45,繋がる糸
熱が下がり、足の腫れも引いてセシルはようやく歩くことを許可された。
ずっと側で看病してくれたモーナと、それから気配りをしてくれたイオンには感謝しかない。
「手伝わせてください」
せめてものお礼にと、セシルはマーキュリー家の家事を手伝うことにした。
寝込んでいた2週間ですっかりと体力が落ちていて、寝込む前も……ギルとの事があって、普通の生活が送れていなかったせいもあるかもしれない。それで、医師とそして心配したモーナと、しっかり回復するまでとずるずると滞在は引き延ばされて、とうとう1ヶ月もお世話になってしまったのだ。
外出のドレスを着るためにひさしぶりに締めたコルセットは、いつもより紐が長く感じたくらいだった。
使わせてもらった部屋を中心に、丹念に掃き清め、拭き掃除をする。そして、シーツを洗いモーナと買い物へ出掛けて、献立を考える。
シーツにアイロンをかけてベッドサイドには花を飾る。
そして、イオンにお礼の食事をと、ダドリーに伝えてもらいセシルはモーナとパンを焼き、野菜のスープとミートパイ包みを作ることにした。
きちんとした料理は……あまりしたことがなかったけれど、モーナの監督がありそれらはきちんと仕上がった。
その夜、帰宅したイオンは客人を連れていた。
「騎士団長のザック・シンクレアです。お見舞いが遅れまして……。回復を心から喜んでおります」
きっちりと強面のザックに言われて、セシルは
「いえ、騎士の方々にはとてもよくして頂きました」
騎士の方はたくさん食べるかと思って、たくさんの料理を作っていた。だから男性が3人でも大丈夫だろう。
セシルを同席させて、イオンとザックそれから副団長のウィルフ・メイヒューと、食卓を囲んだ。
「これは全てあなたが作ったんですか?」
一番物腰の柔らかなウィルフが積極的に会話をリードする。
「いえ、ミセス・レーンがほとんど手伝って下さったので」
「いいえ、セシルさんが一生懸命頑張って下さったから」
「セシルさんはいい奥さんになりそうだ。どうですか?これをきっかけにイオンと。無口な奴ですが、将来はなかなか有望ですよ」
にこにことウィルフが言うと
「それはいい。イオン、お前もいい年頃だし師団長なんだから結婚して家を切り盛りしてもらうのは良いことだ」
「あの……、お世話になった上に、そんな風に言われてはお気の毒です」
セシルは申し訳なくなった。
「私は……別に、迷惑じゃありません」
「え……」
「イオンもこう言ってますし、考えてみては?」
にこにことウィルフが言い、セシルはうつむいた。
「考えた事がありませんでしたから……すみません」
食事はつつがなく終わり、セシルの足を気遣ったのか片付けるのはイオンとウィルフがすると言い、セシルはザックとその場に残された。
イオンとウィルフが立ち去ったキッチンからは話し声とそれからシガーの香りが漂ってきた。
「少し……痩せられましたか」
不意にそう見た目に違わぬ低い声で言われて、その言葉に引っ掛かった。どこで、会っていただろうか?と
「え?」
「……覚えてはおられないか?暗かったし、言葉もそれほど交わさなかったから無理はないか」
強面の……その顔。
秋の、寒さを増した日の、シンストーンヘ向かう馬車の御者をしていた、強面の男。
「シンストーンヘ向かうときの……」
「そうです」
では、この人はギルの下で働く人なのだと気付いた。
「イオンと……結婚するといい。あいつは誠実だしきっとあなたを大切にするだろう」
さっきの戯れのような言葉を、本当にするような事をいう。
「あなたは……知ってる筈です。私がどうして……誰と過ごしていたか」
しかし、だとすればこのザックはギルとセシルの間にあったことを、きっと知っているということだろう。
「知っている、だからこそ。あなたは、あなたの恋人が……その心よりも地位を大切にするようにと考えて、別れられた。それほどこの国に対する気持ちが強いなら……そうするのが一番いい」
「どういうこと?」
セシルは眉を寄せた。耳に痛いことを言われた気がした。
「殿下はあなたが結婚したと知れば、それできっと諦めがつく。そうすればちゃんとした相手を探されるだろう」
「ちゃんとした、相手を……」
思い浮かぶのは、エリアルドとフェリシアの姿。
それに、ギルセルドが取ってかわりフェリシアの代わりには、店で見るとびきり我が儘をいう令嬢を思い浮かべてしまった。
「そう、思ったから。別れを告げられたはずだ。心よりも立場をとるようにと、好きでもない相手と結婚する方が殿下の幸せになると」
言葉は騎士団長という、地位にふさわしく、丁寧だが声音には容赦がない。
「心よりも……立場」
セシルがギルに強いたのか……?それを?
「でしたら、あなたも。同じようにされては?気持ちにけりをつけて、身分に釣り合う男と結婚すればいい。それにあなたにとってもそうするのが一番いい」
セシルとギルでは身分が違う。
だからこそ別れたのに、自分だけが忘れるまで一人で過ごそうと思ってた?ギルには、そんな事が許されないかもしれないのに?
「なぜ……私はまだ、そんな事をする気にはなれません」
「おかしいな……」
強面のザックが凄みを見せると、セシルは青ざめた。
「イオンとあなたは身分もそれから年齢もすべてが相応しい」
「身分だけで……そんな事」
おかしい!
セシルの心はそう叫んでいた。でも、それと同じ事をギルにしていたのだ。
「それを……あなたが言う資格が?」
冷ややかな視線とそして、その言葉。いっそのこと、剣でも突きつけられたい気持ちになってしまった。
「団長………脅しすぎです」
イオンがセシルの前に、お茶を置いた。
「悪いな、俺は……仕える主人が大事なのでね。傷つけた相手は女だろうと、本来なら容赦したくない。それに、あなたは我々をはじめとする軍部から監視下に置かれている。だから言っておこう、兄君のいるフルーレイスへは、行かせられない。国内の旅行すら許可が無いところにはいけない。それに、この先の恋愛も結婚も自由には出来ない」
「どういうことですか?」
セシルはザックの強い口調に眉を寄せた。
「この先の、王家への反逆行為を阻止するため」
「私は……そんな事をしません」
「あなたがそうでも、利用しようとするものにとっては利用価値があります」
「私は……普通の女ですから、そんな事にはなり……」
「だからこそ、危険なんです」
ザックがセシルの言葉を遮った。
「あなたの意思は関係ない、殿下と関係があった……その事実がありさえすれば。――――――これは想定のうちの一つです。今から8ヶ月後くらいに誕生した子供をひとり用意して、あなたを脅して二人の間に産まれたと申し出れば……、もしくは成人してからでもいい。その人物は、後見人として権力を握ろうとするだろう、もしその時……後継者で揉めてでもいればもっと都合がいい」
「そんな事……」
「これを聞いて手紙を棄てたとしても、殿下の筆跡を真似て手紙をでっち上げればいい。そんな事が……起こるかもしれない。だから、普通の女はだからこそ監視しないといけない。貴族なら所在は明らかだし、問題は少ない。だが、一般人のあなたは一度目を離せば探すのが非常に困難だ。つまり……この話を断れば……ずっと、監視が続く。だが……それには大切な人員を割かねばならない、それよりももっと手軽な方法を私は知っている」
「手軽な方法?」
「リドゥル塔をご存知だろう?」
それは囚人たちを幽閉する為の塔の名だった。
死に至るまで、そこから出ることは叶わないという。
「私をそこへと?」
「罪を作ることくらい、私には凄く簡単なことです。この街で監視するよりもずっと……容易い」
「誰がそんなことを……」
「私にはこの国を守るという大義名分がある。その為に必要な権限はあるという事だ、ご理解頂けただろうか?ミス ハミルトン」
凄みのある顔は冗談を言っているようには聞こえなかった。
「だから私が告げた相手と結婚する、それが一番いいと言ったのです」
「それ以外は……?」
「死にたければ、どうぞ」
「うそ………どうして……」
「別れなど告げず大人しくしておられれば良かったのです。恨むなら、私を恨みなさい。買ってあげよう」
ザックは迷いなど一切なく、そんなやり取りをイオンは黙って見守っていた。
「ミス ハミルトン……一つ賭けをしてみましょうか?といっても、あなたの未来を左右する、賭けですが」
ザックとセシルの間に立ったイオンはそう、語りかけた。
「賭け……?」
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