『ペルー・チリ海溝』 -8,065m
「ママああああああ!
パパああああああ!
どこおおおおお!?
おうちにかえりたいいいいい!!」
どこかから聞こえる、おそらく少女の叫び声。
なんだか面倒臭いことに巻き込まれつつあることを自覚しながら、この俺、贄野 羔は、声のする方へと足を向ける。
声を頼りに歩きながら駅の案内板を見ると、どうやら下に降りる階段は1から10まで番号が付いているらしい。
どこから降りても地下にたどり着けるのは分かっているが、俺はなんとなく声の一番近い、3番の階段から、下に降りることにした。
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そこには、少女がいた。
年は、小学校に通い始め、程度であろうか。
赤いランドセルを背負って、警報機の様にけたたましくビイビイと泣いている。
夜中に、こんな場所で、一人でいる幼女。
……声を掛けるべき、だろうか。
もちろん、怪しいということも、あるのだが。
それ以上に。
夜中に、こんな場所で、一人でいる幼女に、声をかけるお兄さん。
……事案になるのではないだろうか。
「ぐす……だれ……おじさん……」
と思ったら、向こうから顔を上げて、気づいてきた。
「あ~……俺の名前は、贄野 羔。
お姉ちゃんの、お名前は?」
「……」
少女はジト目で、こちらを見返している。
「……ひさげ」
なんとか、答えてくれたようだ。
それにしても、なかなかのキラキラネームである。
「……ひさげ、ちゃんか。
あ、え~と……可愛い名前だね」
「……『ひさげ』は、みょーじだし!
そんななまえのこ、いるわけないし!」
いやいや、いるかもよ?
初っ端からバッドコミュニケーションしてしまった俺だが、なんとかここから巻き返しを図る。
「あ、あ~……あの、そうじゃなくて。
あ、ホラ!
可愛い、苗字だねって、意味で!!」
「いみわかんない!
なにこのおじさん、こわい!
うええええええええええん!」
ああもう。
誰か助けてくれ。
泣き出す少女に近づくこともできず。
かといって、放っておくこともできず。
俺はしばらく彼女の泣き顔を鑑賞する羽目になった。
勘弁してくれ、と顔を横に向けると。
『 魚 安 駅 ( B1F : ペルー・チリ海溝 : -8065m )』
と書かれた駅の看板が、笑っている気がした。
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泣き叫ぶ幼女にどう対応すれば解らず途方に暮れていた俺だが。
カバンのなかのカ〇リーメイトをあげると、少女は驚くほど懐いてきた。
チョロい。
腹ペコ少女には、カロリーメ〇ト。
はっきりわかんだね。
カロリーメイ〇を食べながら、あっちこっちに飛ぶ少女の話を辛抱強く聞いた結果。
どうやら彼女は地下鉄で自宅に帰る途中、遊び半分で駅のベンチに寝ころんでたら、本格的に寝入ってしまい、気が付いたらここにいたらしい、ということが解った。
何してるんだ、幼女よ。
馬鹿なのか、幼女よ。
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「取り合えず、駅から出るけど、良い?」
「うん、おじさん、わたし、おうちにかえりたい!」
「おじさんじゃない、お兄さんだ」
「うん?」
幼女は首を傾げている。
「俺は、羔お兄さん。
お姉ちゃんが、『ひさげちゃん』なのと同じように……」
「あかり!」
「……?」
この頃の子供との会話は、慣れてないと……いや、慣れていても、マジで意味が解らない。
「……。
あ、ああ……『ひさげ あかり』ちゃん?」
「うん!」
当たってたらしい。
……かくして俺は、チョロ幼女ひさげ あかりちゃんとともに階段を上り、改札口へと目指すのであった。