義務感では駄目だった
「ジュヌヴィエーヌ。君との婚約を解消する」
約ひと月ぶりに会った婚約者は、開口一番、ジュヌヴィエーヌにそう告げた。
婚約者ファビアンはマルセリオ王国の王太子で、ジュヌヴィエーヌは未来の王太子妃、そしていつかは王妃となる筈だった。
―――今日、ファビアンから婚約解消を告げられるまでは。
「⋯⋯」
一瞬、ジュヌヴィエーヌは言葉に詰まる。
何と答えたらいいのだろう。
嫌です、どうして、私が何をしたというのですか―――いえ、そのどれも彼の心には響かない。
だって、彼は政略上の婚約者ではなく、心から愛する人を見つけてしまったのだから。
―――だから。
「・・・承知しました」
ジュヌヴィエーヌは頭を下げ、そのひと言だけを口にした。
「・・・ごめんなさい、ジュヌヴィエーヌさん。でもあたし・・・ファビーを愛しているの」
「マリーが謝る必要はない。俺がこれ以上、自分の心を偽ることが出来ないんだ」
人払いがされたこの部屋には今、ジュヌヴィエーヌとファビアン、そして彼が真実愛する人であるマリアンヌの3人しかいない。
涙をこぼすマリアンヌの肩を抱き、2人の間にある深い愛について語るファビアンの眼に、婚約解消を告げられたばかりのジュヌヴィエーヌは映っているのだろうか。
6年もの長きに渡って、彼の婚約者として隣に立っていたジュヌヴィエーヌの姿は。
2人の婚約は、ジュヌヴィエーヌ10歳、ファビアンが12歳の時に、王命に近い形で結ばれた。
家格のつり合いや国内派閥間のバランス、資産や年齢、勉学の才などを考慮して選ばれた完全なる政略。
そこに当事者二人の相性や好みなど一切なく。
「ジュヌヴィエーヌ・ハイゼンと申します」
「⋯⋯ファビアン・ラス・マルセリオだ」
婚約者として初めて会った茶会の席は、ただただ、ぎこちなさと相性の悪さだけが際立つ顔合わせとなった。
幼さの残る2人が、自己紹介をしたきり会話が一向に弾まなかったのは、果たして彼らの責になるのだろうか。
真面目で、本好きで、少し人みしりはするけれど、もの静かな公爵令嬢と、多少傲慢だが明るく闊達、尚且つ剣技に秀でた第一王子は、もしかしたら互いに足りない所を補い合える良い国王夫妻になれたのかもしれない。
燃えるような愛を抱く事はなくても、思いやりと敬意と信頼で結びついた夫と妻に。
少なくとも、ジュヌヴィエーヌはそうありたいと願っていた。
その為の努力も惜しまなかった。王太子妃教育に懸命に励んだし、折々にファビアンへ贈り物をし、会えない時は手紙をしたためた。
容姿にも気を配った。気に入られていないと分かっていても、嫌われたくはなかったから。
そんな努力を重ね続けた6年間は、けれど結局、こんな形で終わりを迎えてしまった。
久しぶりの呼び出し、しかもなんの前置きもなく告げられた関係終焉の言葉。
でも、ジュヌヴィエーヌは驚きはしなかった。
ただ、ああ、と思っただけ。
ああ、やはり、と。
それは単なる諦めで、驚きでも絶望でもなかった。
やはり、義務感では駄目だったのだ。
『真実の愛』の前では、それはただの『まがいもの』に過ぎなかった。
自嘲にも似たそんな言葉を、心の中で噛みしめながら。
ジュヌヴィエーヌは、元婚約者の部屋を後にした。