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帝国の朝は早い。
「おはようございます。さっそくですが諜報部からの報告書です」
「ああ、いつもご苦労。イヴはどうしている」
「イヴ様なら貴方様のために朝食をお作りになっていますよ」
「全く、そんなことをしなくても良いと言っているのに」
「最近のイヴ様はとてもご機嫌ですね」
「ああ、かの国の悪役令嬢と会えたことが嬉しいのだろう。イヴの願いはなんでも叶えてやりたい」
「そういいつつ外出許可は出されないのですね」
「今後こそ真実の愛でイブを守り抜かなければならない。私はもう二度と彼女の手を離したりしない…」
きっとイヴは今頃、嬉しそうに夫のために朝食を作っているだろう。その姿を想像しながら、帝王は過去に思いを馳せる。
私が子どもの頃、帝国内では血みどろの後継者争いが繰り広げられていた。愛人の子として生を受けたが幼いころから兄姉たちを担ぎ上げる者たちから命を狙われた。母は他国の女で、見かねた母が母国の間諜を使い関係のない国に私を逃がした。母の生家は諜報能力に優れた一族であり手ほどきを受け帝国の外から情報を集める日々を送る。そんな時に出会ったのが同い年のイヴェットだ。イヴェットの母親は女侯爵として他国とも繋がりがあり、私の母とも親交があったようだ。
小柄で垂れ目の食べることが大好きな可愛らしい少女。いつも命の危機を感じていた殺伐とした帝国での暮らしでささくれていた私の心はイヴェットの優しさに癒され恋をした。イヴェットも、いつも忙しい母、帰ってこない父に寂しさを感じており、私たちは孤独を埋め合うようにお互いの心を求めあった。後から知ったことだが、イヴェットの父は愛人の家に入り浸っていたようだ。私は一度も会ったことがない。
徐々に諜報員の数を増やし弱みを握り情報を攪乱し、いよいよ帝国に戻ってクーデターを起こそうと考えた私はイヴェットの母に懇願し婚約を取り付けた。十三歳の時だった。イヴェットは帝国に戻ったら私のことを忘れてしまうのではと泣いたが、必ず手紙を送る約束をして帰国した。それからのことはほとんど記憶にないほど忙しく殺伐とした毎日だった。途中、イヴェットの母が亡くなったと知らせを聞いたが、それどころではなかった。まだ子どもだと油断をしていた父や異母兄姉たちを殺し、弱みを握って貴族たちを掌握した。私は私を虐げた奴らを許さない。私は帝王にならねばならない。私の使命を達成した暁にはイヴェットを迎えに行こう。そう思っていた。
「諜報員の情報によるとイヴェット嬢が悪役令嬢として名を馳せているそうです」
「何、それは本当か」
「なんでも高位貴族に擦り寄ったり常識のないことをしでかしたり義妹を虐めたりしていると噂になっているそうですよ」
「イヴェットがそんなことをするだろうか」
「いえ、単なる噂ですから。事実関係について調べましょうか」
「…いやよい。煙のないところに火は立たない。実際はどうであれイヴェットの評判が悪いという事実は変わりない。私が命をかけて生きているというのに困ったものだ」
その頃の私はまだ子どもじゃないかと侮られることも多く一進一退の状況に苛立っていたし、イヴェットを迎えに行くために命がけで頑張っているのに、どうしてイヴェットは努力しないのだろうと思ってしまった。その怒りをぶつけるように帝国に戻ってから初めてイヴェットに手紙を書いた。もう少しで迎えに行けるからちゃんとしてくれ、と。その裏でイヴェットが虐げられていることなど知らずに。
そうして私が帝王になった時、イヴェットは死んだ。十五歳の時だった。男のところへ行くために馬車に乗っていたところ事故が起きたらしい。その事故をきっかけに全てが明るみになる。その事故が仕組まれたことだったこと、実はイヴェットは虐げられており悪役令嬢の噂は全て父親と義母、義妹によって仕組まれた嘘だったこと、本来食べるのが好きだった少女はやせ細っていたこと。
これらの事実は私を打ちのめした。なぜ守れなかったのか、と。しかし私に心を閉ざす時間などない。帝王として君臨していくために諜報員の数を国内外に増やし他国をも掌握していった。行き場のない怒りはイヴェットを見殺しにした国にぶつけ国交を断絶した。周りから何と言われようと決して妻を娶らずいつの間にか三十歳になっていた。昔から私を知っている部下は私の心がまだイヴェットにあると知っているようで心配をかけていた。
「近頃かの国でレンタル悪役令嬢とかいう少女がいるそうですよ」
「なんだそれは。イヴェットを悪役令嬢として追いやっておいて学ばない国だな」
「それが、その少女の特徴が薄い桃色の髪に澄んだ空のような瞳の小柄でタレ目だそうで」
「…なんだと」
「イヴェット嬢と違うのはその体型でしょうか。お会いしたことはありませんが確か悪役令嬢と名を馳せた頃のイヴェット嬢はスレンダーな女性であったと聞きました。しかし件の少女は大変ふくよかだそうで。もちろん別人ですが特徴は似ておりましたので報告を」
「…いや、イヴェットは子供の頃、食べるのが大好きでふっくらしていた。太りやすいのだと自分でも言っていた」
「どうされますか?詳しく調査いたしましょうか」
「いや、よい。私が行く」
「え?何を仰っているのです。国交を断絶した国へ行くなど無理ですよ」
「諜報員に紛れていく」
「やめてください。貴方は帝王ですよ。何かあっては困ります」
「その女がイヴェットと別人であることは理解している。しかし私はもう後悔したくない。しばらく帝国を任せる。私の影武者を用意しろ」
「いつも冷静な貴方が珍しいですね。分かりました。言っても聞いてくださらないでしょうから」
部屋から出た部下はボソッと呟く。
「イヴェット嬢のことを忘れられないのは知っておりましたがここまでとは…。全くイヴェット嬢は死んでなお帝王を惑わせ狂わす立派な悪女ですよ。私どもにとってはね」
それから帝王の行動は早かった。身分や国籍を偽り噂の悪役令嬢の住む教会へ辿りつく。教会から出てきたイヴェットにそっくりな少女を見つけるとすぐさま少女を攫った。
「見つけたぞイヴェット!!!」
イヴェットは死んだ。そのはずだが教会から出てきた少女はイヴェットそのものだった。自分の魂がそうに違いないと叫んだ。
「あら、見つかってしまいましたわ」
イヴェットと同じ顔をした少女は困ったように笑う。
「やはりイヴェットなのだな!?」
「いいえ、今はイヴという名前ですわ。でもそうですね。前世はイヴェットでした」
「やはり!イヴェット!いいやイヴ!会いたかった!」
なりふり構わずふくよかなイヴを抱きしめる。イヴはくすぐったそうに身を捩るがその表情は歓喜に満ちていた。
「フフッ、今度こそ離さないわ」