気づかない振り
「はぁ、書類が全然なくならない・・・疲れた・・・癒しがほしい・・・」
国王エルドリッジの執務室にて。
大きな書類の山を前に、この部屋の主が羽ペンを放りながらぼやき始めた。
宰相ホークスは認可済みの書類をひとまとめにし、机の端でトントンとならしつつ、呆れ顔で口を開く。
「癒しの存在を自ら手放したのは陛下でしょうに」
「そうですよ。ただでさえ週に数回の貴重な癒しの時間だったのに、辞めさせちゃうなんて」
「作業効率が明らかに下がったのは陛下のせいですからね」
ホークスに続いて文句を言ったのは、執務補佐その1のスタンリーと、その2のハービスだ。
2人は、知らぬ間にジュヌヴィエーヌが解任されていた事を非常に残念がっていて、折りを見てはエルドリッジに文句を言う。
「重要度、緊急度を考慮して書類を並べ替えてくれたりとか、誤字脱字のチェックとか、計算や記載ミスの指摘とか、地味に助かる仕事をしてくれてたのに、何で解任しちゃうかなぁ」
「執務室に帰って来てほしいですよねぇ。ジュヌヴィエーヌさまの文官服、可愛かったのになぁ・・・今は学園かぁ、ちくしょう、制服姿も見てみたいなぁ」
「そこの2人。うるさいよ。口より手を動かせ」
エルドリッジが注意するも、効果はほぼない。
ジュヌヴィエーヌが正式な学園の生徒になってふた月と半、この類の遣り取りは、もはや日常となっている。
ジュヌヴィエーヌが抜けた穴は思いの外大きかった。時間を取る確認作業、及び効率を上げる事前作業役が抜けたせいで仕事の進みが遅くなっただけでない。執務室の面々の士気が大いに下がったからだ。
その士気が下がった筆頭が、ジュヌヴィエーヌを解任した当人であるエルドリッジなのだから尚さら笑えないし、側付きの視線が鋭くなるのも仕方ないと、ホークスは2人の文句を止める事はない。
「陛下、今からでも遅くないから、ジュヌヴィエーヌさまを戻しましょうよ」
その1その2も、ジュヌヴィエーヌの立場を知っている。側妃ならば側に置いて当然なのに、わざわざ学園に入れて他の男の目に晒す理由が、彼らには分からないのだ。尤も、2人は白い結婚の内情については知らされていないから仕方ない。それを知っているホークスでさえ、止めとけばいいのに、と思ったのだから。
「考えなしの令息にちょっかい出されたらどうするんですか? 困るのは陛下でしょう?」
その2の言葉に、確かにそれは困る、とエルドリッジは思った。
だが、出会いの機会を制限するのはジュヌヴィエーヌの為にならないと、胸のもやもやに敢えて目を背ける。
だから、エルドリッジは返答に詰まり、何も返さなかった。すると沈黙を肯定と取ったその1が言った。
「ジュヌヴィエーヌさまは魅力的な方ですからねぇ。執務室で働くようになった当初、何かと用事を作って出入りする文官が爆増したのをお忘れですか? あの時は陛下の威嚇で蹴散らしましたが、学園ではそれは出来ないんですよ?」
「そうですよ、沢山の令息が寄って来ちゃっても、陛下は追い払えないのに」
「・・・オスがいるだろ。あいつもそのつもりで同じクラスにしてくれと頼んだんだろうし」
そんな事を言いながら寂しそうな表情を浮かべているのを、本人だけが知らない。
「あ~、ジュヌヴィエーヌさまの淹れてくれたお茶、美味しかったなぁ。お菓子の差し入れも癒しだったなぁ」
その2の呟きに、本音では同意しかないのに、エルドリッジは素直にそう口に出せなかった。
羽ペンを握る手は、今日もどこか重たい。
その理由には気づかない振りをするエルドリッジだった。