いぶしあげ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんのところでは、もう忘年会はやった? 僕たちのところは、ちょうど昨日に仲間内でやったところでさ。大きいところを借り切って、ちょっとした余興も混ぜた大掛かりなものだったんだよ。
食事はビュッフェ方式だったんだけど、ああいうところで出てくる料理って、なにがなんでも数を食べなきゃって、つい力が入っちゃわない? 減り具合によってどんどん代えの料理が来るんだけど、それがまた曲者なんだ。
何せ、前に用意してあったのと、別の料理の容器が運ばれてくることがある。前半で飛ばし過ぎると、後半に出てくる自分の好みのものがお腹に入らない……なんて悲劇も。
そ、僕もやらかしたの。まさか後半で生ハムのパスタが出て来るとは思わなくてさ。もう前半の料理と飲み物でお腹がパンパンに膨れてて、食べられなかったんだ。知っての通り、僕は生ハムが好きだけど、目の前の満腹感に敵わなかったよ。食べ過ぎて起きた悲劇って奴も経験済みだったから、「別腹!」で飛びつくわけにもいかない。
……そうそう、最近知ったんだけど、生ハムも燻製の一種だったんだね。「生」っていうからには、てっきり火や煙の類が絡まないものだと、勝手に思い込んでいた。そこから少し燻製について興味が湧いちゃって、関連する話を少し調べていたんだよ。そしたら、こーちゃん好みの一話を見つけたんだ。
時間はとれそう? 良かったら聞いてみないかい?
燻製は知っての通り、食材を煙にあてることによって風味付けと殺菌、防腐の処理を行う加工手段だ。煙に関してもなんでもいいわけじゃなく、サクラやリンゴなど香りの良い木を燃やしたものが好まれる。
先ほど挙げた生ハムは、「冷燻」と呼ばれる15〜30度くらいの冷たい煙でいぶし、作成するとのこと。高温にならねば発生しない煙を、あえて低い温度に調整しなければいけないし、いぶす時間も長い。環境を整えるのにも一苦労すると聞く。
この技術は元をただせば一万年以上前に産まれたらしい。その過程で様々な方法が編み出され、一部では特殊な技術の片鱗が見られたとか。
むかしむかし。とある村に年がら年中たき火を焚いている家があった。家にひとりで住んでいるその男性は、晴れた日であれば外で。雨の日であれば家の中で火を起こす。たとえそれが、暑さの厳しい真夏の盛りだったとしても。
しかしこの男、周りの皆からは文字通り煙たがられていた。なにせ、わざわざ湿った薪を集めて火をつけるものだから、煙の量がすさまじい。村の端っこまで涙を流させる黒煙が届くというほどだから、かなり大々的に燃やしていると見えた。
実際、何度もやめさせるべく苦情を言いに行く人がおり、彼はそのたび「必要であるから焚いている」と譲らない。しつこく頼めばうなずいて消してくれるものの、日を改めればその時のことなど忘れたように、またも煙が上がり始める。
あまりのひどさに、村人たちは単なる依頼ではなく、泣き落としの手を用いることにした。
生まれたばかりの赤子を抱えた女房を向かわせ、男の前で赤子が苦しそうに咳をする様を見せつけた上で、どうか煙を止めて欲しいと懇願したんだ。
それにはさすがの男も心を動かされたのか、その日を境に彼の家や庭から、煙が立ち上ることはなくなった。ひと安心した人々だけど、今度は彼の姿そのものを見かける機会がなくなってしまう。
これまで庭先に彼が出るのは、ほとんどがたき火をする時。外へ出るのもその大半が薪をとる時とあっては、当然かもしれない。しかし今回に至っては、「ほとんど」ではなく「ゼロ」なんだ。出歩く人であっても、彼を見かけたという人は誰も出てこなかった。
もし家の中で死んでいると厄介なことになる。そう考えた数人が彼の家を訪ねたところ、中はもふけの殻になっていた。もちろんそこに、彼の姿を認めることはなかったんだ。
そのことを心配するより、喜ぶ人の方が多かったあたり、彼の行いがどれほどのことだったかがうかがいしれた。だがそれから少し経つと、事態はまた少々まずいことになる。
村にほど近い山の中腹。その茂みの中からもうもうと煙が湧き出すようになったんだ。その量は非常に多く、ふもとにある村の空を完全に覆ってしまうほどだったとか。「彼の仕業だ」と、山に自信のある若者たちが現場へ急行するも、火元には煙を吐き続けるたき火が残されているばかり。彼を捉えることはできなかった。
とりあえず煙を止めようと、見つけるたびに消火をし続ける若者たち。そうして煙がない日が数日続くと、またどこかしらで黒々とした煙が焚かれ出し、村中を覆い出す。そうしてまた火を消しにかかって……というイタチごっこだったらしい。
それが幾度も繰り返され、たまたま煙を完全に止めたばかりの翌日のこと。またも煙が山の一地点からあがったが、今度はこれまでのたき火と違い、ほのかに黄色く染まった細い煙だったという。
しかも、のぼっていたのはわずか小半刻(約30分)にも満たない短い間で、若者たちが向かう前に途切れ、すっかり見えなくなってしまった。一体、何のつもりでと皆が首を傾げていると、今度は煙の代わりに、強い風が煙の立っていた方角から、びゅっと家々へ吹き付けたんだ。
すでに冬場を迎えているというのに、夏の夜を感じさせる生温かい肌触り。かすかな湿り気さえ帯びているように思えたが、いざ風を浴びたところをなでても、水の気配はほとんど感じることがなかったらしい。
その日からまた好天がひと月近くに及び、人々の着るものはすっかり薄着に戻っていた。村から遠出する者をのぞけば、皆、袖や丈が短くなり、手足をさらけ出す人がほとんど。人々はまれに見る暖冬だなあ、と何かと話題に出すようになった。
その時だった。世間話をしていた男のひとりが、急に右腕を押さえてうめきつつ、その場で膝をつく。見ると、彼がもう片手で抑えた箇所の下から、じわじわと皮膚が青紫色に染まっていくんだ。その様子ときたら、叩かれて瞬時に青くなるようなものではなく、高いところから染料を垂らされて、地面へ向かって駆け下りるかのようだ。
そしてその影響は、ひとりだけに収まらない。村人たちは次々に、己の足、首、顔などを抑えて苦しみ出し、やはり同じように皮膚が青黒く変化していくんだ。激しい痛みを伴い、その場で動くことさえ容易でなくなる者も多い。
そうしていつの間にか、山の一角からはあの消え去ってしまった黄色い煙が、またも姿を現わしていた。先ほどとは量が比べ物にならず、今まで彼が焚いていただろう黒い煙に劣らず、村の空をすっかり覆いつくした。明るい色にもかかわらず、陽の光が覆われてしまうと、辺りには唐突に夜の闇が広がっていく。
黄色い空を残し、一寸先さえ見えない暗さに覆われた村に、こだまするのは老若男女の悲鳴。強く地面を引きずられる音がそこかしこで響き、どうにか痛みに耐えられるものは、音の源から離れようと努めた。
やみくもに逃げ回り、生き永らえた数名は、やがて空を覆う黄色い煙が退いていくのを目にする。西よりやってきたのは、これまで村に迷惑をかけ続けた黒い煙。
これもまた見た目の印象に反し、黒が版図を広げるのに比例して、夜が明けるように地上が明るくなっていく。引きずる音はぴたりと止んでそちらを振り返ったところ、確かに地面にはそれと思しき、いくつもの軌跡が確認できる。延々と伸びるそれは村の外へ伸び、住民の中には姿が確認できない者がちらほらと。
助かったのか、と逃げ延びためいめいは胸をなでおろしかけ、背後からの地響きに跳び上がりそうになる。同時に助かっていたはずのひとりの絶叫があがった。
振り返る。そこには大人の三、四倍はあろうかという巨体を持つ、巨人が立っていたんだ。図体こそ筋骨隆々としたその姿こそ異形だが、その顔はまさしく、村から姿を消した彼そのものだったとか。その歯が並んだ口からのぞく人の両足は、もはや楊枝ほどにしか思えない。
「奴らもせっかちよな。あの程度のいぶしでは風味が大きく劣る。最後の一押しこそ、このような極上の味を引き出すのに――」
身体相応の大音量を轟かせ、彼は顔を仰向かせながら残りの足の部分を、つるっと喉の奥へと滑り込ませた。
そこからもほうぼうへ散っていった彼らの何人かは、新たな地で住まいを得ることに成功する。彼らは身体に残る、変色した皮膚を見せながら件の話を語ったとか。
きっとあいつが村の中で煙を焚き続けていたのは、自分たちを美味いこと食べるための仕込みだったのだろう、と締めくくったそうな。