続編の悪役令嬢は物語の開始を知る
『お前の我が儘はもう沢山だ』
『少しは王女としての自覚を持ってはいかがですか、姉上』
『好きで君の婚約者になった訳じゃない』
『傲慢な王女』『国王が甘やかすから』『また聖女さまを困らせて』『本当にエティエンヌ殿下には困ったものだ』『また問題を起こされても・・・』
―――違う、私はそんな人間じゃない。
私は―――私は悪役令嬢なんかじゃない。
『離宮に幽閉か、いや国外追放か』『聖女さまを傷つけようとしたのです、生半可な刑罰では・・・』
―――やめて、私は・・・
「・・・はっ」
暗闇の中、エティエンヌは目を覚ました。
うなされていたのだろう、汗でぐっしょりと夜衣が濡れていた。
「・・・夢・・・か」
小さく呟いた声は、静まり返った室内で思ったより響いた。
昨日、遂に続編の物語『アデラハイムに咲く花』が始まった。
大神殿の裏庭にある湖近くで巨大な光の柱が立ったのだ。そしてそれは、王都にいる多くの人たちが目撃した。
光の柱が立ったのは昼過ぎで、その時エティエンヌもオスニエルも学園にいた。
光の柱は天から地へと大きく貫くように立ち、否が応でも王都中の視線を集めた。
学園からも見えたそれに、一時期教室内、いや学園内が騒然となった。
この時、エティエンヌが感じたのは恐怖、そして焦りだ。
とっくに覚悟していた筈の、けれど来ないままならそれが最善だった、続編のヒロイン、ナナの登場シーン。
それは、続編の悪役令嬢役であるエティエンヌにとっては、断罪への幕開けを意味するものでもあって。
エティエンヌは、胸がばくばくと激しく鼓動を打ち始めるのを感じた。
一刻も早く王城に帰りたいと、エティエンヌは思った。
早く王城に帰って、ジュヌヴィエーヌの顔が見たかった。
一作目の悪役令嬢、けれどその筋書きから抜け出して、父王エルドリッジの仮初の側妃としてこの国に来たジュヌヴィエーヌの微笑みを見れば、安心できそうな気がしたから。
その後、通達が来たのか、授業は早めに切り上げられる事になった。
エティエンヌがどこかぼんやりしながら帰り支度をしていると、教室の後ろ扉から彼女の名前を呼びながら1人の青年が飛び込んで来た。
エティエンヌが今一番会いたくない人、ゼン・トリガーだ。
続編『アデ花』でエティエンヌの婚約者だった人。ヒロインに恋をして、エティエンヌの断罪に加わる人。
―――なんでこのタイミングで、ここに来るのよ・・・?
余裕のないエティエンヌは、さっさと追い払おうと勢いよく振り返る。けれど、彼女の視界はすぐに紺色に塗りつぶされた。
え?と思うより早く、頭上からゼンの声が降ってきた。それで分かった、エティエンヌは今、ゼンの腕の中に捕まっている。
エティエンヌの頭は、ゼンの紺色のブレザーに押しつけられていた。
「ちょ、ゼン、苦しいわ。離して」
「エチ・・・・・・エンヌ王女、殿下・・・」
―――だから、なんでいちいち言い直すのよ。
ただでさえ泣きたい気分だったエティエンヌは、ゼンの他人行儀な呼び方に眉を顰めた。
大体、なぜゼンに抱きしめられる格好になっているのか。今のエティエンヌとゼンは、婚約者でも何でもないのに。
「・・・離しなさいよ」
少しばかり低い声が出た。
ヒロインがこの世界に現れた動揺と、未来への恐怖と、会う度に居心地の悪さを感じさせる幼馴染みの存在とで、エティエンヌはもういっぱいいっぱいだ。
だが、ゼンは引かなかった。相変わらずろくに喋らないが、エティエンヌを抱きしめる腕には逆に力がこもる。
まだ残っていた生徒たちが、その光景を見てざわつくのが聞こえる。エティエンヌはいよいよ焦ってゼンに離れようとしたのだが。
ゼンは全く力を緩めようとしなかった。
それより数分後。
兄オスニエルが教室に迎えに来るまで、ゼンの無言の抱擁は続いた。
「・・・あれは一体、何だったのかしら」
寝台の上、起き上がったエティエンヌは、ぽつりと粒いた。
悪夢にうなされ、激しく脈動していた心臓は、昨日の学園での出来事を思い出すうちに別の感情へと塗り替えられていった。
今は、あの時のゼンが何を考えていたのか、そちらの方を気にしてしまう。
「もし・・・もし、私がこのまま悪役令嬢にならずにいられたら」
ぽつり、エティエンヌが呟く。
「ゼンはまた、私のことをエチと呼んでくれるようになるかしら」
今はまだ、父たちが神殿とどんな遣り取りをしているのか、エティエンヌには知らされていない。
学園から早めに戻ったものの、オスニエルはすぐに父の執務室に向かい、それきりだ。
王城内はずっと慌ただしく騒がしく。
夜になっても、エルドリッジとオスニエルが王族の居住棟に戻って来る事はなかった。
でも、それでも。
今、この暗闇の中、悪夢にうなされて飛び起きた筈のエティエンヌが、少しばかり気を落ち着かせられたのは。
きっとあの時、焦った顔で駆けつけた彼が、無言のままずっとエティエンヌを抱きしめてくれていたから。
エティエンヌが離せと言っても、決して腕を解こうとしなかったから。




