30,隠し事
湖の屋敷で、セシルは夜明けを迎えていた。
現実に背を向けてしまってる。その事に自覚はあって、けれどそれを今は知りながらも見たくはなかった。
ゆっくりと体を起こせば、同じシーツの上には光を受けて華やかに輝く金の髪をさらしながら目を閉じたままのギルがいて、ありのままで在るその姿は幸せな心地にさせて笑みをもたらせた。現実を確かめるかのようにそうっと指を伸ばして、いつもは隠されてきたそな髪に触れた。
思ったよりも細く柔らかな感触が指先を通して伝わってくる。そのまま耳に触れてそして顎をなぞり、セシルにはない男性的な喉仏へとたどり着いた所で、笑い声が響いた。
「くすぐったい」
明瞭な声に寝ていなかったと分かる。
「寝たふりなんてしてるから」
瞼が薄く開き、青い瞳が見返して
「目が覚めたら何をするのか、気になった」
その言葉にセシルもまた笑った。
そして、ふと明るくなったカーテン越しの外に意識が向いて呟いた。
「朝を……迎えてしまったわ。二人で」
それは、未婚である二人にとってはしてはならないことだと、自覚はあった。
「そうだな……お兄さんに……会いにいかないと」
「……無理よ。なんて言って説明をするの?」
今、セシルにはニコルが親の代わりのようなもの。
「きちんと、訳をお話しよう」
そして……ギルとの事を話せば、ニコルの言うであろう事は分かってる。
他の人たちよりも、きっともっと反対する。もっと悪くすれば、無理矢理今すぐフルーレイスに連れていって引き離すかも知れない。そうすることを誰も止める権利はない。
「でも……きっと反対する」
「俺がちゃんと、説明して分かってもらう。そしてセシルを必ず護るからと」
信じていない訳じゃない。けれど、逢えなかった日々はそれを裏付けてくれなかった。
「どうやって?……無理よ、だってギルは……ずっと側に居られる訳じゃない……」
「セシルそれは」
「わかってるの。そんな事を言ってはいけないことは、でも……まだ実現できない、そんな夢みたいな希望を持たせないで。私は……そんなに、強くないから……。どこに、住んでいるかも知らないのに」
「夢じゃない、俺が住んでる場所は……」
「言わないで、今はまだだめ」
セシルは勢いよくギルの言葉を遮った。
「それを聞くのは、あなたが約束を果たすときに……聞かせて。今それを聞いて、ふらふら逢いに行ったりして家の人に追い払われたりしたくない。そうなって傷つかないで居られる自信も、そうせずに我慢できるほども、私、強くいられない。だから……だめなの」
「……後で、話したらきっとなんて不誠実な男だと罵られるだろうな」
「一緒にいてと、言ったのは私」
「いや、悪いのは俺だ」
そうして二人して言葉をつぐんだ。
きっとギルも今、解決出来る答えを持ち合わせていないに違いない。
「ギル……今日は、出掛けるの?」
「ああ、仕事がある」
つまりはあと、何時間かすればここを離れるということだ。
「帰った方がいい?」
「待ってて欲しいと言ったらそうできる?」
「待ってても良いのなら、そうしたい。それで……お帰りなさいを、言うの」
ギルの答えはなく、代わりに深いキスが唇を塞ぐ。
言葉では……足りない想いを交わしあい、不明瞭な思考に飲み込まれていく。考えたくないことを忘れ去らせて、確かなギルの存在をひたすらに刻み込んで、ふたりでいることの幸福で埋め尽くす。
そうして……まだ、朝と呼べる時にギルはセシルを置いて出掛けて行った。
待つとは言ったものの、ここでどう過ごすか……知らない場所で戸惑いながら、ドレスを身に着けてそっと部屋の扉を開けてみれば、そこには遅すぎる朝食がワゴンに載せられて用意されていた。まだ暖かいそれは、セシルの為のものだろう。
ワゴンを部屋に入れて、蓋を開けて匂いを感じた途端に空腹を覚えて食事を始めた。
でも、いつもと同じ一人の食事。
それなのにもっとずっと淋しく感じてしまうのは、馴染みが無いせいなのかそれとも……ギルが出掛けてしまったからなのだろうか?
部屋の窓を開けてみれば、この建物は広大な敷地に建っているということが分かる。立派な屋敷をまるで我が物のように扱うギル。王都の中心部でないことは、その景色を見れば分かる。
(ここは、一体どこで、そしてあなたは一体……だれなの)
セシルはその問いを無理矢理殺した。
考えてはだめ。
それを知ってしまえば、何かが変わって、そして終わってしまうような不安を覚えてしまったからだ。
朝食を済ませて、どうするか悩み同じように扉の前にワゴンを置き直す。そして少したってから見てみれば、それは片付けられていた。一緒にいたいし、いてほしい。
けれど、二人で暮らすと想像してみようとするけれど、その生活は全く思い描けない。
この朝の、ワゴンを見ればそれが身に染みて分かる。
その日、夕方に戻ってきたギルを
「お帰りなさい」
とそう、出迎えた。
「今日は……帰るわ」
もう2日もお店を休んでしまった。そしてここにずっとは居られない。
「じゃあ、せめて夕食を一緒に。前にも行ったflying pumpkinはどう?」
「もちろん……賛成」
そこはつい最近、ニコルから聞きたくない話を聞かされた所。
だけれど、きっと二人でまた行ったなら楽しい一時を過ごせるはずだ。
時おり、不意に訪れる、ギルへの疑問さえ忘れれば穏やかで幸せな時を過ごせる。
見たくない事は目を瞑る。
それは間違いだと気づきながらも。




