50,賭け
―――――賭けをしませんか
もしも、ギルセルドとセシルを手助けしてでも協力したいという人が多いなら、セシルとイオンの結婚の話はギルセルドの元へと知らせが届く。
それを聞いて、ギルセルドがまだセシルを想っているのならば、きっと結婚を阻止するためにやって来る。
二人はこのまま、別れるべきだとすれば……その報せはギルセルドまで到達せずに、セシルはイオンと結婚する。
だが、しかし……やはりギルセルドは来なかった。
昨夜は、ついにあまり眠ることが出来なかった。
いつ、窓がノックされるかと待っていたのに。
おかしな事だ。セシルの方から別れを告げたのに……。迎えを待つなんて
そんな事を思うのに、ベッドの下から手紙の箱を出してきて、開けていない封筒に指を伸ばした。
青い蜜蝋で封された、翼竜を中心にした紋章……。
最後に、もう一度……見てみたい
その欲求に勝つことはとても出来なかった。明日を過ぎたらセシルはイオンの妻として、このすべてを燃やして灰にする……。
手紙には相変わらずのYにクセのある字。
――信じてほしい、嘘をついていた事はない。
それはそうだろう。セシルが無知だから、気づかなかった、それだけ。
――話し合えば、必ず一緒にいることの出来る道が見つかる
そんな道はないとセシルは決めつけた。考えもせずに。
――歩み寄る事がきっと出来る。でなければ、一緒に過ごしてあんなに楽しく出来るわけがない
いつも……ギルといるときは本当に何をしていてもウキウキして楽しく、でも身分を知って住む世界が違うのだと差別したのはセシルの方だった。
でも、その事に気づくのが遅すぎた。
すぐにこの手紙を読んでいれば……あのとき追いついていれば。
たくさんの………本当にたくさんの手紙。
その文だけ、言葉を伝えてくれていたのに。
この夜が明ければもう、セシルの運命は決まったものだった。
ホーリーツリー聖堂には二人の結婚を祝うための人々がすでに両側に並んだ椅子に座り、セシルとイオンが司祭のいる祭壇の前に立っているのを見つめていた。
ミリアの作ったドレスは、白色のレースで作った長袖の上着はウエストでリボンで結んで飾り、中は淡いピンクのオフショルダーの3段のティアードドレスになっていて、清楚な雰囲気が可愛いらしく仕上がっていた。
司祭の言葉は次々と紡がれて、
それを聞きながら、この日驚いた事を思い出す。
なんと、髪を結いに来てくれたのはエスターだった。金髪が、本来の髪色らしい彼女は
〔騙してごめんね、実は私はザック・シンクレアの妻なの〕
と驚くセシルに言った。
〔でも、妹のように思っているのは本当よ〕
いつもしてくれていたように、綺麗に結い上げてくれた。
〔とても綺麗。セシル〕
そう言ってくれたエスターこそ、とても綺麗だった。
寂しさを和らげてくれたエスターを嫌いにはなれなかった。
「………この者たちを夫婦となす事に異議あるものはただちに申し出よ、さもな……」
そこまで告げた時、
「異議あり!」
後ろから、聞き覚えのある声が響いた。
「い、今なんと」
驚いたのは司祭だった。
「異議がある、彼女が永遠の愛を誓うのはこの俺だから」
一番後ろから立ち上がって通路をどうどうと歩いて目の前に立ったのは、騎士のマントを羽織ったギルだった。いや、ギルセルドだ。いつのまに、紛れていたのか……。
「……ギル……あなたどうかしてる……。どうしてこんな時にここで」
セシルはギルセルドと、そして前に立つイオンを見た。
「セシルが決闘しろと言うなら、婚約者としてそうする覚悟はあるけれどどうする?」
イオンがそう言って、腰に下げた剣に手を触れた。
「決闘なんて……いけない」
セシルはイオンの剣にかかっている手を押さえた。
「何を考えて、いまここにいるの」
「セシルが逃げないで、話を聞いてくれて尚且つ……絶対にこの状況で……俺を拒絶できない。その絶好の機会を狙ったからに決まってる」
イオンが落ち着いて見守っているからか、列席の人たちはみな様子を見守るようにしている。イオンの方には騎士がい並んでいたから、ギルがギルセルド王子だと気がついているからかも知れない。
「拒絶出来ないって……、何様のつもりなのよ……。おかしいでしょ」
セシルはもう、ぐちゃぐちゃでおかしくなりそうだった。何を言ってるのか自分でも分からない。昨日は眠れていないし、そしてこの1ヶ月半というもの全てが気が気でなかった。
「何様って、まあ王子さまだな、間違いなく」
そう言うと騎士たちから笑いが漏れた。
「でも……!」
ギルセルドは声をしっかりとあげて、周りを鎮めた。
そういうところはさすがと言うべきか……。
「それは……今、この時を限りに、全て捨てる。名も、身分も全て。俺はそうする、だからセシルも、全てを捨てて俺のこの手を取れ」
「すてて……」
まさか、こんな場面が自分に起こるなんて……信じられない。
「その怖れも、不安も全部任せろ。絶対に支えてみせる」
一気に間合いを詰めたギルセルドは、セシルの手を取った。
「私の事は気にしなくていい。これだけの気持ちをぶつけてくる男は……そうそう現れないよ」
イオンはそう言って、セシルの背をギルセルドの方へ押した。
「お前……いい男だなイオン・マーキュリー」
「名を知ってましたか」
「いつか、剣を合わせた……悪いな」
「いえ………お二人のご武運をお祈りします」
イオンはそう言うと、騎士の礼を取った。
「そういう訳で、司祭。この結婚は中止だ、騒がせて申し訳ない」
後半は列席の人たちに告げてへたり込みそうなセシルは、ギルセルドの腕に抱き上げられそのまま外の馬に向かった。
途中で驚いて見ているミリアにギルセルドはセシルの持っていたピンクの薔薇のブーケを手渡していた。
「どこへ行くの」
「とりあえずじい様の所」
ギルセルドのじい様のというと、オルグレン侯爵か。と思いつつ、馬の蹄の音とそれから、温かい鼓動を聞いてようやく現実味が増してくる。
「………もう来ないと、思ってた……」
まさか、こんな衆目のあるときに仮にもこの国の王子が花嫁を拐うなんて。
あり得ない………。
「なんて……馬鹿。放っておけば……面倒もない人と……いつか結婚したかも知れないのに。全てを捨てるなんてそんな事」
そうは言ってるけれど、もうこの瞬間に死んでもいいくらいに満たされた気持ちだった。
「その覚悟はあるけれど、まだそうと決まった訳じゃない。そうする、つもりというのをいい忘れたな」
その誤魔化すような言い方にセシルは少し呆れた。あんな風に人を容易く操ってしまうのか、と。
「決まった訳じゃない?」
「俺は諦めが悪い」
その言葉にセシルは思わず笑った。
セシルはギルセルドがこんなにも、力強い人だと…これまで気づいていなかったのだ。
「あれからいろんな事がありすぎて、本当に疲れてるの。寄りかかっていい?」
「寄りかかれ、俺はセシルのものだから」
なぜ、この人じゃないといけないのか……。
本来なら出会うはずもなかったのに、それともだからこそ出会ってしまったその時に、手に入らない物だと本能的に感じてしまって、より惹き付けられてしまったのか……。
寄りかかったその胸もそして腕も、心地よくてここが自分の居場所なのだと心にすとんと落ちてきた。
ギルセルドはやがて馬を、立派な屋敷に乗り付けてセシルを抱え下ろした。
「ギルセルド王子、その方は?」
出迎えてくれたのは老婦人だった。
「祖母だ。おばあ様、彼女はセシル、結婚式から拐ってきた」
「あらあらまぁまぁ、若い人は凄いわね」
おっとりと微笑み、
「それで、しばらくは匿えばいいわね」
突然の事なのに一つも動じていない。
「よろしく頼む。死ぬほど大変な目に遇わせたから、少しはゆっくりさせてあげたい」
「お花の彼女?」
「そう」
「私はマーガレットよ、セシル」
「よろしくお願いします、オルグレン侯爵夫人」
「おばあ様と、そう呼んで」
さぁ入って、と促されてセシルはマーガレットに肩を抱かれて中へと入った。
「おや、お客様かな?」
そう聞いたのはきっと老侯爵だろう。
「王子様にさらわれたお姫様なの。まるでおとぎ話ね」
「お世話になりますお祖父様」
「ギルセルド殿下か……。その女性を拐ってきただって?」
「結婚式から」
ギルセルドが付け足した。
それを聞き一瞬天を仰いだカルロスは
「殿下、私は王宮へ行ってきますから……。帰ってくるまでは、ここに居てください必ず」
ギルセルドにそう言い聞きかせた
「いるよ。ちゃんと絶縁状を受け取りに行くから心配しないで」
「まったく。楽隠居させないつもりですな?」
「よろしく。ちゃんとしたら、出ていくからさ」
「そんな事は言っておりません。若者は時に老人に甘えておきなさい。これでも……まだ働ける」
カルロスは呵呵と笑い颯爽とした足取りで馬車をつけるように呼びつけた。




