幸せの似姿
幸せの似姿
「僕たちは離婚した父親の子供だろ。どうして可愛いんだろ」
マクマードは兄のチャンドラーと電話で話していた。
「母性本能かな?」
「母性本能? あの母さんに限って・・」
電話の向こうでチャンドラーは笑っているようだ。
少年少女の合唱が聞こえる。
コットンの白いシャツを真夏のように着て
カラリと君が駆けてくる
日に焼けた襟足がオレンジに光る
日暮れまで遊ぼうね
約束した
なつかしい海の鼓動
思い出しにゆこうね
そこから生まれる風をふたりで数えよう
いくつもいくつも数えよう
心ごと私も風になって
君の胸まで吹いてゆきたい
君の胸ポケットにつかまった
風になりたい風になりたい
「ああ、日本の奴がかけてるんだ。夏の少女のまなざしでだったかな」
「僕も普通の思い出が欲しいよ」
チャンドラーは言いづらそうに黙った。
僕のところにもチャンドラーのところにも同じ太陽が出てるなんて信じられないまま。
「父さんに黙って軍隊に行ったから、怒っていたな」
「耳の中はウールでできています」
「マクマードは父さんに毒されてないんだな」ほっと安心するようにチャンドラーは息を吐いた。
「休み? 休みってどういう事?」
「休みってのは何にもないってことだ」
「へえ、訓練生にも休みがあるの。じゃまた電話かけるね」
コットンの白いシャツを・・、マクマードは口ずさみながら、洗濯物を広げた。夏だからよく乾く。チャンドラーのいる営隊の砂の匂いがした。
自分が通る時、水槽の影が映った。
熱帯魚を飼い始めたのはマクマードの趣味だ。
青空が空に貼り付いている。
「弟なんですけど、チャンドラーいますか。チャンドラー・ティーカップ・ソール」
「さあ、今はいないみたいだけど」
「じゃあ、前言撤回しますと伝えて下さい」
チャンドラーは違う営隊にいた。
「俺が隣人を愛さなくたって神は罰を与えるのかねえ。それじゃ隣人を愛してないってことじゃないか」
「あーあ、女でも抱けば楽に寝られるのにな」
チャンドラーは男たちの下ネタと堕落に辟易していた。
チャンドラーは今、自分の部隊から逃げ出したアンダーソンという男を探しているのだ。
どうやらマラサースに逃げるつもりらしい。せっかく俺が努力してるのに。
とにかく連れ返すんだ。
ティーカップ・ソール家は靴の型を取る仕事で財を成した。
「煙草に濃いも薄いもあるのか」チャンドラーは他の訓練生に言われて聞いた。
「ここからマラサースまでどのくらいある」
みんなは笑った。
「あの見える街がマラサースさ」
目を横に向けるとサンド色をした街が見える。
チャンドラーは煙草を前に放って腰に付けた袋を持ち直した。
沢を抜けて、すぐマラサースの街に着いた。ひっそりとしている。
チャンドラーが兵隊だと知ったら何かと売りつけようとする人たちが群がってきた。
「ここから外へ出るにはどうしたらいいんだ」
言葉が通じなくていらいらした。やっと男の一人がのっぺりした建物を指差した。
古いホーム駅らしい。
アンダーソンはそこで隠れて家族からの手紙を泣きながら読んでいた。
膝を折って狭い所に押し入れた体は軍服を着た少年のようだ。
「よお」木板を一枚開けて、チャンドラーは声をかけた。
目に滲んだ涙を隠そうともせず、アンダーソンはしゃくり上げた。
チャンドラーは駅で電車を待っているようにアンダーソンの前に座った。
「キリストは靴磨きの職人の中にいるのさ。決して人の顔を見ようとしない。罪を見てる」アンダーソンに聞かせようとしたのかチャンドラーは呟いた。
「俺の隣人になるか」
「チャンドラー、卵ってパスタに合わないのかな。だって卵を主役にした卵パスタってないよね」
チャンドラーは元の営隊に帰っていた。
「母さんは察しがよすぎる」チャンドラーは言った。
「なあ、マクマード。俺はどんな難題も片手勝負だった。男が罪だったってことか」
マクマードはそれを笑って聞いていた。
「今、僕はエンプティーにある」チャンドラーは言った。
「本当の金持ちはねえ、目先の金にとらわれないってことさ」
マクマードはそれを聞いていたが、いつからか緊張で口からプラスチックの匂いがするようになった。
この電話が戦争に通じてるかと思うだけで喉がカラカラになるのだ。
「お前も俺も幸い中の不幸なんだよ」
それから数日後、マクマードは地上で溺れるがごとく足をバタバタさせていた。
蝋のような足を上げて、自分の足を見ていると、チャンドラーからの電話があった。
「マクマード、やっと分かったよ。外に出て浜に出てごらん」
マクマードはすぐそうした。
玄関を開けると虫の匂いがした。
だが、マクマードはすぐに引き返して電話を取った。
「砂が熱くて歩けないよ」
それが普通の思い出なんだ、と二人は気づいた。
「戦争も欲まみれさ」そう言ってチャンドラーは電話を切った。
ズーズーが訪ねて来たのはそのすぐ後だった。
手にはスワロフスキーがある。チャンドラーから送られてきたのだと言う。
その日はズーズーから二人の兄姉のことを聞いた。
二人とも父さんの顔を見ないで生まれたマクマードの味方だということ。
ハッサンが親代わりだったマクマードのことをずっと心配していたこと。
「私、いい子だったよね」
マクマードは一人になった家からズーズーが出ていく時、渾身の思いやりを込めてドアを閉めた。