3.妖精さんの森のお家
母さんの作ってくれたお弁当を持って家を出る。
ちゃっかりリクオルも同じ包みを持っている。
くそっ、やっぱりこいつ、一刻も早く・・・以下略。
家を出て少し歩いたところで、リクオルはひょいとわたしに自分のお弁当の包みを手渡した。
え?と見返すわたしに、にぃっこり笑ってみせる。
「ジェルバちゃん、カバンあるでしょ?
オレ、手ぶらだからさ。これもついでに入れておいてよ?」
なんつー、厚かましい!
他人の母さんに弁当まで作らせておいて、あまつさえ、それを他人に持たせるとは!
呆れてものも言えないとはこのこった、と思ったけど、言い争うのも面倒で、わたしは黙ってその包みを自分のリュックに入れる。
薬草採取の道具に簡単な処理をするための道具。
森にはモンスターもいるから、身を守るための弓矢もいる。
それなりに大荷物のわたしとは対照的に、リクオルは手に何も持っていない。
なんだかものすごく理不尽なものを感じるけど、今更いちいち反論もしていられない。
そういうやつなんだ、昔から。
身軽になったリクオルは、口笛なんか吹いている。
ぷわぷわと虫みたいに浮かんでるのを見てると、なんか、てくてく歩いている自分より楽そうでいいなと思う。
そんなのも、昔のまま。ずっと変わらないまま。
こうして呑気に歩いていると、子どものころのことを思い出す。
よくこうやって一緒に歩いたっけ。
「あ、ちょっと、うち、寄ってもらっても、いいかな?」
リクオルの家は森の入り口のところにある。
小さな小屋みたいな家にもうずっと前からひとりで暮らしている。
親とか、兄弟とか、見たことはない。
いないってことはないと思うんだけど、その話をしようとすると、いつもはぐらかされる。
「二年も放りっぱなしだからさ。朽ち果ててないといいんだけど。」
「荷物置きに寄りもしなかったの?」
「だって、王都から帰って真っ先にジェルバちゃんの家に行ったからさ。」
「あんたの家のほうがうちよりも手前じゃないか。」
「一刻も早くジェルバちゃんに会いたかったんだってば。」
「・・・・・・」
その言葉の裏側にある真意を考えているうちに、リクオルの小屋にたどり着いてしまった。
「おや?思ったより、いたんでない。」
リクオルは小屋の戸に手をかけて首を傾げた。
戸に鍵はかけていない。
いくら不用心だと言っても、盗るものなんか何もない、って言って、この小屋の戸には鍵をつけない。
誰かに勝手に中に入られるのは流石にまずいと思うんだけど。
まあ、盗るものがない、というのには同意する。
くいっ、と力を込めて戸を引きあける。
この戸はちょっと開け方にコツが要って、慣れてないと難しい。
きぃっとかすかにきしむ音を立てて、扉は開いた。
「おわー、なんか綺麗だ。」
本当にリクオルは小屋に寄りもしなかったらしい。
王都から手ぶらで帰ってきたのか、と今更ながら気づく。
流石リクオルと言うべきか・・・それにしたって、びっくりだ。
「掃除、しておいてくれたんだ?ジェルバちゃん。」
小屋の中を見てからこっちを振り返ったリクオルは、嬉しそうに笑って言った。
わたしはあわてて視線を逸らせる。
「べつに。森に入るときにときどき使わせてもらってただけ。」
「留守を守っていてくれたなんて、なんか、オレ、感動、してもいい?」
「そういうの、いらない。」
ウソ泣きして見せるフェアリーに冷たく言い放つ。
「いつでも帰ってこられるように、しておいてくれたんだよね?」
「いや、本当にここ、便利だったから、それだけ。」
お礼を言われるのがかえって気まずくなってきて、思わず強調してしまった。
だって、本当にそれだけだったんだから。
リクオルを待っていたなんてことは、本当に、まったく、これっぽっちも、なかったから。
リクオルは手早く小屋の窓を開けて回る。
わたしも手伝って、反対側の窓を開ける。
勝手知ったる他人の家だ。
すぅっと小屋の中に風と光とセミの声が入ってくる。
戸棚にきちんと並んだ道具類に、光が当たる。
物は少ないけれど、必要な物は不思議なくらい過不足なく揃っている。
ここにあるものは、みんな少しずつ古びているけど、よく使い込まれていて手によく馴染む。
どこか懐かしい匂いを感じて、この小屋はなんだか居心地がいい。
リクオルはここを冷たいとか言ってたけど、わたしはそう思わない。
むしろ、ひとりでいても森そのものに包み込まれているようで、ほっとする家だ。
部屋の隅に寄せてあるロッキングチェアを引っ張り出してきて座る。
きぃっ、と小さく木の軋む音がして、ふわり、と世界が揺れる。
この椅子の座り心地は最高だ。
リクオルもこの椅子はお気に入りだって知ってるけど、この椅子だけは譲らない。
意地悪なリクオルだけど、何故かいつも、この椅子だけは譲ってくれる。
まあ、ひとりでいるときにはさんざん座れるんだからいいじゃない、とも思う。
目を瞑ると、風の音やセミの声、古い小屋の匂い・・・いろんな居心地のいいものに包まれる。
やっぱり、この小屋は、冷たい家じゃないけどな、って思う。
「ジェルバちゃんはこの家、気に入ってくれてるもんね?
なんなら、ここに引っ越してきてくれてもいいんだよ?」
「家はちゃんとあるし。
薬草を摘みにきたときに使わせてもらえれば十分かな。」
この小屋には薬草の処理をしたり、調合をしたりするのに使う道具がよく揃っている。
調香に使う道具も、一通り揃っている。
みんな古ぼけてはいるけれど、品物はよくて、長年よく使い込まれたいい道具ばかりだ。
うちよりもよく揃ってたりするもんだから、わたしもついつい、摘んできた薬草をここで調合したりしている。
けど、流石にここに住もうとまでは思わない。
枕が変わっちゃ寝付けない質だし、なにより、ここには母さんの朝ご飯がない。
「それは残念。」
リクオルはそう残念そうでもなくそう言って、軽く肩を竦めた。
「まあ、オレもここより、ジェルバちゃんの家のほうが居心地いいけどさ。
どうせ住むならあっちがいいなあ。」
「うち、狭いから。空いてる部屋、ないし。下宿は無理。」
「下宿・・・じゃないんだけど・・・
なんなら、ジェルバちゃんと同じ部屋でいいよ?」
「それはわたしが無理。」
いくら小柄なフェアリーと言ったって、普通の人間と変わらないくらいのサイズはある。
わたしの部屋にベットふたつは置けないし、いやそれ以前に、こいつと同じ部屋なんて、わたしのメンタルがもたない。
そもそも、リクオルには、一刻も早く・・・以下略。
「そうそう、ところで、どんな薬草を探しているの?」
それを聞くのを忘れていた。
一刻も早く送り返すためには、それを探さないとだ。
珍しい、って言ってたけど、探すのは大変なんだろうか。
この地方にしか生えてないんだっけ?
わたしの知っている薬草ならいいんだけど・・・
「探しているのは、ナイトシェード、なんだけどさ。」
「ナイトシェード?
なんだ。それなら早く言ってくれれば、うちにストックもあったのに。」
リクオルが言ったのは、よく知った薬草の名だった。
これでリクオルを追っ払えると思うと嬉しくて、思わずぴょんと椅子から飛び上がった。
けれど、リクオルは何か企むような眼をして、いやいや、と首を振った。
「ただのナイトシェードじゃないんだ。
オレの探しているのは、ミッドナイトシェード。
ナイトシェードの変種なんだけど・・・」
「ミッドナイトシェード?」
その名前には聞き覚えはない。
「そう。普通のナイトシェードの一万倍の効果のあるナイトシェードなんだ。」
にやり、と微笑むフェアリーに、わたしは背中がぞくりとした。
「え?ちょっと、待って?
・・・ナイトシェードってのは、確か、毒草、だよね?」
リクオルの笑顔になにか引っかかるものを感じて、思わずそう言っていた。
確かに、ナイトシェードはそれほど猛毒、というわけではない。
けど、効果が一万倍、となると・・・、それは猛毒になってしまうんじゃないだろうか?
「それって、危険なものなんじゃないの?」
怖くなって尋ねると、リクオルは、まったくこれっぽっちも悪いことなんか企んでません、って顔をして、明るく無邪気に答えた。
「大丈夫だよ。犯罪者になるようなへまはしないから。」
ちょっと、待て。
犯罪は犯さない、じゃなくて、へまはしない?
それって、聞きようによっては、犯罪をばれないようにうまいことやる、と言っているようにも聞こえる。
「え?それは・・・、ちょっと・・・」
腰の引けるわたしに、リクオルはにっこりと無垢な微笑みを浮かべてみせる。
「大丈夫。毒ってのは使いようによっては、いい薬にもなるんだよ?」
「いや、それは、よく知ってる。
・・・けど・・・」
リクオルはわたしのセリフを遮るように、ずいっと、迫る。
「そっか、ごめん、釈迦に説法だったね?
なら、余計な心配しないで、協力、してくれるよね?」
「いや、でもね?」
「これを、待ってる人がいるんだよ、ジェルバちゃん。」
リクオルは一転して訴えかけるような真剣な目をする。
紫がかった青の大きな瞳をうるっとさせてじっと見つめられれば、氷の魔王だって、心を動かされるに違いない。
その目に負けて、思わず尋ねてしまう。
「いったい、何に使うつもりなの?」
「特効薬。」
「特効薬?なんの?」
「既存の薬の効かない病さ。
けど、この薬はきっと人の命を救う。」
「人の、命?」
それはまた、いきなりたいそうな話になってきた。
「そう。人の命。」
にこっと笑うリクオルの無邪気な笑顔が、却って怪しさを倍増させるんだけれども。
そんなこと言われちゃ、そうそう無下に断ることもできない。
それに、リクオルは、性格は悪いけど、悪い人、まあ、人じゃなくてフェアリーだけど、じゃない。
その悪い性格だって、わたし以外の人に対しては、もっぱら親切で人当たりもよくて、意地悪なとこなんかこれっぽっちもない、絵に描いたような善人だ。
何故かわたしにだけは、昔っから、意地悪なんだけど・・・
でもだから、猛毒のある薬草だって、決して悪用なんかしない、はず、だと思う、んだけどな・・・
いやいや。
しないだろう。
しないに違いない!
だとしたらこれはやっぱり、手伝わないわけにはいかない。
なにより、それさえあれば、リクオルは王都に帰ってくれる!
「分かった。探す。」
ぶんっとひとつ首を振って、余計な迷いは吹き飛ばした。
「でも、わたしその薬草は知らないからさ。
特徴とか、教えてもらえるかな。」
「いいよ。
うん、とね、葉っぱはこんなんで、こんなふうに実がついて・・・」
リクオルはその辺にあった紙を取って、すらすらと絵を描き始める。
「その絵だと、普通のナイトシェードと変わりないように見えるけど・・・」
「うん。そうなんだ。形はね、普通と全然変わらない。
ただ、この実がね、ちょっと見、黒に見えるくらい、深い、藍色なんだって。」
「藍色?」
それはまた、珍しい。
「ナイトシェードってのは、もともと、変種が多くて、実の色も、赤とか緑とか、黄色いのなんかもあるけど、藍色ってのは、見たことないな。」
「だから、特別なナイトシェードなんだよ。」
なるほどね。
わたしは、ふむ、と腕組みをした。
「今ちょうどナイトシェードが実をつける季節だし。
群生地、いくつか知ってるから、とりあえず、そこ回ってみようか。」
うんっ、とリクオルは嬉しそうに全身で頷いてみせる。
ご機嫌なフェアリーのとびきりの笑顔。
そりゃあもう、見慣れているわたしでさえ、思わず、可愛い、と思ってしまう。
みんな、これに騙されるんだよな・・・
やれやれ、とひとつため息をついて、わたしはミッドナイトシェード探しに向かうことにした。