ゲリダ豪雨
台風の吹き荒れる中で仕事を終え、激しい雨の音を聞きながら眠りにつき、休日の朝に目を覚ますと、窓の外は気持ちのいい快晴だった。
布団から出て、座椅子に腰を下ろすと、同居ネコの白丸くんがトコトコとやってきて、私の隣におすわりをした。
「おはよう、白丸くん。ミルク、いる?」
『ほしいー、ママー』というように甘えた声を出す彼にミルクをあげると、私も楽しみにしていた朝食にお湯を入れる。
昨晩、雨の帰り道に立ち寄ったスーパーマーケットで半額だったカップやきそば『三平ちゃんウルトラシーフード・カレーやきそば特盛』だ。前々から気になっていて、食べてみたかったのだが、値段が300円もするので手が出せずにいた。150円なら買える。しかも残りが最後の一個だったので、迷う暇もなくカゴに入れた。
お湯を入れ、5分待つ間に洗い物をする。仕事が忙しくてたまりにたまっていた。半分も洗い終わらないうちにやきそばが出来てしまった。
『おかわりー』
そんなふうにすり寄ってくる白丸くんを撫でて誤魔化しながら、カップやきそばにソースをかける。カレー味のマヨネーズにカレーふりかけと、カレー尽くしだった。
特盛の麺をお箸で掬いあげて、豪快に啜った。
なんて美味しいカップやきそば!
ソースとカレーのハーモニーがジャンクでやわやわな麺に絡みつく。
かにかま、いかかま、エビ、シーフードもたっぷりだ。欲をいえばホタテかまも欲しかったところだが、ないものねだりはやめよう。
美味しかった。久しぶりにカップやきそばを美味しいと思った気がする。
朝から食べるには量が特盛すぎた気もするが、おかげで活動前のエネルギーは満タンだ。さぁ外へ出かけるとしよう。
昨日までの豪雨が嘘のように、爽やかな朝が外出する私を出迎えてくれた。もう夏が終わることを物語っているように気温も湿度も快適だ。
鬱陶しい雨に包まれて色をなくしていたワゴンRくんのピンクメタリックも朝日に煌めいている。今日はこの子の点検の予約をとってある。すぐ近くのスズキのお店まで気分よく走った。
「しばらくお待ちくださいませ」
笑顔の貼りついたような営業マンにそう言われ、テーブルでブラックコーヒーを飲みながら待った。
本棚から『全国おいしいラーメン図鑑』というA4版の冊子を取り、広げて見ていると、それは静かにやってきた。
『……こんなところで』
そう思ったが、止めることは出来なかった。ラーメン図鑑をテーブルに置いて立ち上がり、トイレを探すと、少し向こうのほうにすぐに見つかった。
清掃の行き届いた広い個室に入ると、白磁色の便座の蓋が自動的に上がり、私を迎えた。
『やっぱり朝からカップやきそばはなかったなかぁ……』
そう思いながら温かい便座に腰を下ろすと、すぐに私の後ろのほうから、雨どいから水面に水が落ちるような音が、続いた。
『うわぁ……。止まらないや』
しかし止まない雨はない。やがて雨は止まると、私はトイレットペーパーに手を伸ばす。
近頃のトイレットペーパーはすくにプツプツ切れる。コンビニのフライドチキンが小さくなったように、これも薄くなったのだろうか。
ウォシュレットで雨雲を刺激すると、すぐにまた雷が鳴りはじめた。
『うわっ……。また?』
第二波がやってきた。今度はさっきよりも激しい。下腹で雷鳴がゴロゴロと唸り、泥の地面を叩くように、大粒の雨が降り出した。
終わった……と思った。
しかし嵐はそこからが本番だった。
ぎゅるぎゅると、腸の中を突風が吹き抜ける。龍が雨雲の隙間を飛ぶように、止まらない苦痛が私の中を駆け抜ける。
『も……、もう……終わってくれ!』
心の中でそう叫ぶが、苦しみは私を離さなかった。
『これは神の試練なのか!? なぜ……神は、私をこうまでも苦しめるのか!?』
『私が何をしたというのか!? カップやきそばを食べただけだ!』
『も……、もう……許して!』
『許してください!』
止まらない。
止まらないゲリダ豪雨。
鳴りやまないトイレットペーパーをカラカラと引き出す音。プツンと切れないように慎重に、しかし蜘蛛の糸を手繰るように、忙しなく。
ごめんなさい、一人でこんなに大量にトイレットペーパーをううっ……! ああっ! なぜ人はこんなことでこんなにも苦しまなければならないのかっ! もしかしてこんなところで私の人生は終わるのかっ!? 悲しみのようなものに個室の空気が覆われた頃、ようやく私の戦いは、終わった。
便秘の時にはいつ明けるかわからない朝が、ゲリダ豪雨の後にはいくらでもそのへんに落ちている。木の枝にくにゃりと引っかかったり、テーブルの角に貼りついたり、豚の背中にべったりとくっついたりして。
自分の部屋に戻り、座椅子に腰を下ろすと、白丸くんが心配そうな顔をしてやってきてくれた。
『どうしたの? お外はいい天気みたいだよ? もしよかったら一緒にお散歩行こうにゃー』
猫の薄くて硬い頭に手を当てる。もふもふとした毛の感触が心を癒してくれ、私は笑顔になれる。
しかし白丸くん。ママの中では嵐がまだ去っていないのだ。正露丸を飲んでも、またあのゲリダ豪雨が襲ってきそうな気配が止まらないのだ。
いつ来るとも知れないゲリダ豪雨が、私の休日を蒼く染めていった。