58,侯爵令嬢
ギルセルドはサヴォイに旅立ち、しばらくは別れ別れの日々となる。そこで領主としての務めを果す、そしてセシルは、シエラの元でレディとしてのふさわしい教養を身につけなくてはならなかった。
朝と夜にはピアノのレッスン。
朝食と夕食は食事マナーのレッスン。
合間では外国語のレッスンと、そして貴族のマナー。
中でも大変だったのは貴族名鑑を覚えること。
それからダンス。これはショーンとセスが交代で相手をつとめてくれて、セシルもそれに応えるべく頑張った。
シエラというレディのお手本の女性がいることで、とても学ぶことは楽しくそして何よりも必要な事だから。
「セシルはとても覚えがいいわ」
元々、貴族の顧客が多い店にいたから、戸惑いは少なかったかも知れない。そして外国語も日常会話なら申し分なく話せていた。
ただ……苦労したのが文字である。
流麗な文字を綴れるようになるには、ひたすら書くしかなかった。寝る前に、お手本のシエラの手紙を横にしてひたすらに書き写した。
ギルセルドからの返事には、セシルの字がすごくキレイになったと褒められて、単純な事にさらにやる気が出てくる。
アンブローズ邸の使用人たちは内心どう思っているかは分からないけれど、セシルの事をお嬢様と呼び、令嬢として扱う。
だから慣れないながらも、セシルもこの道を進むと決めたのだからと、他ならぬシエラがそう助けてくれているのだからと、それらしい振る舞いを心がけた。
そして、その年の夏。
フェリシア妃が王女を出産して、王都はすっかりとお祝いのムードに満ち溢れて、これに国王はギルセルドとセシルの婚約を許可するという報せがまた、お祝いに拍車をかけた。
そして同時に、新年よりギルセルドの王子としての身分を認める旨も知らされた。
これには、新聞や噂ではエリアルドの子供が王女だったから、ギルセルドの王位継承権がまだ必要だとされたとされている。
「さて、セシル。あなたはレッスンも頑張ったし、社交シーズンもそろそろおしまい。私たちはアンブローズの領地へと向かうけれど、寄り道をして、サヴォイをとおるつもりよ」
「お母様……!」
「数ヵ月で見違えるくらい、素敵なレディよセシル」
「感謝します……心から」
本物の親子のように抱き合って、笑い合う。
ショーンは、エリアルド王子の側にという事で、旅には同行しなかったが、セスは同行していた。
「あの、ギルセルド殿下がどんな顔を私の妹に向けるのか知りたい」
と言っていた。
「もしも、ギルセルド殿下が気にさわる事をしたら遠慮なく言っておいで、なんとかしてあげるから」
にこっとセスは微笑んで、セシルの頭を撫でた。
「はい、お兄様」
セシルはそう呼んでほしいという希望のままに笑顔で答えた。
「やばいな、可愛い。嫁にやりたくないぞ」
「あらあら、セスったら。あなたも早く誰かお相手を見つけてね」
「私より兄上が先でしょう。まぁ、いいあと数ヵ月はセシルを甘やかす事にします。ドレスとか靴はこの間たくさん仕上がってきたから、あとはやっぱり宝石かな?」
こんな感じでショーンもセスも、なぜかセシルに甘いのだ。
「意地悪をされたらすぐにいうんだ。セシルはもうアンブローズの娘なんだから」
とショーンも真剣に言うことがあった。それをユージンは優しい人柄だ眼差しで見つめていた。
新しい家族は……なんだかとても暖かくて、セシルは笑顔で過ごせてきたのだ。
アンブローズ侯爵家の馬車で、王都からさほど遠くない場所に、サヴォイはあった。サヴォイ公爵の名はそこからきているらしい。
グリーンが目に眩しく、その鮮やかな丘の上にリトルグリーンハウスはあり、そこにギルセルドが過ごしているという。
馬車から先におりたセスに手を取られて、セシルは馬車を降りてエスコートされながら、正面扉をくぐった。
ホールは広々としていて、記憶にあるよりも溌剌としているギルセルドが階段を降りて出迎えにやって来た。
「ようこそ、アンブローズ侯、レディ シエラ。それにセス」
そして、最後にセシルに目を向ける。
「レディ セシル」
手を取り、手の甲に淑女に対するキスをする。
「凄いね、この数ヵ月でずいぶんと頑張ったみたいだ」
「お母様のお陰です」
にこっと微笑むと、隣からセスが
「ギルセルド殿下、妹に近づきすぎです」
「なんだって?」
「これまではどうか知りませんけど、セシルはいまはれっきとした令嬢ですからね。二人きりにはなれないようにして差し上げます」
にっこりと微笑んでいるが、口調はとても意地悪だった。
「私の前か、母のいる所でしか話させない」
「セスだって本物の兄じゃないだろ?」
「兄です。セシル、私の事はなんて呼ぶ?」
「セスお兄様」
「ほら」
「こら、セス。あまり意地悪を言うな」
くすくすと、笑いながらユージンが嗜めた。
「セシル、少し殿下にお庭でも見せてもらってきなさい」
「はい、お父様」
セシルが着ているのは、旅ようの軽めのドレスだったが、それでならった通りのお辞儀をした。
ギルセルドの肘に手をかけて、揃って歩きだす。
「セシルが……令嬢になってる」
「つまらない?」
くすくすと笑いながら、前までのように話す。
「ギルと一緒にいられるように、頑張ったの」
セシルが言うとギルセルドは嬉しそうに微笑む。
「ありがとう」
その一言にまた笑って頷く。
こうしてなんの愁いもなく会えることが、何よりも嬉しい事だった。
回廊をゆっくりと歩いて、建物の外へ行くとやはりグリーンの美しい庭が鮮やかで綺麗だった。
「私……今はアンブローズ侯爵令嬢なのですって……」
「そうだな」
「でも……ギルは、覚えていてね。antique roseのセシルを」
「忘れない……そんな事はきっと、出来ないくらい鮮明だ」
「私ね……今はとても、幸せで……感謝してもしきれない。たくさんの人が私たちを助けてくれて……。応援してくれてる、みんな……暖かい」
「そうだな……」
グリーンの庭には、小川が流れていてそこにブルーが交差する。
「アンブローズのカントリーハウスで、社交デビューして……ずいぶんと遅めみたいだけれど……。来年には、王都で社交界に出て……ギルと同じ世界に行くの」
「セシル。セシルの元の世界を捨てさせてごめん。……今なら、ちゃんと言える……私と結婚してほしい、と」
婚約はすでに許可はおりている。
「はい……私でよければ」
「セシルがいい。でないと、誰がさらってくる?」
ギルセルドが楽しそうに笑う。
そして、取り出した指輪を左手の薬指に嵌めてくれる。
ここにはかつて、別の指輪がつけられていた時がある。仮初めのようで、全てがそうでなかった……少しだけツキンと胸が痛む。
でも、それはギルセルドの手を取ったあの日にセシルが捨ててしまったもの。
その記憶を上書きするように、それはキラリと光っていた。
「おばあ様のを、作り直した」
ダイヤのローズカット。それを中央に土台にも小さな石が並んでいる。
「キレイねとても、素敵」
セシルは背伸びをして頬にキスをした。
「ありがとうとても、嬉しい」
そういうとギルセルドは屈めて唇にキスを返してきた。
「程ほどにしないと、セスが飛び出してくるかな」
「どうかしら?セスお兄様も……少し大袈裟だから……わざとそう見せているだけだと思うの」
「分かってないな、あいつは本気でセシルの兄をやってる」
その嫌そうな表情にセシルはまたおかしくなってしまった。
「それよりも……ギルが、王子として戻れるようになって、良かった」
「ありがと、それは別に……どっちでもだったんだけどな」
「ううん、騎士の人達は……みんなギルの事を、尊崇してるなって思った。だから……良かった」
「そうか、だといいけどな」
その日は晩餐を共にして、2日ほど滞在してサヴォイを後にしてアンブローズ領へと旅立ったのだ。




