チルドレンハーブ
チルドレンハーブ
私の家がもっと明るく広かった頃。
父が帰って来ると両親は口論ばかりしていた。
この日は特に険しかった。
「神も恐れないお人だよ、あなたは」窓も玄関も開け放ってあるので、まだ春だというのに母はタオルで汗を拭きながら叫ぶように言っていた。
ズーズーはシルバニアファミリーを床の上に広げて遊んでいた。兄のチャンドラーはいない。
「ウインナーにするなら、キッチン用の台所にしなきゃいけないって言ったじゃない」父が話を逸らそうとしたのは明らかだった。この家にあるのは飾りのキッチンなのだ。
チャンドラーとズーズーは秘かにこの父のことを雷帝と呼んでいた。
カメレオンのように目をギロギロ動かさせて、ズーズーは両親の話を聞いていた。
両親の口論を聞いてお腹の中のマクマードはどう育つんだろうか、と思った。あっ、私もそうか。
「この人形、何て名だい」
「・・マクマードよ」
「じゃ、マクマードにしよう」
マクマードは嫌な子なのに。ズーズーはシルバニアファミリーを置いてしまった。
私に何を教えようとしているのか。
「ズーズーが可愛くないのか」
蝉の声が母さんのいびきに聞こえた。
父は何も答えなかった。
「マグダレンがそんなに可愛いのかねえ、いや、シモネッタか。自分の子供の子に手をつけるなんて・・」母がヒステリックに叫んでいる。わざと子供たちに聞こえるように。そんなことしたら父さんが出ていってしまうのに。
父さんの声はくぐもっていて聞こえない。
母さんは大した用もないのにこの家を歩き回って話しているようだ。チャンドラーを探しているのだろうか?
ズーズーの視界に父が入ってきたかと思うとテーブルの席に着いて、ズーズーに笑いかけた。ズーズーは目を外した。
父さんも何か言い返している。
テーブルに母さんもやって来た。
何か出して、「あんたの名声も地に落ちるよ」とエプロンで手を拭った。
女に何が分かる、と父さんはブツブツ言って、母の出したウインナーを楊枝で刺して食べた。
母さんがズーズーのことを気にしたかと思うと、またキッチンの方へ消えた。
全てのドアを開け放しているので父さんや母さんがどこから出てくるか分からない。
母さんがキッチンを通ってズーズーの後ろから青い紋様の付いた小皿を差し出した。
「あんたも食べる?」ウインナーに楊枝が刺してある。
「ん」ズーズーは楊枝を持つと一口で食べた。
「私はねえ、この家にお手伝いがいるといいと思うんだよ。そうしたらあんたと口を利かなくても済むね」
父さんは宙を見て何か考えていた。自分で出したのかいつの間にかビールの泡が口に付いている。
チャンドラーはこの口争いを聞きたくなくて出ていってしまったのだろうか。まだ小さい私は邪魔になるだろうか。
雷帝が帰ってくる前に出ていった。
「母さん、シルバニアファミリーにはアルバニアファミリーってお友達がいるのよ」
「父さんに言いな。またそれを買ってもらいたいとでも言うのかね、マケドニアだか何だか知らないが」
「だけどマクマードは・・」
「だけど、はやめなさいって言ったでしょ」
このお人形たちは「買ってもらった物」ではないのに。ズーズーは口を噤んだ。
父さんが立った気配がするとズカズカと広げたシルバニアファミリーの前を革靴で通ってかけてあった帽子を被った。
「もうお帰りですか。お手伝いのこと考えといてくださいよ」またエプロンで母さんは手を拭く。
出ていく時に一度、ふざけて父はズーズーに自分の大きな帽子を被せた。
「またね、父さん」
夜になってチャンドラーが帰ってきた。しんとした家の中を見回している。ズーズーはまだシルバニアファミリーを玄関前に広げていた。
「兄さん、どこへ行ってたの」
「家に帰ったら財布がなかったからどこかと思ってさ」
チャンドラーは青い革でできた折り畳み財布を手でポンポンやっている。
と、ズーズーの横に座った。
「街を回ってきたにしては早いんじゃない?」
「街のあちこちには近道があって、来たばかりじゃ分からないものさ」
秘密を打ち明けるように言ってから、チャンドラーは足を伸ばした。
「結果オーライってわけにはいかんかなあ」
その声には父さんと同じ深いため息が込められていた。
「もうすぐまたマクマードが生まれるのに」ズーズーはマクマードを少し動かした。
「あっ、弟の名前決まったのか」
「あとそれから、お手伝いさんが来るのよ」
「母さんは?」
「寝てる」
そっか、と勢いをつけてチャンドラーは立ち上がった。
「父さんと母さん、何か言ってた?」
「何か、マグダレンの子のシモネッタに父さんが何かしたって。マグダレンって私たちのお姉さんよね? だけど・・」
だけど、と言いかけてズーズーは口を噤んだ。
「だけど?」
「ううん」ズーズーは首を振った。
「いいか」ズーズーが肯くと、上からチャンドラーはズーズーの髪を掴んでグシャグシャにした。
古いカナリヤが鳴いている。
その日、チャンドラーは父のことを雷帝とは呼ばなかった。