8,温もりの交換
社交シーズンが終わりゆったりとしている、秋に差し掛かるこの時期は、antique roseの店に並ぶのは、貴族たちで流行した物を素材や飾りを変えて、安価な商品にしたものを主に並べている。それを目当てに、休みの日には王宮の侍女やタウンハウスの使用人たちが特にこの時期は増える。みんな懸命に貯めたお金でそれを買い求めに来るのだった。
美人で人当たりのいいお姉さんなエスターが接客すると、とても売れ行きが良くて、品を補充するのに嬉しい悲鳴が上がる程だった。何よりも、接客を任せられるから店の奥で商品を作ることに専念できたのだ。
そして、商品にもこれまでは相談する人もいなかったのに、意見を聞くことも、そして休憩の時に話をするのもセシルを楽しくさせてくれた。
正にエスターが来てくれてセシルにとっては良いことずくめだったのだ。
「どっちがいいかなぁ?」
お客の女性は、髪飾りを手に悩んでいる。
「どちらもつけてみましょう」
エスターはそう言うと、女性の髪に髪飾りをつけて見せるついでに、少し結いかたを変えて見せたり、とても器用に提案している。
「こちらの方が、髪の色にお似合いじゃないかと思います」
にこっととっておきの笑顔を見せると、女性はうなずいて
「この髪型、どうやったの?」
「簡単ですよ、見てください」
そういうと、エスターは自身の髪を一度ほどき、女性に見せるように器用に結って見せた。
「わたしにも出来るかも。またわからなかったら聞きに来ても良いかしら」
「もちろんいつでも大歓迎です。このまま、着けて行かれますか?」
「ええお願いするわ」
女性は嬉しそうに頷いて、入ってきたときよりも笑顔で店を後にした。
「ミセス・アンドリュース。とても接客が上手ですね」
店を閉めようと作業をしながら言うと、エスターは微笑んだ。
「ほんとう?なら良いのだけど。でも、それはここの商品がとても素敵だと思うからね。良いと思えなくては勧められないわ」
「そう言ってもらえると私もとても嬉しいわ」
セシルとエスターが店を出た所で、店の方へと近づくギルに気がついて、セシルは慌ててエスターに顔を向けた。
「今日もありがとう、また明日」
「はい」
微笑んで、エスターはFeatherへとグウィンを迎えに行ったようだ。それを見送り小走りで前に立った。
「ギル、終わるのを待ってくれていたの?」
「そろそろ店終いかと思って」
いつものように、少しだけ着崩したそれでいて、下品にならずお洒落な雰囲気のギルの姿だった。
「一緒に食事をしようと思って誘いに来た。誘いを受けてくれる?」
「私の返事は……決まってる。お受けします、って」
笑みを見せたギルは、セシルの手を取り、掌を合わせて握ってしまった。肘に手をかけるよりも、体の距離は離れているのに、掌から伝わる熱が親密にさせる気がして心臓は、壊れそうなほど音をたてていた。
ギルとゆっくり歩いて向かったその店は、セシルもかつて両親と兄と訪れた事のある〝flying pumpkin〟だった。
「通りがかりに、どうしてもこの店の名前が気になってさ」
ギルの言葉に、その看板を見上げた。
店名とそして、かぼちゃに股がってるのは、黒い帽子の小人だった。
お店は、古びた木にチェック柄のリネンのテーブルクロスがかかっていて、厚みのあるガラスのランプがオレンジ色に染めていて暖かみのある空間になっている。
今度はメニューを前に
「セシルの好きなものを」
そう言われて少し悩んだけれど、二人で食べるならと
「じゃあ……パイを」
パイの中でも、ミートパイを選んでそれを取り分ける事にした。
「パイが好き?」
「なんでも食べるわ、でもやっぱり定番でしょ?」
膝が触れあうくらいの、小さなテーブル。目に見えない膝が相手との距離を意識してしまうほどに、体熱を感じさせてくれる。
その事に気づくと、胸が苦しくなるくらいに体が変化を起こしてしまう。
「セシル?」
黙ってしまったセシルを、心配そうに覗きこむ。
本当なら……こうして二人で居ることなんてあり得ないから、こんなにも苦しくなってしまうのか、それとも……ギルがあまりにも素敵な人だから、その存在に魅了され過ぎて我を失いそうになっているのか………その両方なのかも知れなくて。
「こうしてまた同じテーブルに座ってるのが、なんだか信じられない」
「なんで?」
「なんだか……長い夢を見てるみたいで、起きたらギルがはじめてお店に来た次の日のような気がする」
「それじゃあ、俺はセシルと同じ夢を見ていて、また俺がantique roseに行くんだな」
ギルはそういうと、左手の小指に嵌めていた細い金細工に小さな光る石のついた指輪を外して、
「セシルのと、交換しよう。そうしたら、夢じゃないと起きたときにわかるだろ?」
セシルの中指には同じく金細工の指輪をつけていて、それを外すと、それはお互いの元の指輪のようにしっくりと指に収まる。
さっきまでギルの手にあったそれは、彼の手の熱を残していてそれは、セシルよりも体温が高い事を知らせていた。
「なるほど、いざというとき無いと困ると宝石屋が言うのはこういうことだね。はじめて実感した」
「何を言われるの?」
「『親密になりたい相手が出来たときに指に飾りの一つも無いと困りますよ』」
確かにセシルの指に収まったギルの物は男性が着けるには繊細過ぎる気がした。
ギルの指には他にもシグネットリングとそこにある紋章には翼のある竜が見えていた。それと青い石の大振りの物があり、セシルの指輪はその隣に微かな存在を放っていた。
セシルの指輪は、16歳の誕生日に、成人はまだだけれど結婚出来る年齢になったから、大人の証として父から贈り物として貰ったものだった。それ以来ずっと共にあったものだからなんだかそれが、彼の手にあるのを見るとどこかで繋がりが出来たようで、恥ずかしいような嬉しいような、言い様のない心地だった。
「そういえば、お店の前で一緒にいたのは店の客人?」
「うちで働きだした、ミセス・アンドリュースよ」
「そうか、じゃあなかなかお店には訪ねづらくなるね」
それはセシルも思っていたことなので、少し可笑しくなってしまった。
「でも、とても感じのいい人なの。ギルが来ても、きっと大丈夫」
「感じのいい人、か。それは良かった、俺も安心する」
「本当は、兄さまが早く帰って来てくれたら、もっと安心なのに」
「セシルのお兄さんか」
「そう、フルーレイスにすっかり居ついてしまって」
「でも、帰ってきたら俺は近寄らせて貰えないかも知れないね」
「近寄らせて貰えないのは……」
私の方だと、その言葉はとっさに飲み込んだ。
そして飲み込んだ言葉を誤魔化すようにミートパイを、取り分けようとすると
「貸して」
すらりと長い指を添えてナイフとフォークを器用に動かしてお皿に取り分ける。
「一度やってみたかった」
何でもないことを楽しそうにしてる、その姿がまたセシルを楽しませてただの食事、という時間を特別なひとときに変化させてくれた。
単なるミートパイは、これからこの時間を思い出させてくれる料理になるだろうし、金細工の指輪は……ギルを思い出させるだろう。
店を出てから、自然と遅くなる歩みのせいで二人の横を何人も追い越して行く。普通の倍以上の時を使って進めた道のりはやがてセシルの家へといつしか辿り着かせてしまった。
「おやすみ、セシル」
「おやすみなさい」
そう、挨拶を交わしたけれどセシルの指は繋いだ手を離せそうになかった。
「少しだけ、このままでいよう」
何も言葉にしなくても、繋いだ手が同じ気持ちだと伝えあっていた。
「また……会える?」
「もちろん、来るなとは言わないだろ?」
セシルは頷いて、
「おやすみなさい、ギル」
今度こそ、名残惜しそうに離れる指先を見つめながらセシルはそっと1歩離れた。
「おやすみセシル」
階段を上がって、セシルは部屋から路地を見れば、やはりそれを待っていたようにギルが見上げていた。
小さく手を振ると、手を上げて合図をして歩き出した。
立ち去る姿は、見ていたいようで、やはりそれでいて見たくなくてセシルは窓の側にそっと座った。
それはどこへ帰っていくのか、知りたいような知りたくないような、相反する二つの思いが、そうさせたのだ。
一人になった今は、繋いでいた温もりは秋の夜風に奪われて、ギルの指輪だけが確かな存在としてセシルの元に残されていた。