5.妖精さんの苦手なもの
そのとき、ふいになにか冷たい気配を感じて、反射的に顔を上げた。
こっちを見ていたリクオルの眼は、同情でも哀れみでもなくて、ただ、何かをじっと考え込んでいるようだった。
けど、わたしの眼には、その後ろにいたもののほうが、もっとはっきりと映っていた。
無言で弓を取り、欠片も躊躇なく矢を放った。
一瞬の後、手前でびっくりしているリクオルが、妙に間抜けで可愛く見えてしまった。
「ちょっ、ジェルバちゃん?」
口の達者なリクオルが、その先の言葉が出てこない。
そのくらいびっくりしたらしい。
こんな素のリクオルは滅多に見られない。
思わず笑いそうになるのを堪えて、わたしはリクオルの横をすり抜けて、その後ろに落ちた獲物を拾った。
「ひぇっ、ひぇっ、びっ?」
振り向いたリクオルが目を剥いた。
せっかくの美少年が、台無しだ。
「蛇、ね。」
呂律のおかしくなっているリクオルを思わず訂正する。
まさか、毒、回ってるんじゃないよね?
リクオルを狙ってるのを見つけて、即座に撃ったから、噛まれてはいないはずだけど。
リクオルはどこぞの美少女のように後ろからわたしの肩にしがみついてきた。
小さく、かたかたと震えているのが伝わってくる。よっぽど怖かったらしい。
蛇を持っていない手のほうにちゃんとしがみついたから、まあ、判断力は大丈夫だろう。
「なかなか上物じゃないか。」
わたしはぐったりしている蛇の顔を見て、思わずほくそ笑んだ。
ぎょげーっと、後ろから、妙な声がする。
「じぇ、ジェルバちゃん?
あ、危ないから、それ、そっち、やってよ?」
「ん。ちょっと、待ってね。」
わたしはリュックから採集瓶を取り出すと、蛇の口を開かせて、牙をぐいっと押し付けた。
「ちょっ、なにしてんの?ジェルバちゃん?」
「こいつの毒は、なかなかいい素材なんだよぉ。」
とろぉりとろりと、蛇の毒牙から黄色い毒液が流れ出る。
うっひっひ。思わず妙な笑いが零れそうになって、あわてて口元を引き締めた。
ひぃえーーーっと、背中から悲鳴が漏れた。
「っ、ど、毒っ?毒、って・・・何にするんだ!」
声が裏返っている。
「毒ってのは使いようによってはいい薬になるんでしょ?」
リクオルの言ったことをそのまま返すと、また、ひぃえーーーっと悲鳴が聞こえた。
「ミッドナイトシェードの毒なんて、毒蛇に比べたら、可愛いもんだよ!
せいぜい、効きのいい惚れ薬になるくらいだから。
けど、そっちは、本気で人殺しできるじゃないか!」
「へえ~、惚れ薬。
そんなもん、作ろうとしてたんだ。」
思わず振り向いたら、リクオルが、電光石火で飛び退いた。
あ、しまった、蛇、持ったままだった。
「ちょっ、ジェルバちゃん?」
リクオルは涙目になって、信じられない、と口の中でつぶやいた。
「大丈夫だ、って。
こいつ、気絶してるから。」
「っ!っ、気っ、気絶っ?
ぃぃぃ、生きてんの?それ?」
リクオルは蛇を正視できないのか、顔を背けたまま、こっちを指さす。
「さっき当てた矢は先をつぶしてあるからね。
毒、取るだけなのに。殺すことないでしょ?」
「てか、そいつ、オレのこと、狙ってたよね?」
「ああ。
こいつ、主食が虫だからね。」
「っむ、虫っ?虫?オレ、虫?」
赤くなったり青くなったり。
リクオルのこんな様子は滅多に見られない。
わたしは堪りかねて笑い出してしまった。
「はぁっ?ちょっ、笑うとこ?そこ?」
声をひっくり返らせて、目を三角にしているリクオルがおかしい。
ちょっと、小さいころを思い出す。
リクオルは怖がりで泣き虫で。
森の生き物に出会うたんびに、いっつもわたしの背中に隠れてたっけ。
「大丈夫だよ。ちゃんと急所に当てたから。あと1時間は目を覚まさないって。」
「そうじゃないよ、ジェルバちゃん!
そこじゃなくてね?
って、ああ、もうっ!
にこにこしながら蛇持ってるし。
その蛇は、オレをお昼ご飯にしようとしてたんだし。」
「心配いらないって。
こいつの好物はジャイアントアントだから。
流石にあんたじゃ大きすぎるよ。」
「でも、毒、持ってんでしょ?」
「そうだよ。
この毒でアントの動きを封じて、ゆっくりと丸呑みにするんだ。」
「ひぃぇぇぇぇ・・・」
「あんたじゃ丸呑みにできないって。」
「でもでも、毒、あるんでしょ?」
「アントを痺れさせる毒だよ。
人間なら・・・まあ、一晩熱出してうなされる、くらいかな?」
言いかけたところで、ぱたぱたとずっと鳴ってる羽音に気づく。
「あ、そっか。あんた、フェアリーだっけ?
フェアリーだと、どうなるのかな・・・・・?」
「ひぃぇぇぇぇぇ・・・・・」
真っ青になったリクオルがなんだかちょっと気の毒になってきて、安心させようと付け足した。
「血清も持ってるし。万一噛まれても、大丈夫だよ。」
「そういう問題じゃないんだよ・・・
てか、オレ、虫?」
何故かいつまでもそこに拘っているらしい。
「羽あるし。飛んでるし。こいつ、ものすごく目、悪いし。
でも、こいつ、なかなか素早くてさ、滅多に捕まらないんだよね。
さっきはあんたに気を取られていたおかげで、うまく捕まえられたよ。
助かった。」
「容赦なしだね、ジェルバちゃん・・・」
リクオルは情けない顔をしてため息をついたけど、さっきより幾分かは落ち着いたみたいだった。
「そっか。いいこと思いついた。
ねえ、リクオル、こいつ捕まえるとき、あんた、囮になって、協力してくんない?」
そうしたら、もっと苦労せずに捕まえられる。
良い考えだと思ったんだけど、リクオルは目を剥いて首を振った。
「まっぴらごめんだ!
・・・てか、さっきは、一応、助けてくれたんだっけ?
その、・・・有難う。」
思い切り不本意そうに、むっつりとお礼を言う。
「お礼なんていらないから、もっぺん、囮、やってくんない?」
「お断りします。」
リクオルはバカ丁寧に頭を下げると、ぷいっとあっちを向いてしまった。
「・・・大丈夫だよ?噛まれる前に仕留めるから。」
諦めきれないわたしは思わず猫なで声になる。
リクオルはこっちを向くと、子どもみたいにあっかんべをした。
「やなこった。」
・・・可愛くない。
さっきはわたしの背中にしがみついて、小鹿みたいに震えていたくせに。
「ちぇ。」
「たとえ、ジェルバちゃんの弓の腕が確かで、オレが噛まれる心配なんかこれっぽっちもなくて、それに万一、噛まれたとしても、ちゃんと血清もあるから大丈夫、だとしても!
ぜぇっっっっっっっっったいに、いっ、やっ!」
そこまで強調しなくても、分かりましたよ。
しぶしぶ諦めて、ふっと思い出した。
「そうだ。あんた、惚れ薬、作りたいの?」
そう言った途端に、リクオルは、ひぇっ、と息を呑んで、それから恐る恐るこっちを振り返った。
「っそ、そうだよ?
なんか、文句ある?」
つんっ、と顎をそらせる。
なんだか、小動物が、思い切り無理をして、虚勢を張っているように見える。
へぇ~、と返したら、ちょっと赤くなって、むきになったように付け足した。
「っつ、作ってほしい、って、人から頼まれたんだよっ!」
「ふぅん。人、から?」
まあ、リクオルだってお年頃なわけだし。王都に行って二年も経ってるわけだし。惚れ薬を使いたい相手のひとりやふたり・・・
リクオルの声がオクターブ低くなった。
「なに、想像してるか、だいたい分かるけど。
断じて、オレ自身のためじゃないから。
オレはそんなもの、必要ないから。」
「そかそか。リクオルってば、モテるもんねえ?」
中身はともかく、あのルックスと、一見優し気な物腰に、くらりとくる女子は昔から後を絶たない。
でもさ、それとこれとは、別、かもしんないでしょ?
にやり、と笑って見せたら、リクオルは怒ったように言った。
「儲かるんだっ!」
「儲かる?って、お金?」
おやま、驚いた。いやでも、そっちのほうがリクオルらしいと納得するところもある。
こいつってば、昔っから見かけによらず守銭奴だから。
「そうだよっ!
媚薬なんてもんは、この世に溢れてるけど、本当に効き目のあるのは少ないだろ。
そこへもって、効果は抜群、副作用はまったくなし。
おまけに売ってるのは、こんなに可愛い妖精さんってなったら、爆売れ、間違いなしだろ?」
「可愛い、妖精さん?」
って、自分で言ってるのか、こいつ?
「そうだよ?
妖精堂の媚薬香水。
妖精の魔法のかかった不思議な香水。
これを一振り振り掛けてあの人とデートをすれば、あら不思議、あの人の心は思いのまま。」
調子に乗ってくるりと回って見せるフェアリーに、わたしは思い切り冷たい目を向けた。
「妖精堂って、なに?
媚薬香水?
・・・まさか、それ、わたしに作らせるつもりじゃないでしょうね?」
リクオルはわざとらしい仕草で、ちっちっち、と指を振って見せる。
「まさか。
ジェルバちゃんにできるのは、せいぜい、香水の精製まででしょ?
そこに、オレが魔法をかけるんだ。
まさしく、オレたちふたりの、共同作品!」
「わたし、やらないから。」
即答だった。
「ええっ?なんで?」
理解できない、という顔をするリクオルが、わたしには理解できない。
「だいたいさ、そんなもん使って誰かに好きになってもらおうなんて、姑息なこと考えるやつにろくなのはいない!」
思わず鼻息荒く言い切ってしまった。
リクオルは勢いに押されたように、あ、ああ、まあね、と頷く。
「そんなもん作って、不幸な女子増やしてどうすんのよ?」
「いや、不幸になるのは、女子に限った話しじゃないと思うけど・・・」
いちいち突っ込むところがまた腹立たしい。
てか、あんたも、不幸になる、とか言ってんじゃん。
「不幸な男女増やす悪事に加担はできません。」
今度はわたしのほうがきっぱりとそっぽを向いた。
リクオルが、ちぇ、と言うのが背中に聞こえた。
「別にさ、悪用しよう、ってわけじゃないんだよね?
そもそもさ、フェアリー魔法ってのは、人を不幸にするようなことには発動しないんだよ?」
「惚れ薬そのものが人を不幸にするわけじゃないから、魔法は発動するでしょ。
けど、それを買ったやつが悪用しないって保障はない。」
「悪用するような輩には売らないって。」
「そんなの分からないよ。」
「人を見る目はあるつもりだよ。
ジェルバちゃんは、オレのこと、信用できないの?」
「信用できるとでも思ってるの?」
ぐっ、とリクオルが言葉を呑むのが聞こえた。
「分かったよ。売り物にするかどうかについては、もう少し検討する。
けど、今作ろうとしている分は、売るためじゃないよ。
オレの友だちに、好きな彼女になかなか言い出せないやつがいて・・・
あれは絶対に両想いだ、って、周りはみんな分かってるけど、どうしても勇気が出せないって。
そいつの背中、押してやりたいんだよ。」
「へえ~、リクオルに、そんな友だち、できたんだ。」
思わず振り返ってそう言ったら、リクオルは柄にもなく真っ赤になって目を逸らせた。
「っそ、そりゃあ、オレにだって、友だちのひとりやふたり、くらい・・・」
「よかったね。」
素直な感想だった。
リクオルは、人当たりはいいけど、本心はなかなか人に見せられなくて、だから、友だちもなかなかできない。周囲に集まる人たちは、みんな自分をリクオルの友だちだと思っていても、リクオルのほうは、その人たちを友だちだとは思っていない。
そんなリクオルに、恋愛事の手伝いをしてあげたいと思うような友だちができたんだ。
たとえそれが余計なお節介だったとしても、そのリクオルの気持ちには純粋に手を貸してあげたいと思った。
「しかし、ミッドナイトシェード、か・・・」
そんなの、どこに生えているんだろう。
深い藍色のナイトシェード・・・
「探し物のコツはね?
あると思って探すことだよ?」
訳知り顔をしてフェアリーが言う。
「知ってるよ。」
それ、うちの父さんの口癖だし。
「いいね、ジェルバちゃんのその冷たい目、なんか懐かしくてぞくそくするよ。
帰ってきたんだなあ、って嬉しくなっちゃう。」
たわけたことをぬかすフェアリーは、とりあえず無視しておこう。
毒を取った蛇を木陰に寝かせると、わたしはリュックに採集瓶を放り込んで、よっこいしょ、と立ち上がった。
「最初の群生地はここからすぐだよ。
今日中に、群生地、三つ回るからね。
ちょっと急ぐよ?」
「あいあいさー。」
リクオルは嬉しそうに敬礼して見せた。