こんなに鈍くていらっしゃるなんて
「ゼン、お前まさか、10日以上ずっと校門の前で俺たちを待ってた訳じゃないよな?」
「はは、まさか」
オスニエルは、ゼンと言葉を交わしながら階段を上がっていた。
エティエンヌは早々に自分の教室に向かって共にはいない。
久しぶりで、しかも不意打ちのゼンの挨拶にしどろもどろで返した後、真っ赤な顔で逃げて行ったのだ。
それに何かを感じたのか、今日はゼンもまた微妙に顔がニヤけている。
「五日前に事情を聞いてからは待つのを止めてたさ。今日の事は父が教えてくれた。だが、ジュヌヴィエーヌ嬢はどうしたんだ? 父の話では彼女も今日から・・・」
「ごきげんよう、オスニエル王太子殿下」
教室に入る直前で声をかけられ、オスニエルとゼンは足を止めた。
「シャルロ嬢」
「長く学園をお休みされていたので心配しておりました。体調を崩しておられたのですか?」
「いや、公務が立て込んでいただけだ」
「そうでしたか、ご病気でなかったのならよかったです。安心しましたわ」
頬に手を当て、軽く首を傾げながら微笑んだのは、カナライア・シャルロ。
以前にオスニエルの婚約者候補に名が挙がった令嬢たちの一人で、教室は違うがオスニエルと唯一の同学年だ。
「心配いたみいる。公務次第で学園を休むのはままある事なので、今後は気にしないでくれ」
どこか悦に入った顔で心配を口にするカナライアをいささか奇妙に感じたが、オスニエルは当たり障りのない返答をした。
「そんな! わたくしにまで気を遣わなくても大丈夫ですわ。王太子として抱える責務や重荷がどれだけのものか、わたくしには想像するしか出来ませんけれど、そんなオスニエルさまを心から尊敬し、お支えしたいと常から思っておりますので」
「ああ、いや、その、気持ちはありがたいが、俺は大丈夫だから」
「そうなのですね。真面目に公務に励まれるだけでなく、謙虚でもいらっしゃるなんて。素晴らしいお方にお仕え出来て、わたくしも父も幸せに思っておりますわ」
「そ、そうか」
オスニエルは、ちらりと隣のゼンに視線をやった。これまで大して言葉を交わした記憶もないが、侯爵家の令嬢である為、無下に会話を切り捨てるのも戸惑われた。
だが教室前で立ち止まっての会話に、人の目が集まり始めている。
察したゼンが、「王太子殿下」と口を開く。
「もう少しで予鈴が鳴る頃かと」
「おお、そうか。では教室に入ろう。シャルロ嬢、失礼する」
「はい、オスニエルさま。ごきげんよう」
「ああ、ではまた」
カナライアは、にっこり笑って頭を下げると、機嫌よく一つ手前の自分の教室に戻って行った。
腕に縋りつく訳でもなく、目の前で転んだフリをするでもなく。
ただ、続いた欠席を心配するのみで去って行ったカナライアに、オスニエルは最初に抱いた少しの警戒心も消え、可もなく不可もない印象だけを残した。いや、少々可寄りだろうか。
そもそも大した出来事ではなかった為、オスニエルの頭の中はこれから始まる授業に早々に切り替わるところだった。
だが、その時。
「ジュジュが一緒でなくてご機嫌でしたわね」
小さな声で囁かれた、聞き捨てならない言葉は、だが確かにオスニエルの耳に届いた。
「な・・・っ、テレサ嬢?」
かつては婚約者の筆頭候補だった、それなりに長い付き合いの令嬢だ。
しかも、ジュヌヴィエーヌと一番仲良くしている筈の人である。
オスニエルは不快感を隠しもせず斜め後ろの席を振り返り、ぎろりと睨みつけた。
そんなテレサは、隣の空席に一度ちらりと視線を向けてから、自分に向けられた鋭い眼差しに臆する様子もなく、オスニエルを真っ直ぐに見返し、口を開いた。
「こんなに鈍くていらっしゃると、フォローをしているこちらがバカバカしくなりますわ。この先の学園生活が不安でなりません」
「は・・・?」
「わたくし、国王陛下を応援しようかしら。あの方なら、しっかりジュジュを守ってくださるでしょうから」
「何を・・・」
依然、テレサの声は顰めたまま。
けれど、オスニエルには雷鳴のように、テレサの言葉が頭の中を轟いた。