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私に必要なのは恋の妙薬  作者: 冬馬亮
閑話 『アデ花』を読む女
52/97

前編

※マインドコントロールや虐待を連想させる描写があります。不快に思われた方はすぐにブラウザバックをお願いします。




早見川(はやみかわ)七彩(なないろ)は、母が嫌いだ。



世界で一番嫌いだ。


いつからそう思っていたかは分からない。


けれど、もし七彩(なないろ)に、生後すぐからの記憶があったなら、役場に出生を届け出たその瞬間からだと答えただろう。



『ナナ、あたしの可愛い娘。あなたはいつか別の世界に行って、王子さまと結ばれるのよ』



幼い時から飽きるほどに繰り返された言葉は、最初の頃は意味も分からず、けれど音だけは覚えて、空で言える様になっていた。


ただ呪文の様に何度も何度も繰り返されたそれは、七彩(なないろ)を、七彩(なないろ)の周りを、見えない鎖で縛っていく。




七彩(なないろ)の食べ物も着る物も、好きな色や趣味さえ母が決めた。


理由は単純、「七彩(なないろ)はナナだから」。



『ナナはね、フルーツが好きなの。特に苺とマスカットが大好きで、朝食はいつもフルーツサラダ。あっち(・・・)のものは少し色や形が違うから、転移した最初の頃はこっち(・・・)を恋しがって泣くのよね』



そう言って毎朝出されるフルーツサラダを前に、七彩(なないろ)は知るか、と心の中で毒づいた。



あっち(・・・)でナナは、王太子にカツサンドを作ってとても喜ばれるの。だから作り方を覚えておかないとね』



台所に一緒に立つ時は、いつも決まってそんな理由。



『ナナ、あなたは続編のヒロインなのよ』



うっとりと、けれど決して七彩(なないろ)本人を見ていないその目を細め、母は言った。



続編とは、『マルセリオに咲く美しき花』の後に書かれた『アデラハイムに咲く美しき花』のことだ。



20年以上前にWeb上で公開されたというその小説は、その後数年して出版化されたらしく、七彩(なないろ)の母の愛読書となっている。



いつも手元近くにその2冊を置き、時間があれば読んでいる。そしてその後は決まってどこか遠くへと視線を彷徨わせるのだ。



自分の子どもを愛読書の小説と重ねる母は、出産後すぐに、子の名前を七彩(なないろ)と決めて書類を提出した。



七彩(なないろ)とは、続編のヒロインの名前だ。

15の時に異世界に転生し、そちらの世界でナナと呼ばれる少女。



だが、七彩(なないろ)七彩(なないろ)の母は現実にはこちらの世界にいる。

なのに、彼女を娘をナナと呼ぶ。

それはもう、七彩(なないろ)が思い出せる限りの昔の頃から。



そう、彼女は母から一度も「七彩(なないろ)」と呼ばれた事がないのだ。



七彩(なないろ)は知っている。


母は、七彩(なないろ)なんか見ていない。


七彩(なないろ)が誰なのか。何が好きで何が嫌いで、本当のところはどんな人なのか、見ようとはしない。



だから、自分の子に()()()()()()が出来るのだ。






「・・・っ、最っ低・・・っ」



七彩(なないろ)は眼前に広がる光景に、小さく舌打ちした。



母にとって大切なのは、愛読書の様に、ある日異世界に飛んで行ってしまうヒロインのナナであって、身長がこれ以上伸びない様に食事を制限されている七彩(なないろ)ではない。




『ナナはすらっと細身なの。横に成長しては駄目よ。身長も170㎝で止めなくちゃ』



そう言う母自身、ハーフであるせいか173㎝という長身だ。離婚した父親は181㎝だから、母の要求は、遺伝的にも少し難ありの筈。



だけど、食事制限など瑣末な事だったと、今の七彩(なないろ)なら思うだろう。



正直、母のナナへの執着を甘く見ていた。

いくらなんでも諦めると思っていたのだ。15歳になって、そのまま何も起こらずに16になれば、このナナの呪縛から解放されると。


逃げるべきだった。

生まれた時から絶対的な強者として 七彩(なないろ)を支配してきた母に逆らうなんて、そこから逃げ出すなんて、そもそもが無理だとしても。



「・・・っ」



轟々と燃え上がる炎。


室内に充満し始めた煙を吸い込まない様に床に這った七彩(なないろ)は、口元を押さえ、目を瞑った。



『ナナはね、火事で煙に巻かれている時に時空を越えるの。15の秋の満月の夜だから、そろそろね』



七彩(なないろ)も、まさか母がそこまでするとは思わなかった。



そう、母は愛読書の通りに娘が異世界に行けるようにと、七彩(なないろ)を離れの一室に押し込めて火をつけたのだ。



『いってらっしゃい、ナナ。王子さまと幸せにね』



―――幸せに?



扉の向こうから聞こえた母の最後の言葉を思い出し、七彩(なないろ)は、小声で唸る。



「・・・っ、なれる訳、ないでしょうが・・・っ!」





その時だった。


うつ伏せで、しかも目を瞑っていた七彩(なないろ)の周りを取り囲む様に、光が現れたのは。








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