属性って大事
気付いたとき、私の周りからへのへのもへじは一掃されていて、白いローブを外したヒーローが、困ったように上から覗き込んでいた。
「あの、大丈夫ですか…?」
ぱちくり、と瞬きをして、声を出そうとして引っかかった。
思えば生まれてこのかた、頭で色々考えることはあれども身体が動くことは少なかった。前世の記憶を取り戻した今なら、これは、垰 灯火の魂の半分が敵の手に落ちているからなのだと気づく。
魂魄、という考え方がある。
精神に宿る、体を動かすエネルギーと心を動かすエネルギー。
この作品のヒロインは、体を動かすエネルギーをアンオダに奪われていたのだろう。
「だいじょう、ぶ……」
口から言葉が出てきたことにホッとしていると、私の目の前の陽くんは顔を赤くしてこちらを見ていた。
「な、に…?」
ああ、もう!喋りにくい!!そりゃこんな有様だったら表情筋だって固まるよね!むしろそんな状態を演じ切ったヒロイン役の子を尊敬するわ!
「っ、その、お名前、は…?」
「垰 灯火」
あ、良かった!自分の名前くらいは発声できる!は安心した!本当に安心した…!
力を込めれば体は持ち上がる。なんだ、鈍かったのは口の動きだけね。ここぞとばかりに腕を回す。足踏みもしてみる。
か、軽やか!
なんて軽やかに動くのでしょう、この体!
これならなんだって出来るって、そんなことまで思ってしまいそう!
大袈裟と言うことなかれ。前世の私はそれなりに運動神経の悪いデブだったのだ。
それがこんな健康的なスタイルの美人となったら、今まで出来なかった分色々やって見たくなるというものだろう。
見様見真似で空手の型をやってみたり、四股を踏んでみたり、嵐に吹かれながら熱唱するアーティストを気取ってみたり、そこからブリッジをしてみたり…。
「ちょ、すと、ストップ!」
と、そこで。すっかり忘れていた相手から待ったがかかった。
「あ…」
顔を赤くした陽くんが、ブリッジをしている私を止めたのだ。
自分の格好を省みる。仕事を抜け出してきたので、仕事着のまま。フレアスカートとワイシャツの私…すっと起き上がった。
陽くんが顔を赤くしていた訳が分かった。
ごめんね、知らないおばさんのパンツ見せちゃって…今日何色だったかな。確認の為に聞くこともできないし…ベージュとかでなければいいんだけど。
そう思って俯いていると、足元の影がゆらりと揺れる。ちょっと私、フラついてる?一気に動いたから疲れてるのかもしれないな。
そう思いつつ顔を上げると、私を見るヒーローの目が妙にキラキラしていた。何かしたかしら。
あ、もしかして私がヒロインだからですか?!そういえば一目惚れっていう設定があったわ。都合よく無視して二次創作してきたけども。
いや、でもまだ展開としては第1話だと思うし、告白なんて物語の中盤だったし…なにより今はこの裏で敵幹部の夜人様が灯火をさらう事に失敗したという報告を部下から受けている頃だしね!
……現実と妄想の区別が付いてないって言われるような思考かもしれないけど、正直そんな馬鹿げたことを考えてないと現実に立ち向かえないのだ。処理落ちしそうなのだ。
でも不思議なことに、私はこの世界がプリライの世界のものだと確信しているのだ。まあ、あんなへのへのもへじな怪人集団、他で見たことがあったら大変よね。
「ヒ、ヒメカさん!」
とかなんとかツラツラと考えていたら、陽くんは私のことヒメカって、名前呼びするようになっていた。
馴れ馴れしいにも程があるでしょ、という気持ちももちろんあるけど、その輝く顔面に全てを許してしまう。
麻島 陽/ライト役の椎井くんは放送後にドラマで引っ張りだこになったし、雑誌のモデルとしても大活躍するくらいには人気が出たのだ。そんな顔の持ち主に緊張気味に名前呼ばれてみ??全ての生命活動が止まらなかったことを褒めて欲しいくらいだわ。
「すみません、えっと、突然で訳がわかんないかもしれないんですけど……」
椎井くん…いえ、今は陽くんですね。あっ、そう思うと急にドキドキしてきた。
うんうん、分かるよ。
逆に分からない訳が無いのです。前世でどれほどのあのシリーズを見てきたとお思いか。この流れ、早すぎるけど間違いない。
乙女ゲームみたいにフラグを立ててしまっていたのか、それとも強くてニューゲームなのか…いや、本当に精神的に疲れちゃってるね。こんな馬鹿げたことを頭の中とはいえ、ぽろりとこぼしてしまうなんて。
根暗女子で、アニメとゲームにどっぷりハマっていた私が唯一心を揺らしてしまった3次元…否、半ナマジャンルのことを、そう簡単に忘れられるわけがない。第1話なんて擦り切れるほど見返しました。
でも一番好きだった絡みって敵の幹部と主人公のCPだったから、ヒロインの行動とかはあんまり覚えてない。
そんな状況で、唯一覚えてるヒロインとヒーローの会話が、24話ラスト4分のシーン。
「あ、あの!その…!」
「……なに…?」
…あの会話の概要は、覚えている。けれど、これはどう行動するのが正解なのだろうか。
原作通りの言葉を返すべきなのかな。「私も貴方のこと…」って。でもさ、そんなのは今の私にとっては嘘っぱちにも程があるんだよ。
だってそうでしょ?いくら前世の記憶らしきものが頭に戻ってきたって、それが本物だって思ってたって、この世界で生きてきた垰 灯火が消えるわけでもないし。それまでのどこか気の抜けた頃のぼんやりとした記憶もたしかに私のものなわけだし。
思えばこの世界に生まれ落ちて25年。この如何にもな名前にも気づいていなかった私である。───自分の名前にフラグが隠されてるとか思わないじゃないですか。垰って書いてアクツとは読めないよね。ヒロインの名前がオープニングの中で流れてた気もするけどそこらへんだってあやふやだよね。だって前世のこと思い出したのつい先程のことだし。
ま、つまり何が言いたいかというと。
今更頭をぐるんぐるん回転させたところで、私に妙案を捻り出すなんて真似はできやしないってことだ!
「あの!俺、麻縞 陽っていうんですけど…」
ええ、知ってます。太陽の陽と書いてヒカルって読むことも、誕生日が夏至の日だってことも知ってます。
そんなことを考えている私の目の前で、かつてのヒーローが手を出し、がばりと頭を直角に下げた。
「好きです!一目惚れなんです!付き合ってください!!」
……きてしまった、か。
「え、えっと……」
やはり、アレですか?確か物語の中盤の山場で、ヒーローがヒロインに告白するという…確か原作ではヒロインの美しさとぼんやりとした面差しの中に覗く妖しさにときめいてたのよね。
でも、今の私ってそんな感じじゃない…はずなんだけど。さっきすごいハッチャケてブリッジまでして、なんならパンツも見られてるんだよ。女として死んでるにもほどがあるでしょ。
それに、もっと言えば今は第1話でも描かれなかった2人の別れのシーンで、告白の要素が入る場面ではないのだけど…。
「わ、悪い奴らに攫われても、しっかりとしていたその強さと……損なわれない、美しさを好きになりました。どうか…俺と付き合っていただけませんか?」
涙目で、傾けられた首は文句なしに特上だ。
整った面だちにチワワのようにくりりとした目が非常にチャーミングだ。その瞳がゆらゆらと揺れているのもポイントが高い。
だが、だがしかし。
「ごめんなさい」
私に夢属性はないんだよね!と思いながら、ちょっと舌ったらずな口調とは反対に、勢いよく頭を下げる。
いや、だってよく考えてみても欲しい。
プリライの中で、最終的にカップルはひと組も誕生しないし、なんならヒロインは途中から置いてけぼりをくらって最後に自分だけ生き残る。そんな相手を思い続けた陽は、シリーズの半分をこの片思いに振り回されるのだ。どうせ叶わぬ恋ならば、ここで手折ってあげましょう。その方が優しさというものです。
「わ、たしは…」
喪女だった前世のときから知っている、こういうときの定番の断り文句。
「ほか、に…すきなひと、います」
そう言われたら、大抵の人は引き下がる。
その上で「自分を選んで!」と迫ってくるような奴もいるかもしれないけど、少なくとも 陽くんはそういうタイプじゃない。
優しい子なのだ。困っている人がいたら見過ごせないし、自分に出来ることがあるなら躊躇わずに手を貸す。ちょっと気の弱いところもあって、小さい頃はいじめられっ子だった。
だから、原作ではそんな彼が告白するまではとても時間が掛かっていた。
…あ、だから、外聞とかまるで気にせず、というか意識できずに動いちゃってた私に心動かされてしまったという…?
マジ☆プリでは庇護欲から始まっていたけれど、今はふつうに憧れてしまったと…そういうこと?
「そ、そう…なんですね……あの……」
ああああ!陽くん泣いちゃってる!泣かないで!私は貴方のことか嫌いなわけじゃないの!
「つ、きあってる…ひと、です!」
ただ、貴方とくっつくのは私じゃないと!
そう主張したいだけで!!
…べ、別にナイ×ヒカが再現されてほしいなんて、思ってないんだからねっ!
私がどうやっても引かないということを理解したのか、陽くんは呆然としていたけれど、やがて、そのままふらりと背後に倒れてしまった。