1.妖精さんは二階の窓から突然に
それはある夏の日のこと。
控えめに窓を叩く音から始まった。
とん、とん、とん・・・
とんとんとん。
かしゃ。
とんっ。
ぱたぱたぱた・・・
暑いので開けてあった窓から、何か入ってきた。
ここは、二階なんだけど。
寝起きの頭はぼんやりと巡りだす。
ぱたぱたいうあの音は・・・
薄闇の微睡みのなかに、明るい光がさしてくる。
ぅぅ・・・ちょっと眩しい・・・
ぼんやりと目を開けるといきなり不気味な笑顔と目が合った。
顔の下から照らされたその笑顔は、笑っているようで笑ってない。
あれは、言うなら、魑魅魍魎、妖怪変化の類の笑みだ。
「ふへっ?」
ぎょっとして飛び起きると、すかさずいつも枕許に置いてある短弓を構えた。
きぃぃぃぃ、きりきりきり。
つがえた矢を向けた先に、にぃっこり、無邪気そうな姿が浮かび上がった。
「素晴らしい寝起きだね、ジェルバちゃん。流石だよ。
けど、部屋のなかで弓を使ったりしたら、危ないよ?」
声のなかにわずかに笑みを含ませて、降参というふうに両手を上げている。
星の色の瞳に金髪くるくる巻き毛。小首の傾げてこっちを見ているのは絵に描いたような美少年。
片手に持った短いワンドの先がほんのり光っていて、淡い光のなかに浮かび上がるのは、まるで童話のなかのワンシーンのような光景だ。
枕許に現れた妖精さん、まったくもって、そのまんま。
そんないいもんじゃ決してないけど。
ぱたぱたぱた。さっきから休みなく聞こえてたのはこいつの羽の音か。
確かに羽付きのこいつなら、二階の窓からだって入ってこられる。
勝手に部屋に入ってくるなって、昔から何度も言ってるんだけど。
いい加減うんざりして、真夏の暑い日でも窓は閉めて寝てたんだけど。
しばらく村にいなかったから、うっかり油断して、窓を開けてしまっていた。
不覚。
「問答無用。妖怪退散!」
短い気合と共に、矢を放つ。
ぱ、しゅっ!
いい音をさせて飛んだ矢は、一瞬後に、向こうの壁に掛けてある的のど真ん中を射抜いていた。
「うっひゃあ~。相変わらずすごいね。流石だよ。」
斜め上から声がする。外したつもりはなかったけど、紙一重のところで避けたらしい。ちっ。
そう言や、こいつ、ああ見えて、なかなか俊敏だった。
ぱちぱちぱち、と無邪気に手を叩いているリクオル目掛けて、すかさず二本目の矢をつがえた。
リクオルは流石にちょっと慌てた顔をして、両手のひらをこっちに向けてひらひらと振って見せる。
「って、ちょっ、まだ打つ気?本当に危ないから、もうよそうよ?」
「うるさい、妖怪。こんな夜中に何しに来た?」
「夜中じゃないよ?もうすぐ夜が明ける。素敵な夜明けを一緒に見ようと思って、誘いに来たんだ。」
「夜明けならときどき見てるから、今日は見なくていい。
それより今は眠い。
昨夜も遅くまで調香してて・・・」
ふぁあ~、と特大の欠伸が出て、文句はそこで途切れた。
すかさずリクオルが口を挟んだ。
「寝不足なの?お揃いだね。
オレもさ、一晩中かけて王都から帰ってきたばっかりだよ。」
「なら、とっとと、家、帰って、あんたも寝なさいよ。」
心底呆れて言ったら、リクオルは信じられないとでもいうように両肩を竦めてみせた。
「眠ってなんかいられないよ!
こんな素敵な一日が始まったってのに。
早起きは3ブロンズの得なんだよ?
ふたりあわせたら、6ブロンズだよ?!」
「1シルバーにもならないなら、わたしは睡眠のほうがいい。」
「なんてことを!
塵も積もれば山となる。千里の道も一歩から。小さなことからコツコツと。
そうやって百万の富は手に入れられるんだよ?」
「寝不足で作業効率が落ちるほうが不経済だ。以上。おやすみ!」
わたしは話をぶち切ると、さっさと二度寝しようとベットに潜り込んだ。
リクオルは・・・もちろん、おとなしく帰るわけもなくて、ベットの枕許に座り込んだ。
「君に少しでも早く会いたくて、真っ先にここに来たのに。」
「少しでも早くこき使いたくて、の間違いでしょ?」
「えぇ~・・・二年ぶりの逢瀬だってのに、その言い方はないでしょ~?
もっと、こう、さぁ~、会いたかったの~、とか、貴方がいなくて寂しかった~、とか、そういうのはないの?」
「あるわけないだろ。この妖怪。
あんたがいない二年の間、すっごく平和だった。とっとと妖怪の世界へお帰り。」
「とか何とか言って、オレがいないと人生、物足りないでしょ?」
「間に合ってます。」
ダメだ、相手をするな。
心の奥のほうから助言が聞こえる。
そうだった、こいつと話をしていると、いつの間にかこいつのペースに巻き込まれている。
そうやって、これまで何度、ひどい目にあわされてきたことか。
いい加減学習したわたしは、追い払うのはあきらめて、完全無視することにした。
頭から布団を引き被り、さらにベットに深く潜り込む。
うー、なんか、こいつを追い払えるいい方法、ないかな。
念仏、とかさ。唱えたら効くんじゃないか?
「念仏なんか唱えたって、効かないよ?オレは悪霊じゃないからね?」
考えていることを見透かしたように、くすくす笑っているのが聞こえる。
あーもう、腹が立つ。
「だいたいさぁ、王都の魔法学校って、四年あるんでしょ?その間は全寮制で、カリキュラムも厳しくて、里帰りなんて一度もできないはずなんじゃなかったの?」
二年前、確かにこいつはそう言った。
そう言って王都へと旅立って行った。
そのときわたしは・・・四年間の自由と平和に、涙を流して喜んだんだ。
「ああ、学校なら、もういいんだ。
あんなとこ、つまんないだけだった。
よく二年間も我慢したと思うよ。」
ちょっとばかし、黒い本性を覗かせる。
そうそう、妖精さん、な見た目と裏腹に、これがこいつの本性だ。
「せっかく入った学校じゃないか。
王都の魔法学校なんて、望んでも入れない人は大勢いるんだよ?」
悔しいことに、リクオルの魔法の才能はちょっと人並外れていた。
魔法学校のほうから、どうぞうちに来てくださいと、勧誘をされるくらいに。
「ジェルバちゃんがそう言うからさ、行ってみたんだけど、あんなとこ、もうたくさんだよ。」
「まあまあ、そう言わずにさあ。
しっかり四年間学べば、将来有望、未来も安泰じゃないの。」
わたしは自分でも気持ち悪いくらいの猫なで声を出した。
今、リクオルをうまいこと追い返しさえすれば、わたしの平穏もあと二年は安泰。
なんなら、リクオルが王都の魔法組合にでも就職したら、わたしの平和は未来永劫続く・・・はず。
未来永劫の平和を勝ち取るためなら、今こそ頑張って説得するんだ、わたし。
「中途半端はよくないよ?リクオル・オドーラートゥス。
あんたの幸せな未来のためだよ?」
そしてわたしの幸せな未来のためだよ?
心を込めて説得、し(てるふりをし)たのが伝わったのか、リクオルのややしんみりした声が言った。
「ジェルバちゃんが、そんなにオレのことを考えてくれてるなんて思わなかった。嬉しいよ。
有難う。」
「いえいえ、どういたしまして。じゃあ、早速、今すぐ、王都に・・・」
調子に乗って、引き被った布団をはがしたら、にぃっと笑う笑顔と目が合ってしまった。
「そのためにはさ、どうしても手に入れないといけないものがあるんだよねえ。
実はこの地方にしか生えてないとある薬草が、オレの研究に必要なんだ。
すっごく珍しい薬草なんだけど、ジェルバちゃんは、そういうのに詳しいでしょ?
探すの、手伝ってくれるよね?」
しまった、それが目的か。
露骨に顔が引きつったけど、リクオルは知らん顔して言い募る。
「オレのこと、そんなに心配してくれてるんだもんね?
将来有望なオレの安泰な未来のために、協力、してくれるよね?」
いつの間にかわたしの手を取って、ずいっ、ずいっ、と迫ってくる。
「わ、わたしは・・・依頼された仕事、っとか・・・いっぱいあって・・・
今、ちょーっと、忙しい・・・かも・・・?
あは、あはははは・・・」
取られた手を取り返そうとするけど、リクオルは離さない。
そして。
この押しの強さに、わたしは毎度毎度押し負ける。
「そんなに忙しいのに、手伝ってもらっちゃって悪いね?
オレの研究が完成したら、美味しいご飯、ごちそうするよ。」
「っそ、そんな無理難題押し付けといて、ご飯ごちそうするだけとか!」
「ああ?
ご飯だけじゃ足りない?
そっか。
仕方ないなあ・・・もう、ジェルバちゃんってば。
じゃあ、スペシャルなお礼をつけるから、楽しみにしててね。」
こっちを見るリクオルの瞳が、きらり、と光る。
わたしは、しまった、と自分の口を両手で抑える。
リクオルがこんな目をすると、ろくなことはない。絶対にない。
気が付くとわたしは、リクオルのために薬草を探す、ことになってしまっていた。
まあいい。
それもこれも、この二年続いた平和を、もう一度取り戻すため。
とっとと薬草見つけて、妖怪は王都に送還してしまおう。
すっかり上った朝日に、わたしはそう誓った。
そうと決まれば一刻も早く行動あるのみ。
「起きるから、部屋、出てくんない?」
「ああ、オレなら構わないよ?気にしないで。」
「・・・・・」
こういうアホには実力行使しかない。
きーっ、きりきりきり・・・
「ぅわっちゃっ!
ちょっ、やめっ!
無言で弓構えるとか、怖い、って!
って、まさか、本気?
ぅわっ、ぅ分かったっ!
分かったから!」
リクオルは押しとどめるように両手をこっちに向けたまま、そろそろと後退する。
「先、行ってるから。
早くおいでよね?」
にっこり笑ってそう言い残すと、電光石火の早業で、ぱたん、とドアの向こうに消えた。
やれやれ。
とりあえず、着替えて、階下に降りよう。