『フィリピン海溝』 -10,057m
地下10階層に、到達した。
到達した先には……死体が、あった。
死体は、白骨死体ではなく。
……肉のついた、ミイラの様な、死体であった。
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「……んんッ?
どう言うことだ?」
俺……贄野 羔は、ミイラの様な死体を前に、しばし立ち止まる。
先ほど階段を降りながら、予想していた俺の仮説---地下10階で死んだ場合に、白骨化するのではないか、というもの---は、どうやら間違っていたようだ。
地下10階でも地下5階と同様に、死体は白骨化しない、らしい。
「……こひつじ~?」
先程まで地下11階へと繋がる『5番』階段を目指して意気揚々と行進していた幼女、ひさげ あかりちゃんは。
今は不安そうに、『5番』階段の前で首を傾げて俺を見ている。
「……あかりちゃん、ちょっと待ってね」
「え~……もうごーるだよ……はやくかえろ~よ~」
あかりちゃんは頬っぺたを膨らましてむくれているが、可愛いだけだ。
幼女の言いたいことも解るが、やはり、ちゃんと違和感を解決しておかないと、いけない気がする。
別に理由なんてない。
第六感が、そう言っている、気がしたのだ。
俺は自分の感じた違和感も含めて、もう一度、ゆっくりと、考えてみることにした。
この駅には基本的に、死体を土に返す微生物がいないようで、普通に死ぬと、ミイラ化し、半永久的に残るようだ。
……じゃあ、あの1階の、白骨死体は?
1階で死んだ場合だけ、白骨死体になるのか?
いや、他の階とほぼ同じ構造をしているわけだし、その可能性は低いだろう。
……と言うことは。
……地下11階が、何かしら、特別なのか?
地下11階には、何かしらの死体を土に返す微生物が、いると言うこと、なのか?
そして白骨化した死体を、何らかの理由で1階に上げている、と。
なんで、地下11階だけ、白骨化する?
そして、なんのために1階まで上げるんだ?
……おかしなことは、これだけではない。
白骨死体の多くは、地下10階まで、辿り着いていたと考えて良いだろう。
つまり、今の俺と同じ状態、だ。
もはやゴール目前と、言ってもいい。
ここまで来たならば、例え『円周率』について解らなかったとしても、総当たりで10個の階段を試し、この駅から抜け出すことはなんとか可能だと思われる。
……じゃあ、なんであんなに、死んでいるんだ?
もしかして、地下11階だけは、何かしら今までとは別の方法でのクリアが必要なのでは、ないか?
例えば……そう、例えば。
今まではあてずっぽうの総当たりで、間違えたとしても1階に戻るだけだった。
しかし、地下11階だけは、間違えたら即死亡、であるとか。
そんな、今までと違うルールが存在している、とか、そういうような……そんなこと、あるか?
……なんだクソ、全然解らん……。
頭をガシガシと掻きむしっていると。
……いつの間にか、あかりちゃんがいないことに、気が付いた。
「お、おい、あかりちゃん!?」
「こひつじ~、ここだよ~!」
俺は大急ぎで『5番』の階段に向かうと、幼女は既に階段を半分以上降りて、折り返しのタラップで手を振っていた。
「こひつじおそいから、さきに、おりていっておくね~!」
「ちょ、ちょっと待って、間違った階段を降りたら……!」
俺の声を聞こえたのか聞こえていないのか、幼女は笑顔で階段を降りていく。
それから、しばらくして。
「こひつじ~!
ごーるっぽいよ~!」
嬉しそうな、幼女の声が、聞こえた。
「え、ゴール!?
本当?
どんな感じ?」
「……なんかね~!
でんしゃがいっぱい!」
電車がいっぱい、か。
確かに地下鉄の駅としての、最終ゴールっぽいな。
俺の考えすぎか?
あの白骨死体たちは、11階に降りる際、総当たりを試して、『5番』以外を降りてしまい、唐突に始まった『謎の新ルール』のせいで死んでしまった、とか。
ただそれだけなのではないか?
今の俺のように、円周率が関係していると分かれば、普通にゴールできるということなのか?
それに何より、これ以上無駄な思考を続けて、あかりちゃんをよくわからない空間に独りで放置しておくのは、忍びない。
そう考えて、俺は、5番の階段を降りようとして。
……ふと、立ち止まる。
待てよ?
この階段が本当に正しいのだとしたら。
『産医師のゴロ合わせを書いた人』は、なんで死んでいたんだ?
俺はゆっくりと、『5番』の下り階段から離れた。
頭の中も、心臓も、激しく警鐘が鳴り響いている。
階段から静かに後退し、地下10階の空間に戻った俺は、考えを整理するため、地下10階の空間を観察することにした。
地下10階は、中央がちょっとした広場のような空間になっていた。
テナントはジャズバーの様なオシャレなものが多く、階層としては 全体的に少し薄暗い。
ここで飲んで、終電で帰る、なんてことも、今度やってみても良いかもしれない。
……よし。
少しだけ気持ちに余裕が出来た気がした。
「こひつじ~?」
『5番』階段の奥から、幼女の心細そうな声が聞こえる。
……まあ、なんだかいろいろ考えてみはしたが。
結局、よくわからない、という結論で、良いのかもしれない。
ただ、たまたまではあるが、あかりちゃんが先に進んでくれたことによって、正しいゴールも知ることが出来た。
もう、それでいいのではないか?
……うん、もう、それでいい。
これ以上は、単なる俺のワガママになる。
「ごめんあかりちゃん、今行くよ~」
俺は、『5番』の階段へ向かって、歩き出す。
そしてその時、何気なく視界を階段に移そうとして。
ようやく、地下10階を示す駅の看板を、初めて確認した。
ミイラの死体や違和感について考えていたりしたせいで、すっかり忘れていた。
そう言えば、この看板、いちいち毎回全フロア、律儀に確認していたな。
今回も、まあ一応、見ておくか。
俺は、何気なく、看板の流し読みをする。
『 魚 安 駅 ( B10F : マリアナ海溝 : -10,924m )』
看板には、そう書かれており。
そして、その下には。
誰もが知っている、あの、深海魚の絵が、描いてあった。