38,夏の終わり
夏を迎えていよいよantique roseでの仕事は、セシルにとってカウントダウンに入っていた。もう早くも来月にはハルが店主に変わり、ニコルはアデルとローズをつれてフルーレイスへと出立するからだ。
それによって、セシルの生活はこれまでと激変してしまう気がしていた。
そして世間でも社交シーズンはそろそろ最後の一時へと向けてといった雰囲気で、年初からスタートしていた夜会には最早飽いた人々や、まだまだ最後まで楽しもうという剛の人とで、店が連なる大通りも行き交う人はまだまだ多かった。
antique roseはまだopenになっていたけれど、そろそろ夕方で店内はがらんとしていた。
音をたてて開いた扉に反射的に
「いらっしゃいませ」
と言って、セシルは入ってきた客の姿を見て息を飲んだ。
まるで一年前のようにギルが店の表から入ってきたからだ。
去年と違うのは、ギルに続いて良く似た男性が一緒に来ていて、セシルは対応を少しの間考えて店員らしく様子を伺うようにした。
ギルはセシルに近づいて、連れの男性を示して
「ハンカチを一緒に選んでほしい」
今日は純粋に買い物をしにきたということだと瞬時に理解した。
どことなくギルと似たその男性に、贈る目的を聞かなくてはとやんわりと聞きに徹する。
「贈るものはハンカチをと決まっておいでなのですね」
「汚してしまったので、新しいもので代えそうと」
その明瞭な答えにセシルはショーケースから、人気のあるものをいくつか広げて出した。
その男性もやはり服装はギルのように街をあるく男性がするような姿だったが違うのは、きっちりと着こなしていて、それがまた雰囲気に良く合っていた。
どことなく生真面目な感じがして、対するとギルが奔放なように思えた。
「それでしたらこちらがお薦めになります。おいくつくらいの方でいらっしゃいますか?」
「まだ若い、女性で……凛とした人だ」
声はギルと良く似た発音で、もう少し低く感じられた。
同じ黒髪の下から見えるその顔はギルと負けず劣らずの美しい男性で、セシルは驚いてしまった。
恋人……とそう、セシルは思っている。
その恋人を自慢する、ではないけれど事実としてギルくらいの容姿の男性がそれほどゴロゴロとしているとは思えないからだ。
「それでしたら、フルーレイスのレースのものなどはいかがですか?」
フルーレイスの物は人気があるし、antique roseにはニコルのお陰で最新の物がたくさん入ってくる。
「ああ、良いかもしれない。ではそれで……あ、これと一緒に何か他に贈るなら何がいい?」
どういう関係性か…で悩む所だけれど、軽い贈り物として考えるなら答えは一つだった。
「ハンカチを、でしたら。消えものとしてお菓子などは……?例えばチョコレートや焼き菓子などは日保ちもしますし、ほとんどの女性なら喜ばれると思います。見た目の綺麗なものがお薦めです」
「お菓子、ね」
ハンカチを贈り物用に包むのを頼もうと思ったが、エスターはさっき地下へ行くと言ったまままだ戻っていない。
セシルは自分でそれを包んでいると、さりげなく近付いたギルは
「兄、なんだ」
と小さく告げてきた。
「お兄様……」
そっとまだ店内で珍しそうに眺めている人を見てしまう。
「道理で、どことなく似ていると」
「ほんと?」
「背格好が……双子みたいに」
「優秀な兄とはいつも比べられる」
確かに顔は似てはいないが、二人とも美形には違いない。
「比べられるだけ?」
「だから面倒な事はすべて兄へ」
そう言うギルにセシルは吹き出しそうになる。
「私のことは面倒な事じゃない?」
「さぁ、どう思う?」
目が思いきり楽しそうに光ってる。
「出来ました」
「ありがとう」
ギルは出来上がった包みを持ち、そこで小声で囁いた。
「私は…ある人の事が、面倒すぎて……誰にも押し付けられないみたい」
「奇遇だ。実は俺も同じ事を経験してる」
ギルは最後にそう返すと、兄を促して二人で出ていった。
扉を閉める時に、笑みを向けられたのは間違いではない。
***
そしていよいよ、今季の社交シーズンの締めくくりには王太子エリアルドとフェリシア嬢の婚礼が執り行われた。
フェリシア嬢のドレスを手掛けたミリアはセシルを付き添いとしてくれたので同席することになっていた。
はじめて足を踏み入れた王宮はさすがに隅々まで美術品のようなきらきらしさで、セシルを緊張させた。
大聖堂で婚礼の後、通りをパレードして王宮へと戻ってくる馬車とその一団を出迎える、その馬車着き場から王宮へと向かってくるので、王太子妃を出迎える為、入り口手前でミリアとセシルは待っていた。
きらびやかな白い隊服を着た近衛騎士に守られて、国で一番華やかな王子とその妃は、まばゆいばかりに輝いていた。
ミリアの作ったドレスは総レースで作られ、ハイネックと長袖で白い肌が透け、そして後ろはとても長く裾を引き、またそれは細かな刺繍が施されとてつもなく贅沢な品で、間近で見たセシルは思わず歓声をあげそうになった。
「セシル、後ろへ続いて」
侍女たちの後を歩くミリアに続くと、二人が長身の夫婦だと分かる。
言葉を交わす雰囲気も気品に気品に満ちて見えた。
エリアルドも長身なのだが、その彼にヒールを履いているとはいえ、肩よりも上に顔が来ているというのは女性としてはかなりの長身なのだと言える。
フェリシア妃が部屋に入ると、それを侍女たちが手早く脱がせてゆったりとしたワンピースを着せそして、髪型を変えていく。
そして、次のミリアが手掛けたドレスは白のシルクに銀の糸で刺繍が施された正に主役級の美しさで、幻想的で光を纏うかのよう。
新しいドレスに不具合がないかを侍女が見て、控えていたミリアの仕事は終わりだった。
「ホッとしたわ……」
心底息を吐いたミリアの肩をセシルは労うように触れた。
「とても、綺麗だったわ」
「凄いわよね……、でもあのドレスは今日一日も着ないのよ」
そのドレスを作るのに何ヵ月もの間労力を費やしている。
「でも……たくさんの人が見たわ……。ドレスメーカーとしてこれほど誇らしい事はないわ」
「私も……友人として誇らしいわミリア」
王宮から出て、ふと何かが気になる。
でも、それは何だったのだろう………。
「あ、そうだ。エリアルド王子をなぜか見たことがあるような気がしたんだわ」
「当たり前よ。新聞でたくさんみたからでしょ」
ミリアに笑われて
「それでだわ、きっと。本物の方が圧倒的な存在感だったけれど」
くすくすとセシルも笑った。
この国の一番美しくて幸福にある人達を見た事にセシルも幸せのおこぼれをもらったような気がした。




