どうか、守れますように
週末、ジュヌヴィエーヌたちは馬車で王家直轄領をピクニックで訪れていた。
馬車で半刻ほど走ったところにあるその地には大きな森があり、中に少し入った所には小さめの湖もある。
今日の目的地はその湖、少し暑くなってきた今の季節にぴったりの場所だ。
一緒に来ているのは、オスニエル、エティエンヌ、シルヴェスタ、そしてルシアン。そう、王女と王子たちだ。
発案者はエルドリッジだが、残念ながら彼はまだここにいない。執務を多少片付けてから合流する予定である。
この場所に来るのは初めてだというルシアンは、馬車を降りて進んだ先、太陽の光を受けてきらきらと輝く湖面を見て、喜びの声を上げた。
「わあ、お義母さま、見て! 水がキラキラ光ってきれいです!」
「わわ、ルシアンさま、急に引っ張ったら・・・っ、きゃっ」
はしゃぐあまり、ルシアンはジュヌヴィエーヌと手をつないだまま走り出そうとする。
貴族令嬢として大した運動能力を持っていないジュヌヴィエーヌは、その動きについていけずに転びかけ・・・。
「おっと」
オスニエルにしっかりと後ろから抱きかかえられた。
「大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます」
オスニエルは驚いて目を丸くしているルシアンに視線を向ける。
「こら、ルシー。いくら嬉しいからって、ジュヌヴィエーヌまで引っ張って走っては駄目だ。転ばせて怪我でもしたらどうする?」
「ご、ごめんなさい。僕つい・・・大丈夫ですか? お義母さま」
「え、ええ・・・大丈夫よ、オスニエルさまが支えて下さったから・・・」
ジュヌヴィエーヌはルシアンと目を合わせ、安心させるように微笑みかけた。
ホッと安堵するルシアンの向こう、何故か忍び笑いをするエティエンヌとジト目のシルヴェスタが見える。
ん? と首を傾げるジュヌヴィエーヌに答えを教えるかの様に、シルヴェスタが口を開いた。
「オス兄上、いつまでジュヌヴィエーヌを抱きしめてるつもりです?」
「へ?」
はっと我に帰って顔を上げれば、結構な至近距離でオスニエルと目が合った。
「・・・っ」
「っ、わ、悪い」
思わず息を呑んだジュヌヴィエーヌに対し、オスニエルは慌てて巻きつけていた腕を離す。
「・・・ルシー、見て回りたいなら俺が付き合う。ほら、行こう」
「えっ、うわっ」
何も言えずにいるジュヌヴィエーヌから目を逸らし、オスニエルはルシアンを連れて湖の方へとものすごい速さで歩いて行く。
けれど、ジュヌヴィエーヌの心臓はなかなか落ち着かない。恥ずかしさもあるが、申し訳なく感じたのだ。誰に? もちろんエルドリッジに。
シルヴェスタに指摘された時、エルドリッジがまだここに到着していなくてよかったと、そう思って。
けれど、ふと疑問に思う。
ここにいなくてよかった? どうして?
書類上は夫婦ではあるが、それは形だけ。
エルドリッジが気にする筈もない。
気にするのではないかと、こちらが気にする方がおかしいのだ。
では何が気になったのか、義理とはいえ息子の立場にある人の手を煩わせてしまった事だろうか。
いや、それもなんとなく違う様な気がする。
ならば、あんなに近くでオスニエルに顔を覗き込まれたから・・・?
「ジュジュさま。こちらに来て座りましょう」
胸のモヤモヤがよく分からなくてあれこれと思案していると、エティエンヌが声をかけてきた。
見れば同伴した侍女たちが、いつの間にか地面に広げた敷き布の上に、クッションやブランケットなどを置いて整えてくれている。
大きめの日傘と、ミニテーブルの上には城の料理人が用意した軽食まで。
散策に行ったルシアンとオスニエルとは真逆に、早々に敷き布に腰をおろしたのは普段から本ばかり読んでいるシルヴェスタだ。
景色など見向きもせずに、手に持っていた分厚い本を開き、読み始めてしまう。
エティエンヌとジュヌヴィエーヌも、まずは馬車移動で痛んだ腰と背中を休めようと同じく座る事にした。
「エルドリッジさまは、いつ頃お着きになるかしら」
先ほど思い出してしまったせいだろうか。
侍女から飲み物を受け取りながら、ジュヌヴィエーヌは彼の名を口にした。
「午後になる頃には来ると思うわ。こんな日くらいお仕事が休めればいいのだけれど、お父さまの場合はそうもいかないのよね」
エティエンヌの話では、昔はこういった遠出もたまにあったらしい。昔というのは、彼女の母アヴェラ、つまりエルドリッジの正妃が存命だった頃のこと。
「やっぱり、正妃不在の負担は大きいみたい。ずっと忙しそうだったもの。最近は、ジュジュさまがお手伝いに行ってくれてるのよね。ありがとう」
「そんな、私は大したお仕事は出来ていないわ。ちょっとした雑用くらいで」
「父上はすごく助かってるって言ってたよ」
シルヴェスタは、それまで読んでいた本から目を上げ、唐突に会話に加わった。
「日によっては早く眠れてるみたいだ。顔色も前より良くなってきてるしね。僕もジュヌヴィエーヌに感謝してるよ」
「シルヴェスタさま・・・」
「まあ、でも今はジュヌヴィエーヌの文官服姿が別の悩みの種になりつつあるみたいだけどね」
「え?」
「ああ、それ私も聞いたわ」
「あの、それはどういう」
意味を問おうとしたところに、オスニエルとルシアンが戻って来た。
はしゃいだせいで、喉が渇いてしまったらしい。
その流れで昼食を取る事になり、これからデザートの辺りでエルドリッジが到着した。
「僕の分は残ってるかい?」
そう言いながら隣に座ったエルドリッジに、ジュヌヴィエーヌは取り分けておいた皿をどうぞと差し出す。
「ありがとう」
にこりと笑って受け取ったエルドリッジの顔がやけに眩しく思えて、ジュヌヴィエーヌは慌てて視線を逸らした。
その後、皆で湖の周りをぐるりと歩き、ボートに乗ったり、いたずらに釣り糸を垂らしてみたりと夕刻近くまで楽しんでから馬車で戻った。
その道中、エルドリッジは楽しげにお喋りする我が子たちの様子を眺めていた。
本当なら、そう物語の通りであるならば、この時点で既に、エティエンヌとその兄弟との関係は破綻しかけている筈だった。
ひとつ防げた事に安堵し、もうじきもたらされるかもしれない知らせに気を引き締める。
それは、ヒロインが光と共に降臨する前に、この国に起きる災厄。
そのせいで民が疲弊し、拠り所を求めるようになり、神殿はその流れに乗って後に現れるヒロインを聖女に押し上げるのだ。
その前段階となる災厄の知らせが、もし本当に国王であるエルドリッジの元に届くなら。届いてしまうなら。
エルドリッジは拳を握る。
いよいよヒロイン降臨の現実味が増す。
座席の向かい側に並んで座るジュヌヴィエーヌとエティエンヌを見ながら、この笑顔を守れますようにとエルドリッジは願った。