36,初夏の庭
その日、セシルはブレンダ・アップルガース伯爵夫人の元へ、依頼された品を届けるために、屋敷を訪ねていた。
歴史を感じさせる建物はともすれば暗く古めかしくなりがちだが、主人である性格を表してか開放的で華やかだ。
来訪を伝えて身分を伝えるカードを執事に手渡した。
心得ていた執事は、あっさりとセシルを正面扉から出迎えてくれ、応接室へと通した。
「わざわざありがとう、セシル」
朗らかに言うブレンダはいつ見ても素敵な貴婦人だ。
「antique roseの主人が変わると聞いたわ。だから……こうして呼んでゆっくりとお茶でもしたかったのよ。注文は口実ね」
ふふっとブレンダは微笑み、セシルを立たせた。
「今はとても庭が綺麗な時期なのよ。向こうでお茶にしましょ」
ブレンダに促されてセシルは庭に面したサロンへ通されて、運ばれてきたローズティーで喉を潤した。
まさに春を迎え初夏へと向かう庭は、とても色鮮やかで美しく心を浮き立たせる物だった。
「本当にとても綺麗ですね」
「そうでしょう?やはりこの時期が一番だと思うのよ」
ブレンダは嬉しそうに話した。
「それでセシルはこの後どうするの?」
「友人のお店で働くつもりなのです」
「そう……、良ければうちで働いてはとも思ったのだけれど」
「ありがとうございます、そう言って下さるだけで嬉しいです」
美しい庭を見ていてふと、セシルは聞いてみた。
「伯爵夫人、こちらの庭には温室はあるのですか?」
「いいえ、この庭にはないのよ。温室があるのは王宮とそれから、お伽話のお城みたいにとても綺麗なのはアボット邸の温室ね、機会があれば良いのだけれど」
「あまり、どのお屋敷にもあるものではないのですね」
「ええ、旧くからある伝統の庭を崩したくない主は多いと思うわ。それに、四季ごとの花も咲くものね、でも……。冬に温室があると、散歩するにはとても心地よいわ」
「素敵ですねそれは」
アボット伯爵は裕福な貴族だという。それならばあの時の温室もその屋敷であったかも知れない。
「庭が好き?」
「ええ、こんな見事なものはなかなか私たちには見られませんもの」
「そうね、セシルは王都の生まれ育ちだものね」
「ええ」
「そうそう、今日はねセシルにこれを」
と言ってブレンダはセシルに、アンティークものの細工の美しい可愛らしい宝石箱だった。
「可愛い……」
思わずそう言うと
「でしょう?でも、私にも息子の妻たちにもこれはもう可愛らしすぎるから。これはあなたにと思ったの」
「いいのですか?お孫さまにとか」
「いいの。前にも言ったでしょう?あんまり干渉するといやがられても嫌だもの」
はい、と手渡されてセシルはそれを受け取った。
「ありがとうございます。大切にします」
にこにこと優しく頷くブレンダにセシルも微笑んで、お茶はとても美味しく感じられた。
「何かあったらいつでもいらっしゃい」
「何かって……」
「それ……。恋人からでしょう?」
とネックレスを指摘された。
「マダム エメから、聞いてるわ。身分違いの恋人がいると」
「伯爵夫人……」
「私こう見えても、年の分顔も広いしそれなりに力もあるのよ。おばあちゃんだけどね」
そっと手を握られる。
「縁のある若い女の子一人くらい、ちゃんと助けられるわ」
「心配してくださってありがとうございます」
ブレンダは首を横に振った。
「どこの、誰かくらい私に教えてくれない?」
「それは……」
「ああ、困らせるつもりはないの。ただ、相手が誰か分かればちゃんと相談にのれるのにと思ったの。年をとっても誰かに必要とされるのは嬉しいものなの。だからセシルは遠慮しないで私を頼ってほしいわ」
「今はまだ、時間が必要です。いつかまた、話させて下さい」
「お相手の方に、迷惑がかかると心配してるのね」
「はい。……お兄様が婚約間近だとか」
「あら……ということは、恋人は継嗣ではないと言うことね」
セシルは頷いた。
「そう」
ブレンダはそっと近づいて、警告を告げた。
「良く聞いてセシル。もしもあなたの恋人が貴族だとすれば……恋人自身はあなたをとても大切にしていても、家族は違うという事もある。もしも、その人に妻や婚約者がいたとすれば、あなたはその相手に何をされるかわからない。それは例え跡継ぎでないご子息でもそうよ。上流の社会は華やかだけれど、怖くて暗い、そんな顔も持ち合わせてる。私はあなたが可愛い、だからこうして言うのよ」
「はい………よく……わかりました」
セシルは穏やかで優しいブレンダがこうまでして忠告するのにはそれなりの理由があるのだろうと、体の芯から冷える気がした。




