の内容だったのだ。我が国の悪役令嬢と言えば、時の王の寵愛を得られずに側妃が生んだ双子の子を亡き者にしようとした王妃マザリーヌ、実際は無実だったにも関わらず悪役令嬢と名を馳せた悲劇のイヴェット嬢、そして貴女に瓜二つだった史上最強の悪役令嬢リュシエンヌの三人だ。歴史上では“神殺しのアイリス嬢”という初代悪役令嬢がいたとされているが、おとぎ話の域を出ない。そして彼女たちは既にこの世にいない。頭を抱えていたところ悪役令嬢と名乗るリュシエンヌ嬢にそっくりな君のことを耳にしてね。帝国との会談に参加してほしいのだよ」
「分かりましたわ。私、レンタル悪役令嬢(ラスボス級)のリュシーが承ります」
会談は帝国内で行われるとのことでリュシーが教会に帰り荷造りしているとマザーがやってきた。
「帝国へ行くのでしょう。イヴによろしく伝えて頂戴。食べ過ぎに注意しなさい、と」
「マザーの知り合いですか?帝国に行くと言ってもその方に会えるか分かりませんわ」
「フフッ、会えるわよ。貴女たちは姉妹だもの」
荷造りを終えヴィロを伴い再び登城したリュシーを待っていたのは壇上に座る国王だった。リュシーの顔を見たとたんガタッと椅子から立ち上がりリュシーに手を伸ばす。
「おお…リュシエンヌ…あの頃のリュシエンヌだ…お前はリュシエンヌの娘か?…いや彼女は十七歳で死んでしまった」
「“殺した”の間違いでは?」
国王の許しを得る前に発言したリュシーに国王の周りにいた護衛たちが一歩前に出る。それを制したのは国王だった。
「よい。下がれ。リュシーと言ったな。私がリュシエンヌの処刑を命じたわけではない。私は婚約破棄してもリュシエンヌの優秀さを評価していたし側妃に迎えるつもりでいたのだ。我が妻も処刑など惨いことは望んでいなかった。リュシエンヌが処刑されると聞いて妻は心を病んでしまったほどだ。未遂とはいえ世界を危機に陥れようとした悪役令嬢リュシエンヌを周りは赦さなかった。それ故に彼女は死んでしまったのだよ」
国王がリュシエンヌを側妃に迎えようとしていたと知ったリュシーは久しぶりにどす黒い何かが自分の中に渦巻いているのを感じた。リュシエンヌの踏み台、いや踏み台ほどの高さも無かった男にただの便利な女として扱われようとしていたなんて。王家に生まれただけの男ごときが私を…。腰抜け魔王などに頼らなければ…。
思わず真顔になってしまったリュシーをヴィロはゾクゾクとした悪寒を感じながら見ていた。リュシーから感じる禍々しいオーラは全盛期の魔王を彷彿とさせる。やはり彼女は見込み通りだ。一方リュシーの心の内を感じ取れない国王は一つ咳をして本来の要件を伝える。
「今回の会談には私は同行できない。宰相と悪役令嬢だけで良いとの帝国側からの指示だ。もちろん各々従者は連れて行っても良い。我が国にとって帝国との国交再開は長年求めていたことだ。リュシー嬢、頼んだぞ。成し得た時には褒美をやろう」
この男から褒美など賜りたくないがリュシーは礼を取った。