迷いの森の魔女
「本当にこの方角でよろしいのですか、ジュヌヴィエーヌお嬢さま」
前を歩く護衛騎士の声に不安が滲む。
ジュヌヴィエーヌは今、護衛騎士2人と侍女を1人連れて、森の中を進んでいる。
護衛騎士は前と後ろに別れ、ジュヌヴィエーヌとそのすぐ後ろにいる侍女を守るように歩いていた。
鬱蒼とした森に入って既に半刻は歩いている。
昼間だというのに、陽の光は木々に遮られて辺りは薄暗く、枝の隙間から漏れる光は、頼りにするのが少し心許なく感じるほどだ。
ただの森というには漂う雰囲気がおどろおどろしく、先ほどから騎士たちも侍女も帰りたそうにしている。
無理もない、だってここはただの森ではない。魔女が住む『迷いの森』なのだから。
それでも、何度騎士たちに問われようと、普段は大人しいジュヌヴィエーヌには珍しく、進むと言ってきかなかった。
父から告げられた、降って湧いたようなアデラハイム国王との結婚話に、些かの現実味も感じず、ぼんやりとしたまま数週間を過ごした。
その後ようやく我に帰り、決められた人生であっても、せめて最善を願おうとジュヌヴィエーヌは考え、一つの結論に辿り着く。
けれど当然、その時にはもうあまり時間が残っていなくて。
出立はもう、約10日後に迫っていた。
明日からは、旅立ちの準備にかかりきりになるだろう。
だから、どうしても今日、魔女に会わなければならない。
そう、ジュヌヴィエーヌは、この森に住むという魔女オディールに願い事をしに来たのだ。
婚約者に捨てられ、家族に見放されたジュヌヴィエーヌは、これから遠いアデラハイム王国に行き、父親とほぼ年の変わらない国王の側妃として嫁ぐ。
貴族の娘であるジュヌヴィエーヌは、家長である父の決定には逆らえないと知っている。
ああ、でも。
もう義務感では動けない、とジュヌヴィエーヌは思ったのだ。
そう、今のジュヌヴィエーヌには縋るものが―――希望が必要だった。
「・・・っ、急に森がひらけた・・・?」
先頭を歩く護衛の戸惑った声に、止まりかけたジュヌヴィエーヌの思考が動き出す。
視線を上げれば、先ほどまでとは違う光景。
一か所だけ、木が一本も生えていない場所に小さな家が立っていた。
煙突のついた青い屋根に、壁は濃い緑、何か所かについている窓の枠は真っ赤で、扉は黒。
毒々しいというか、なんとも目に痛い配色の家に、先頭にいた騎士が「うわ」と呟く。
「お嬢さま、もしやここが・・・?」
ここまで必死になって付いて来てくれた侍女に、ジュヌヴィエーヌは頷きを返す。
「やっと辿り着けたのね。迷いの森の魔女、オディールの家に」
すると、勢いよく真っ黒の扉が開き、中から背の高い、赤毛の美女が顔を覗かせた。
「もう、あなたたちったら、諦めが悪いわね。どれだけ迷わせても帰ろうとしないから、こちらが根負けしちゃったわよ。仕方ないから話を聞いてあげるわ。さあ中へどうぞ」
そう言って、扉を大きく開いた。
離れた距離にいるというのに、その魔女がやたらと背が高いせいか、それともケバケバしい程にしっかり化粧を施した顔のせいなのか、立っているだけでかなりの威圧感がある。
ジュヌヴィエーヌたちが気圧されて何も言えずにいると、魔女は、ただし、と人差し指を立てた。
「入れるのは私に願い事をしたい本人だけよ。それ以外はそこで待機。イヤならそのまま帰ってちょうだい」
「な・・・っ!」
その言葉に殺気立つ騎士たちを手で制し、ジュヌヴィエーヌは覚悟を決めて前に出る。
「ジュヌヴィエーヌ・ハイゼンと申します。迷いの森の魔女、オディールさまに願い事があるのは私でございます」
中にお邪魔してもよろしいでしょうか、とカーテシーをすれば、魔女は「ふうん」と楽しそうに目を細めた。