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左手の黄色い花  作者: 土方悠旗
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三倉さんと店長の改革

いい意味でも。悪い意味でも目立つことは、なるべく避けたい。


それが、短くない人生の中で学んだ美香なりの処世術だった。出る杭は打たれる、そんな惨状を美香は散々目にしてきた。主に学校という物理的にも心理的にも、狭い空間では、必ずそれは起こった。ひとりが先を行こうとすると、どんな手を使ってもそれを止めようとする平均化が行われた。


みんな一直線に並んで走ることが、当たり前のルールかのように、学校では自然と学んでいく。それは、会社にも受け継がれ、そこから離れない限り、延々と続いていく。


自分はこのレベルという、あるのかないのかわからない基準をつくって、その枠からはみ出さないように、美香は必死で生きてきた。そうすれば、とりあえず平穏に暮らしていけた。


特にこのスーパーでは、パートリーダーである佐藤さんに目をつけられたら終わりだ。


佐藤さんは、美香がこの店に来る前から働いている古株だ。年齢は聞いたことがないけど、たぶん五十代前半。どことなく、人を威圧するような雰囲気を漂わせている。


美香は、研修初日に、佐藤さんがこのスーパーの主だということをすぐに察した。


彼女のひときわ響くおおきな声は、「ここは、自分の縄張りだ」と、周囲に叫んでいるかのようだった。彼女の周りには、強いものにひれ伏すかのように人が集まり、話している内容といえば、誰かの悪口が主だった。


美香は、近づきすぎず、遠すぎず、絶妙な距離間を保ちながら、彼女に嫌われないように細心の注意を払った。


佐藤さんの意向は、パート内の人事にも及んだ。


店長や副店長も、彼女には、ことさら慎重に接する。というか、彼女の機嫌を損ないたくないという下心が見え見えだった。彼女をもし敵に回しでもしたら、パート仲間を結束させ、反旗をひるがえすことも考えられた。 


それだけは避けたい社員のひとたちは、佐藤さんにペコペコと頭を下げるのだった。つまり、佐藤さんが、このスーパーの実質の支配者といっても過言ではない。彼女が気に入らない人間を、自分から辞めさせるように、仕向けた現場を美香は何度か見ている。


三倉さんという人がいた。


彼女は、活発で、誰に対しても優しく、不満なことがあれば、上層部にはっきりと物申すことが出来る稀有な人だった。前の会社では、マーケティングをやっていたらしく、頭の回転も速い。自信に満ち溢れ、何かに追われるように、完璧を常に目指していた。


彼女は、結婚と出産を機に、仕事を止めていたが、スーパーを次なる自分の仕事場に選んだ。保守的な彼女の夫は、結婚後は永久的に家にいてほしかったようだが、彼女はそのつもりはまったくなかった。喧々諤々の議論の末、パートならいいということに落ち着き、彼女はマルキュウスーパーにやってきた。


都落ちとも言える仕事にも彼女は、不満を漏らすことなく、熱心に取り組んだ。最初は、レジ打ちの仕事を坦々とこなしていたが、そのうちマーケターの血が騒ぐようになったか、しきりに美香たちが仕事を進めやすいようにと、職場改善案を店長に提出しはじめた。


美香も、三倉さんに意見を求められたことがあった。ちょうど、勤務を終え、帰宅しようとしたとき、声を掛けられたのだ。


「田所さん」


美香が振り向くと、いかにもキャリアウーマン風のしわひとつないシャツとパンツスタイルの三倉さんが微笑んだ。


「急に、ごめんね。すこし話せる?」


三倉さんは、片目を閉じながら、胸の前で両手を合わせた。


「うん。全然、大丈夫」


美香は、申し訳なさそうに、首を振りながら応じた。


「ありがとう、早速だけど、何かレジ業務で困ったことない?」


三倉さんは、メモ帳を広げ、キリッとした目を美香に向ける。


「・・・。そうだなぁ。夕方の一番混む時間帯にどうしても行列が出来て、お客さんを待たせちゃうんだけど、ごめんなさい。これはしょうがないよね」


「ううん、そういう意見が聞きたかったの。ありがとう」


三倉さんは、メモを取りながら、顔も上げずにうなずいた。「ほかには?」と矢継ぎ早に聞かれ、美香は戸惑ったものの、なんとか意見を絞り出した。仕事を終えたパートさんが、美香たちの横をすり抜ける。


三倉さんは、慌てたように礼を言うと、続々と上がってきたパートの人たちの意見を取りに急いだ。


店長は面食らったようだったが、彼女の提案は、店長の眠っていた仕事に対する熱い想いに火をつけた。積極的に三倉さんの意見を採用して、店長はスーパーの改革を断行していった。


三倉さんの目から見たら、このスーパーには、無駄が多いようだった。彼女の改革案は、確かに美香たちパートを驚かせた。漠然と使いにくいなと思っていた、効率的ではないなと思っていたことを、一瞬にして解決したのだ。


種類の多い袋の位置を使う頻度が多いものから並べ、箸やスプーンはセルフにするなど、細かいところからはじめ、美香がなんとなしに言った夕方の行列問題にも手を付けた。


忙しい時間は、レジに2人入り、会計と商品をチェッカーの通す役目を分担することで、レジ業務のスムーズ化を実現。まだ導入はしてないが、すでに人手不足になっているのを鑑みて、セルフレジの採用も決まった。


みんな、なんとなく効率的ではないなと思っていても、それを行動に移す人はいなかった。三倉さんは、「面倒」という壁をいとも簡単に飛び越えた。


彼女のメスは売り場にも及んだ。お客さんが思わず買いたくなるような陳列や、ポップの設置、テレビで話題になった商品をいち早く取り揃え、売り場に出すなど、彼女は自分の知識や経験をフル活用した。


店長と三倉さんが、話しているのを美香は立ち聞きしたことあったのだが、三倉さんは


「お客様満足度を上げれば、長い目で見れば、必ず成果が出ます」


と、店長に力説していた。


美香は、三倉さんの働きぶりと店長の本気に触れ、素直にすごいと思う反面、すこし悔しかった。これはうまく立ち回る三倉さんに対しての嫉妬だろうか。それとも、自分の力で切り拓くその行動力に対するあこがれだろうか。


ともかくも、反抗するような熱い気持ちが自分にあったことに、美香はすこし驚いた。仕事に対する情熱は、とうに失われたと思っていたからだ。   


しかし、彼女は、すこし目立ち過ぎた。三倉さんは、猪突猛進タイプだ。前にしか目がついておらず、周りが見えてない。それが、美香にはやや危なっかしく見えた。出る杭は打たれるのである。


特筆すべきことのないこの街のスーパーにも、複雑な人間関係はあり、小さいながらも社会が存在する。それを三倉さんは、失念していた。



三倉さんが吹き込んだ前向きな風に、店長もすっかり感化された。それは店長の姿勢にも現れた。猫背で頼りなかった姿勢が、いつの間にかピンと伸びているのだ。背筋に太い芯が入った店長は、かなり若返った。


三倉さんの予言通り、店の売り上げは右肩上がりに伸びはじめ、ある日、本社から店長が呼び出しを受けた。


店長が本社に呼ばれるときは、だいたい苦言だ。もっとこうしろと、現場も知らない上司に頭ごなしに言われる。なので、その連絡が来たとき、店長は心配になるほど、オロオロとしていた。


現在の状況的に、怒られることはないと副店長に励まされても、店長の頭のなかでは、本社イコール怒られるという公式が成り立っているらしく、その疑念はなかなかぬぐえなかった。いままで、本社から店長が帰ってくると、それはひどい有様だった。全身から魂が抜け、これ以上顔色が悪くなることはないんじゃないかと思うほど、青ざめ、疲れ果てていることが常だった。   


しかし、今回は違った。


全店舗のなかで一番の売り上げを達成したことを社長から直々に表彰されたのだ。店長は、あまりの誉れに、涙して喜んだ。店長が社長を見たのは、入社式以来で、その分厚い手で肩を叩かれ、激励された。一層気が引き締まった店長は、さらにやる気がみなぎった。   


美香は、本社から帰って来たスーツ姿の店長をそのとき初めて見たが、商社のできるサラリーマンといった堂々とした佇まいをしていた。人は変わるものだ。店長に自信が注入されると、店長はさらに人が変わったように、ハキハキと仕事をするようになった。


更衣室では、三倉さんが正社員なるのではという話題で持ちきりだった。


店長は、本社に赴いた際、三倉さんの活躍を事細かに告げたらしい。社長も、店長が話す三倉さんをいたく気に入ったようで、鶴の一声で正社員への昇進が決まった。そんな噂が更衣室でまことしやかにささやかれていたのだ。


美香が休憩室で、昼食をとっているとき、めずらしく佐藤さんが声を掛けてきた。美香は、嫌な予感がした。佐藤さんは美香の向かいに座ると、


「田所さん、最近どう?」


と、長い髪を指でクルクルと巻きながら尋ねた。


「うーん。特に変化はないですよ」


美香は、お弁当の上に箸を置き、当たり障りのない返答に心を砕く。佐藤さんは、「ふーん」と言いながら口をすぼめ


「三倉さんのこと、どう思う?」


と、ナイフのような声色で美香に尋ねた。


「三倉さん?」


美香はなるべく平静を装って、とぼける。


「そう、三倉さん。最近、なんか店長にべっとりしてさ。スーパーの改革?自己満?みたいなことやってんじゃん」


佐藤さんは、髪の毛をクルクルと、指で巻きながら、美香を射るように見つめる。


「・・・」


美香は、佐藤さんの目を見ずに、曖昧に返事をする。佐藤さんは、指をテーブルにコツコツと叩きつけはじめた。まるで、同調を促しているようで、心臓に悪い。


「みんな、目に余るって言ってんだよね。わたしは、このスーパーの風紀は乱したくないなと思ってね」


外堀から埋めていく、それが佐藤さんのやり方だ。美香も三倉さん反対派に入れたいらしい。


「・・・はい」


なるべくことを荒立てたくない自分に、美香は腹立ちながらも、抵抗はしなかった。三倉さんに多少嫉妬はあっても、仲間外れにしようとは思わない。けど、反論することもできない。そんな、自分の弱さに心底がっかりした。


「まぁ、なんかあったら、わたしに言ってね。なんでも相談に乗るから」

自分に歯向かわないという確証が得られたのだろう。佐藤さんは、勝ち誇ったように立ち上がると、美香をさげすむように一瞥し、立ち去った。


三倉さんを取り巻く状況は、美香が思っている以上に、まずい方向に向かっているらしかった。美香は、食べかけのお弁当をしばらく見つめたあと、急に食欲がなくなって、それ以上箸をつけずに、フタを閉めた。


やはり、三倉さんに、もうちょっと自重した方がいいよとこっそり言ったほうがいいのだろうか。このままでは、三倉さんは、退社に追い込まれてしまう。三倉さんが充実すればするほど、スーパーでの立場は危うくなる。彼女は、そんなことにも気付かないほど、鈍感なのか。それとも、自分の状況を知っていながら、つき進んでいるのか。


とにもかくにも、明日、三倉さんとこっそり話そうと美香は思った。



三倉さんは、翌日から体調を崩して、店には来なかった。休みは、一週間、二週間と延び、突如三倉さんは、店を辞めた。


店長がいうには、一身上の都合らしい。店長の落ち込んだような口ぶりに、何か違和感を持った美香は、佐藤さんの方をちらっと見た。


佐藤さんは、「ざんねん」と口でいいながら、嬉しそうだった。美香はすべてを悟った。あとから聞いたところによると、三倉さんの持ち物がなくなったのを皮切りに、佐藤さん派の人たちに無視されるなど、彼女は執拗な嫌がらせを受けていたようだった。美香は、その話を聞いて生きた心地がしなかった。臆病な過去の自分が体の奥から出てきそうだった。


美香は、その負の感情を必死でせき止める。次は、わたしかもしれないと思うと、背中がゾクリとした。さらに、用意周到なことに、佐藤さんは店長にも裏から手を回し、三倉さんの生きがいにもなっていたスーパー改革の仕事も奪った。これには、さすがの三倉さんも相当ショックを受けたらしかった。


強く見えた三倉さんは、案外脆かった。


最近の三倉さんは、多少元気はなかったが、そこまでやつれた様子も感じられず、特に悩んでいるふうにも見受けられなかった。彼女は、周りに悟られないように、瀬戸際で崩れかけの心を必死に守っていたのだ。強い人だ。


三倉さんは、誰かに弱みを見せることを極端に嫌った。誰にも相談することなく、彼女は歯を食いしばり、日々を生きていた。


しかし、ギリギリのところで踏ん張っていた、彼女の自尊心は、ついに決壊した。度重なる嫌がらせは、彼女の心をむしばみ、生きる気力を奪うのに十分だった。


美香はそんな彼女の内面にうすうす気付いていたのかもしれない。いや、見て見ぬふりをしていた。

それでも、美香は、自分に害が及ばないようにと、積極的に手を伸ばすことはしなかった。美香も結局、自分がかわいいのだ。佐藤さんがこの件の直接の引き金を引いたのかもしれない。けど、美香も共犯だ。加害者だ。


三倉さんの退店に伴い、店長のピンと張っていた背筋も徐々に縮まり、前よりひどい猫背になってしまった。三倉さんのいなくなったスーパーは、いつものようにほどほどの売り上げを保つ、なんのとりえもないスーパーに逆戻りした。

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