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後日、商会から買った紅茶を飲んだマザーは満足そうな表情でリュシーを労った。
「奉仕活動ご苦労様。今日の紅茶は美味しいわ。リュシー、どこの品ですの?」
「依頼先だった商会の商品ですよ、マザー」
「フフッ、流石リュシーね。私の好みを分かっているわ。でも一番好きな紅茶はもう手に入らないのよねえ…。さあて、この紅茶を定期的に送ってくれるようにしなくては。その次期会長とやらを紹介してちょうだい」
そうしてマザーに商会の次期会長を紹介した際に、次の依頼が舞い込んできた。
次の依頼主は商会の顧客だという。王都の一等地に居を構える貴族の邸宅へやってきたリュシーはこの家の執事に促され堂々とした態度で入っていく。執事は美しく気品のある男だった。彼の漆黒の瞳でこちらを覗い見られると闇の深淵に墜ちてしまいそうな感覚になる。この家の主は外務省の大臣を務めているようで邸内には外国の物と思われる美しい装飾品の数々が並んでいる。今回の依頼主はその奥方のようだ。
「奥様、お連れしました」
「ありがとう」
奥様と呼ばれた女性は四十歳前後だろうか。とても淑やかな女性だった。
「ご依頼いただきましたレンタル悪役令嬢(ラスボス級)のリュシーと申します」
「まあ…」
夫人はリュシーを見て絶句してしまう。
「威厳のあるお嬢さんだと商人から聞いておりましたけれど…かの“悪役令嬢”に瓜二つ…いえ失礼。お気になさらないで…。依頼内容を説明させていただくわ」
そう言って夫人は優雅に微笑む。説明をしたのは執事の男だった。執事の説明によると、夫人の生家は実兄が継いでいたが不慮の事故で亡くなってしまった。生家には義姉と高齢の実母がおり兄と義姉の間に子がなかったことから親戚の子を養子に迎え継がせた。そこまでは夫人も納得しているようだが、話はここからだ。義姉が夫人の実母を貴族用の“高齢者の園”に入居させようとしているらしい。高齢者の園とは異世界から来た王妃によって考案され造られた施設である。しかしそのような施設に抵抗感を持つ人もまだ多い。夫人は実母をまるで厄介払いしようとしている義姉に怒りを覚え再三手紙で意見しているそうだが聞き入れて貰えないとのこと。この国の大臣である夫からは生家といえど他所の家のことに口を出すなと言われているそうだが夫人は可哀想な実母をなんとかして救いたいと思っているらしい。自分は大臣の妻として思うように動けないので“レンタル悪役令嬢”に活躍してほしいということだった。
「依頼内容は理解いたしました。一つだけ確認させていただきますわ。貴女様が願うのはお母様の幸せですわね?」
「ええもちろんよ」
「フフッ、承りましたわ」
相手方の家には執事と共に行くらしい。夫人は大層この執事を信頼しているようだ。執事に頼んで相手方の家の場所を地図で見せてもらう。
「リュシー様は“交渉人”として訪問されることを伝えております。ここから馬車で一時間ほどかかりますのでご準備を。身元を証明するため私も同行させていただきますね」
「ええ、よろしく。でも馬車での移動は必要ないわ。時間が勿体ないもの。ちょうどその場所なら知っています。では奥様、行ってまいりますね。さあ、貴方はこちらへ。“転移”」
「!?」
目の前にいた執事とリュシーが消えたことに夫人が驚く。
「魔法を使えるなんて、本当にあの悪役令嬢みたいね…」
その頃リュシーと執事は目的の場所に到着していた。
「さあ着いたわ。住む人が変われば随分と印象が変わるものねえ」
「驚きました。転移が使えるなんて貴女様は一体…」
流石の執事も驚いた様子を見せたが、転移の瞬間に強張ったりすることなくリラックスした様子だった。普通は慌てるものだが不思議な男だ。予定よりも早い到着に中から急いでこの家の使用人がやってくる。中に足を踏み入れると装飾品が少なくこざっぱりとした印象だが清潔感があり、リュシーには以前の内装よりも好ましく見えた。そうして通された部屋には二十代くらいの若い夫婦と依頼人の夫人より少し年上に見えるご婦人が待っていた。若い夫婦が現当主である養子とその妻だろう。リュシーは挨拶をする。
「“交渉人”として参りましたレンタル悪役令嬢(ラスボス級)のリュシーと申します」
「ひぃぃっ!リュシエンヌ嬢!?」
ご婦人はリュシーを見て顔が真っ青になる。
「母上どうされたのですか!?」
「い、いえ…。取り乱してごめんなさい。以前倉庫の物を処分していた時に見たリュシエンヌ嬢の姿絵にあまりにも似ていたから…」
「倉庫といえば、この屋敷の以前の持ち主の物が詰め込まれていた部屋のことですか」
「ええ…貴方も知っているとおり、今は亡き義父が空家となっていたこの屋敷を破格の値で購入したの。この国の三大悪女の一人、“悪役令嬢リュシエンヌ”の生家で連座になった家として曰く付きだったそうよ…。リュシーさんだったかしら。ごめんなさいね、このような失礼な態度を…」
「いいえ。それにしても連座ですか。フフッ、当然ですわね」
悪役令嬢リュシエンヌは立派な家に生まれながら家族間の関係は希薄であり政略の駒として過度に厳しく育てられたという。リュシエンヌの処刑と共にその家族が連座になったと聞いてもリュシーは何とも思わなかった。
「さて本題に入らせていただきますわ。ご存じのとおり今日はこの家のおばあ様についてお話をさせていただきたいのです」
「…」
婦人が目を伏せると若い当主が口を挟んだ。
「その件については何度も叔母様に説明をしたのに」
「若造はお黙りなさい」
間髪入れずにリュシーが居丈高に言う。
「口が悪いな!君よりも年上だと思うけど」
喚く若き当主を無視してリュシーは婦人を真っすぐに見つめる。
「貴女のお考えをお聞かせ願いますか」
婦人は一つ溜息をついて話し出す。おばあ様は息子であった前当主を亡くしてから一気に老け込んでしまったという。今現在必ずしも特別な介助が必要かと問われれば答えに困るが、毎日ボーッとしては記憶が曖昧になる日もあるらしい。元々社交が得意だったはずなのに今では他人と話すことも煩わしいと外出に誘っても断られるという。そして最近、夜中の三時に目を覚まして一人食堂に座り朝ごはんを待っていたり、お手洗いに行こうと思っていたのに間に合わず粗相してしまったこともあるという。おばあ様はそんな自分の状態を受け入れられず使用人にも絶対に言ってほしくないと、物音で気づいて駆けつけた婦人に懇願したという。
「お義母様は社交に明るく、少し変わり者の義父をそっとサポートする素晴らしい人でした。そんなお義母様がまるで死を待つかのように毎日虚ろな目で過ごしていらっしゃるのを見ると本当に辛くて。一度お義母様を誘って王妃様が考案された高齢者の園を見学したのです。あそこは定期的にランチ会が開催されていますから。はじめは渋っておられましたけれど、お義母様ったら着ていく服に迷い、まるでデビュタントに参加する少女のようにはしゃいでおられました。施設内では交流スペースや交流イベントもありますが一方でプライベート空間も確保されていて私でも住んでみたいほどで。お義母様も楽しかったわ、と」
婦人はそこまで言って視線を落とした。
「でも義妹の言う“厄介払い”もあながち間違ってはいませんの。若夫婦は当主として忙しい毎日を送っていますし私も今はサポートに力を注いでおりますから正直お義母様に構ってあげられる時間がないのです。この家で孤独に過ごすよりも施設で生き生きと過ごされる方が良いのでは、というのは私たちの考えですから。お義母様が心からそれを望まないのであれば厄介払いと言われても否定できませんわ」
黙って婦人の話を聞いていたリュシーはフフッと笑うと居丈高な態度で話し出す。
「誰も彼もが納得できる道など無きに等しいわ。重要なのは誰に重きをおくか。幸い依頼主と貴女の認識は一致していてよ。ねえ?」
話を振られ、リュシーと共に来た執事はすぐに笑顔で返す。
「その通りでございます。お二人とも大奥様の幸せを第一に考えておられる。大奥様にお話しを伺うことはできますか」
リュシーの意図を瞬時に理解したこの美貌の執事はやはりなかなか優秀らしい。執事の依頼を受け、車椅子に乗ったおばあ様が入ってくる。しかし今はまさにボーッとしている時間だそうで会話できるか怪しいという。
「よろしいですわ。少し頭の中を覗かせていただきますわね。“テレパス”」
~~
「ごきげんよう」
(あらどなたかしら…綺麗なお嬢さんね…)
「私、レンタル悪役令嬢(ラスボス級)のリュシーと申します」
(悪役令嬢…私の世代にとって悪役令嬢と言えばマザリーヌ様…寵愛を得られず子に恵まれなかった悲しき王妃…ああ…)
「高齢者の園はいかがでしたか」
(施設?…ああ、嫁が連れて行ってくれた…嫁は私のもう一人の可愛い娘…苦労をかけて…申し訳ない…)
「楽しかったですか」
(…ええ…久しぶりに心が躍った…あの人ともう一度お話してみたい…素敵なお方…)
「また行きたいですか」
(あの人に会えるなら…会えるかしら…次に会ったらどんなお話をしましょう…)
~~
リュシー以外にはおばあ様の心の声は聞こえないため、皆おばあ様の様子を熱心に見ている。しかし執事の男だけはじっとリュシーを見ていた。
「おばあ様の意志は確認できましたわ。では私は報告がありますのでこれで失礼いたします」
「えっ!結局どうだったんだい?」
「結論を急くのは若造のやることですわ」
「だから君より年上だと」
「“転移”」
若き当主の「…最後まで聞いてよ」という言葉を聞くことなくリュシーと執事は姿を消した。次の瞬間、リュシーと執事は依頼主の邸宅へ降り立っていた。目の前に現れた二人を見て依頼主の夫人が驚きつつ微笑む。
「まあ、お早いご帰還だこと。それで説得してくださったのかしら」
「説明するより見ていただいた方が早いでしょう。“投影”」
リュシーが夫人に見せたのは義姉から見た生気の無いおばあ様と、施設を楽しむおばあ様の映像だった。そして最後にテレパスで感じたおばあ様の視点を投影する。真顔で見ていた夫人は最後にフッと笑う。
「いやだわ…親の恋心なんて知りたくなかったわ」
そう言う夫人の表情は穏やかだった。
その後、依頼人の夫人は義姉に自らの身勝手な考えを押し付けたことを謝罪したそうだ。義姉に代わっておばあ様の施設に同行することもあるという。おばあ様は施設に行く回数を増やしながら充実した日々を過ごしている。受け入れがたかった老化の進行も仲間と話すことで笑い話にしているという。そしておばあ様には恋敵が現れたそうで新しいルージュを新調したそうだ。
「女は二度咲く。私たちが二度目のルージュを引くのはいつかしら」
奉仕活動の報告を聞いたマザーはフフッと笑った。