思うようにはいかなくて
―――どうして、エティエンヌが絡むと僕はいつもポンコツになるのだろう。
ゼン・トリガーは今、そんな考えに頭を悩ませている。
いつからか、エティエンヌの側にいると、ゼンは思うように振る舞えなくなっていた。
焦れば焦るほど、ますます言葉はゼンの口から出なくなって、ひと言ふた言が精々で。
―――でも大丈夫。僕はエティエンヌの婚約者になるんだから。
ほぼ決定事項だと、宰相の父に聞いていたから。
だから、今は多少拗れても平気、なんて。いくらでも後で挽回できるなんて。
酷い自惚れだったとゼンが理解したのは、婚約の話がなくなったと父ホークスから聞かされた時だった。
エティエンヌの信頼を取り戻さなくては。
そう思ったゼンは、エティエンヌとの会話を想定した会話練習帳なるものを作り、毎朝練習するようになった。
練習してはエティエンヌに会いに行き、上手く喋れずに帰って来てはまた練習量を増やし。
そうやってどんどんと増やしていった会話練習帳は、いつの間にか100枚を超える厚さになっていた。
だが、それだけ練習を重ねたにも関わらず。
ヒロインが近く現れるサインである熱病が発生し、さぞや心細いだろうと朝にエティエンヌの元に駆けつけた時。
ゼンの第一声は『きょ』で終わった。
―――『きょ』って何だよ、『きょ』って!
今日からオスが帰って来るまで、僕が学園まで送迎するから、そう言うつもりだったのに。
焦ったゼンは、その後さらに言葉を重ねようとするも、結局はカタコトで終わった。
だが、ここでめげてはいられない。
時は有限、ヒロインの登場は近い。ゼンは何としても、エティエンヌに自分は味方である事を証明しなければならない。
―――僕が好きなのはエチで、ヒロインじゃない。僕は絶対にヒロインなんかに惑わされない。
練習量をさらに増やし、鏡の前で笑う訓練もさらに念入りに行い、エティエンヌに嫌がられても馬車で学園まで送り迎えを続け。
そうして、遂に光の柱が立った時、ゼンは一目散にエティエンヌのいる教室へと走った。
―――大丈夫、僕がいる。僕がエチを守るから。
そう言いたくて、でもやっぱり何も言えなかったけれど、気持ちを込めて抱きしめた。
なのにどうだろう。
数週間もしないうちに、事態は急展開を迎えた。
王太子オスニエルや、第二王子シルヴェスタ、宰相の子息であるゼンたちを籠絡するというヒロインは実は男で、ヒロインになるよう母親に強制された被害者だと判明した。
エルドリッジ国王の計画では、神殿に押し込めたまま、大神官たちごと粛清する筈が、いつの間にか王城に保護され、エティエンヌと仲良くなっているではないか。
しかも、エティエンヌがつけたという(間違い)新しい名前までもらっているのだ。
―――なんとか、なんとかしなければ。
自分がヒロインに籠絡されなければいいという話では最早ない。
男と判明したヒロイン改めトーラオが、エティエンヌを好きになってしまうかもしれないのだ。
―――いや、絶対に好きになる。好きにならない筈がない。
なにしろエチは、普段は強気なのに妙に打たれ弱いところがあってそのギャップがたまらなく可愛いし、会話も上手で気配りも出来る上にユーモアのセンスもあるし、優しいし、笑顔が魅力的だし、負けず嫌いの努力家だし、可愛いし可愛いし、とにかく可愛いし!
そう思ってオスニエルの執務室に突撃すれば、国王陛下に話せと言われてしまった。
―――冷静に考えれば、当たり前の事だった。
勢いを失ったゼンは、とぼとぼと、それでもやっぱり言われた通りにエルドリッジの執務室へと向かっていた。
側近でもないし、仕事の用事で行く訳でもない。
だから、すんなり会って話せる筈もないのに、今のゼンはそんな事も思いつかない。
でも、ゼンは後で知る事になる。
トーラオの事で、色々と思い悩む羽目に陥っているのは、なにもゼン一人ではなかったと。
ゼンが相談に行こうとしている国王エルドリッジその人もまた、結構なダメージを受けている一人である事を。