9,恋は盲目 (Gilseld)
社交シーズンの完全に去った今の王宮は華やかさに欠けるものの、秋のその静まりと冬の訪れをまつ、静かな空気はどこか心地よい。だからといって、安穏としていられるわけではない。
各領地にそれぞれ領主が帰っている今、ギルセルドだとてサヴォイ公爵という位をもつ身の上なのだから、遊び暮らせる訳ではないのだった。とはいえ、その領地は王宮直轄地となるために、ギルの一存で何もかもが動く事はない。
領主たちよりも、爵位はあるものの権限を最大限に発揮出来ないというのが、ギルセルドの現状だった。
叔父であるアルベルトの様に兄王を補佐する、それがギルセルドの進むべき正しい道だ。兄弟仲は、良いか悪いかと言えば良い方だし、エリアルドは隙のない王太子だから、ギルセルドを担ごうといか言う貴族も居ないし、またギルセルド自身も付け入る隙を見せないように気を付けてきた。それは今のところ上手く行っていた。
エリアルドの執務室に向かって歩いていると、近衛騎士のライナスとすれ違った。
ふ、と何かが引っ掛かり、ギルセルドは歩みを止めた。
「ライナス」
「はい」
整った顔をしている、ライナスのその顔。それが、記憶を刺激したのだ。
「どうされましたか?」
「……ライナスには、妹がいたな?」
「はい。双子ですが一応妹になります」
「妹は……今どこにいる?」
「さて……。もう大人ですから、そこまで干渉はしませんので」
「妹の名前は?」
「エスター・シンクレアです。騎士と結婚したので今は、その名に」
シンクレア、といえばギルセルド騎下に騎士団長ザック・シンクレアが居る。
ギルセルドは、その顔を見ながら
「ザックの妻か。かつて妹も近衛騎士をしていたのだったな?」
「はい。今は子育ても少しは一段落したでしょうか」
淀みなく答えるその口調に、ギルセルドは確信した。
「見張りか?それとも護衛か?」
「なんのことでしょう?」
セシルの店に新しく入った女性……その彼女にはライナスの面影があったのだ。
「……色々と勝手にしてくれるな……」
「なんのことでしょうね、騎士でなくなった今、その行動は彼女の自由ですからね。どこで何をしようと咎める事はないでしょう」
目を細めて笑顔を見せるライナスは、それだけを見れば本当に何も知らないと信じてしまいそうだ。だが、現状を見ればライナスとザックの作為的な物を感じずには居られない。
〝恋は目を曇らせ判断を誤らせる〟
その言葉がまた甦る。
……ギルセルドが考え付かなかった可能性を、ライナスたちは考えているのだ。万が一、ギルセルドとセシルの事が誰かに知られでもして、害をなそうとする輩が居ないとも限らない。セシルを守るためにも、誰かに利用されないように、そして……行動を監視するために……。そして他ならぬギルセルドを守るために。
この調子では、セシルの周辺に騎士が配備されているのは間違いないだろう。だからこそ、会いに行くことを咎められずそしてお付きの者が側に置かなくてもよいという事に表れている。街に降りてもギルセルドの行く場所が決まっているから
「その通りだな、確かに。たまたま、というのはその言葉があるくらいなのだから、起こり得るという事だな」
「そのように思います」
「何かあれば報告を頼む」
「心得ました」
ギルセルドは、一礼したライナスの前から再び歩き出した。
拳をきつく握れば、親指にセシルの指輪が触れた。
自分が王の子で無かったら、まだ貴族の次男だったならセシルと会うことはもっと簡単な事だったはずだ。
暑さを払っていった風が、かさっと枯れはじめた葉を鳴らした。
無理にでも、余計な事を考えないように心を整えて、エリアルドの元へと足を早めた。