それぞれの、それぞれへの思い
「お義母さま、これを見てください」
そう言ってルシアンがジュヌヴィエーヌの前に差し出したのは、一枚の紙。
「これは・・・先生からの課題かしら?」
「はい!」
にこにことルシアンは続ける。
「ぼくの答え。ぜんぶ合ってました!」
「まあ!」
ルシアンはよほど誇らしいのか、心持ち胸を反らし加減で報告する。
「褒めて褒めて」と心の声まで聞こえる気がして、ジュヌヴィエーヌも思わず口元を緩ませる。
「すごいわ、ルシアンはとっても賢いのね」
「へへっ、ありがとうございます」
そっと伸ばした手で頭を撫でると、ルシアンは嬉しそうに目を細める。
その表情がまたとても可愛いらしい。
ルシアンは、ダークグリーンの髪にトパーズ色の瞳、つまりエルドリッジの色をそのまま持っている。
オスニエルも父親似の様だが、彼よりも柔らかい印象のルシアンは、色以外でも父エルドリッジによく似ている。
だから、こうしてルシアンと時間を過ごしていると、幼い頃のエルドリッジと遊んでいる様で、なんだか特別な時間を過ごしている気分になる。
・・・子どもの頃のエルドリッジさまも、こんな風に頭を撫でられて喜んでいたのかしら。
そんな事をふと考えていると、胸の奥がくすぐったくなった。
「ジュジュさま、すっかりルシーと仲良くなったのね」
部屋に戻れば、エティエンヌがひょいと顔を出す。
隣同士の部屋になったお陰で、時間があると行ったり来たりしている2人は、今や親友と言っていい程に打ち解けている。
魔女の秘薬を持ち込むからと、ジュヌヴィエーヌは万一を考えて、侍女をこの国に連れては来なかった。
後で何か不測の事態になった時、誰かを巻き添えにする事のない様にと彼女なりに考えた結果だ。
孤独な異国暮らしを覚悟をした上での嫁入りだった筈がどうだろう、寂しがる暇もないくらい楽しく暮らせている。
しかも、お飾りの側妃と周囲から侮られない様に、エルドリッジが時々部屋を訪れては共に茶を飲んだりして時間を共に過ごしてくれている。しかも侍女の目を欺く為に2人きりで。
もちろん最初から最後まで健全な空気のままだ。
側妃である故に、執務も公務もない。
名ばかりである故に、唯一の責務である閨もない。
ただただ、のんびりゆっくり、ルシアンやエティエンヌと交流を深めているだけ。
マルセリオにいた時の事を思うと、とんでもなく緩い生活だ。
ただオスニエルやシルヴェスタとは、まださほど親しくなっていない。単純に、会う機会が少ないのだ。
アデラハイムもマルセリオ王国と同じで、15から18歳まで学園に通う事になっている。
オスニエルも今年入学し、平日の昼間は王城にいない。
学園以外に、城に帰れば王太子教育もあるし、鍛錬の時間も取っている。
過密スケジュールゆえに、朝と夜の食事の時間以外は会えないのが普通だとエティエンヌに説明された。
シルヴェスタはと言うと、彼は現在、魔法の研究にハマっていて、暇さえあれば私室や図書館で文献を漁ったり、調べ物をしたりしているらしい。
魔法は過去のものとなって久しい。
それを扱える者は、各地に散らばる魔女や魔法使いを合わせて12人しかいない。
故に魔法や魔法を使う存在は、今はなかなか目にする機会もなく、それがまたシルヴェスタの目に壮大な浪漫として映ったそうだ。
「・・・まあ、でもね。あの2人が、異性との距離感にものすごく注意しているっていうのはあるかもしれないわ」
ある時、エティエンヌはそうジュヌヴィエーヌに打ち明けた。
それは『アデ花』の影響だと言う。
2人は共にヒロインに恋をし、婚約者を蔑ろにする。
オスニエルに至っては、最終的に婚約を破棄してヒロインと結婚までするのだ。
そんな話の流れを知る2人は、誰かを巻き込む事のない様にと、物語通りの婚約者を持つ事はもちろん、それ以外の令嬢たちとも距離を置いている。
問題回避の為の行動だったとはいえ、エティエンヌの心境は少々複雑の様だ。
「私が色々と物語についてぶちまけたせいで、皆の行動に枷を嵌めてしまった様な気もするの。物語の通りになったら大変な事になるのは間違いないけど、今はまだ正解が分からなくて・・・これで本当に良かったのかしらって、時々心配になるのよ」
そう話すエティエンヌは、どこか苦しそうだった。
この時のジュヌヴィエーヌは、まだ知らなかったのだ。
オスニエルもシルヴェスタも婚約者を未だ決めていない。
けれど、それはエティエンヌにも言える事だった。
幼い時から近くにいた人で、家族以外で言うなら誰よりもエティエンヌを知っている人、そして婚約者にも名乗りをあげていた―――そんな人がいた事を。
続編の小説『アデラハイムに咲く美しき花』の中では、エティエンヌの婚約者として登場し、後にヒロインに心を奪われ、悪役令嬢エティエンヌの断罪に協力する侯爵令息ゼン・トリガー。
彼がエティエンヌをどう思っていて、エティエンヌが彼をどう思っているのかなど何も。
何も知らなかった。