21,嫉妬 (Gilseld)
サヴォイ公爵という地位とともに、ギルセルドが管理を任されている王家の離宮としてシンストーンハウスがあった。そこは普段は主不在の美しい所だ。王宮へとセシルを招く事は出来ないが、シンストーンなら他の貴族たちの目に触れず過ごすことが出来ると思い付いた。
今は建物を管理するものだけが居り、昨夜過ごした部屋も急遽使うと連絡をしたくらいだった。そして、セシルを送っていったのは、夜が明ける前。仕方がない……セシルには店があり、昼まで寝て過ごせる令嬢たちとはちがうのだから。
セシルを見送りそして、その足で王宮へと戻ったのだ。
***
そして、その日貴族議会の終わりに、ギルセルドたちが警戒する男がエリアルドに発言した。
「王太子殿下は、若く麗しい美少女に心を奪われておいでだが、他にも心ばえも素晴らしい令嬢はたくさんいるのですよ?ここは急いでお決めにならずとも、もっとよくご覧になって決められるべきでは?」
それはナサニエル・カートライト侯爵だ。
ナサニエルは暗褐色の髪に、琥珀色の瞳の、野心溢れる男だ。
彼の娘のアイリーンは、16歳のデビュタント。兄の婚約者とされているフェリシア嬢よりも高位にあたる侯爵家の令嬢であり、本来であれば今一番王太子妃に相応しいといえた。
「ナサニエル卿の言うとおりですよ」
同意するのは、カートライトに意思を同じくする新政派の面々だ。
「なるほど……私が他のご令嬢方を見てないと?」
エリアルドは落ち着いていて、ゆったりと言葉を発してその姿には余裕さえ見える。
「では……こうしよう。私とギルセルドが舞踏会を主催しよう、ナサニエル達の言う、素晴らしいご令嬢と一時を過ごさせてもらえるだろうか?」
その言葉に、巻き込まれたという感は否めない。
だが、それも仕方ない……。
エリアルド一人に、野心溢れる親とそして妃の座を狙う娘たちの相手をさせるわけにはいかない。
「それは……華やかで宜しいかと」
宰相のベルナルド・ウェルズ侯爵がにこやかに頷いて、有無を言わせずに決定事項となる。
会議の後、エリアルドはこっそりと
「巻き込んで悪いな」
そう話しかけてきた。
「いや……あいつの意のままにさせたくないからな」
「厄介だ……だが、目立つだけにそこに付け入る隙もある」
「兄上、策はあるのか?どうやら、父上は兄上に采配を任せるおつもりだ」
「何かは仕掛けてくるだろう、こちらも黒騎士を動かす」
黒騎士は、騎士たちの中でも精鋭揃いで、表だってその存在は公表されてはいないが、密かに貴族たちは認知されている。
隠密行動に長けた彼らは、こういう時にこそ実力を発揮する。エリアルド直属のジャックはその中でもとても優秀であった。
「ナサニエルは、使用人など人として扱っていない」
エリアルドはギルセルドに、目線を向けてその表情には上にたつものに相応しい風格がある。
「そうか、なら……良い条件を出せば辞める者も多いだろうな?」
「しかし………用心深い」
「他にも、隙はある。あいつの支持者も一枚岩ではないはずだ」
「私は、負けない」
エリアルドはギルセルドにきっぱりと言った。
「兄上は……フェリシア・ブロンテが相手で本当にいいのか?」
「いいか悪いか、ではない。彼女がいい、だ」
エリアルドの言葉にギルセルドは思わず笑った。
「ならば心置きなく、協力しよう」
「こき使うから、骨惜しみをするなよ」
「わかった」
「忙しくなるから、覚悟しておけ」
エリアルドの言葉にギルセルドは深くため息をついた。
色々と含みのある舞踏会を開くとなると、それなりの準備が必要だった。
夕刻には、セシルは店じまいをするだろう。その時間に合わせて、少しだけ顔を見に行くことに決めた。
すっかりと慣れた街を歩き、そしてantique roseが見えると、ちょうどセシルが店から出て来た所だった。
濃紺の騎士服を着た若い男が、見計らったかのようにセシルへと声をかけている。
何かあったのかと急ぎ足で近づいていった。
「どうかしたか?」
「あ、……ギル」
顔を見た瞬間に、いつものように綻ぶその顔を見てホッとする。
「なんでも無いの。ただ、うちは普段女性だけのお店だから、気にかけて下さってるそうなの」
「それは……ご苦労様」
そう、言いつつギルセルドは、セシルの手を握り引き寄せた。
「いえ」
溌剌とした雰囲気の、その騎士はギルセルドの登場に戸惑っている様だった。
「家まで送る」
それ以上騎士と話す気はなかった。
「ありがとう」
笑顔で答えたその表情を見つめながら、ちらりとこちらを見ている騎士を見た。
「……あいつ」
「どうかした?」
「なんだか、気に食わない」
「悪い人じゃないみたいだけど」
「いや……俺にとっては悪い男だな」
「はじめて会ったのに?」
セシルは目を丸くしてからそして、くすくすと笑いだした。少し見下ろすと、ドレスの胸元にギルセルドの贈ったネックレスが揺れていて少し、気分が良くなった。
そうか、と思い至る。
ギルセルドがもしも、あの騎士の立場なら遠慮なく……さっきのあの男のようになんの躊躇いもなく話しかけられるのかと、そして人目を気にすることもなく、どんな時も一緒に歩けるのに、と。
「……お茶を淹れるから、少しだけなら大丈夫?」
「ちょうど喉が乾いたと、思ってたんだ」
セシルの部屋へと続く階段を上がり、部屋へと行くとキッチンの横には、テーブルとそして椅子がありそこには、レースのテーブルクロスがかかり、可愛らしく飾られていた。
キッチンでお湯を沸かし、棚からカップを取りティーセットを出すのを眺めていた。
テーブルのある所から少しだけ死角になっている場所には、壁際に女の子らしいレースの天蓋つきのベッドがちらりと見える。
「……セシル、しばらく逢いに来ることが出来なくなりそうなんだ」
「そ、なの」
ことん、と湯気の立つカップを、ギルセルドとそして自分の前に
置いたセシルは、なんとか平静を装おうとしているように見えた。
「……やだ、な。猫舌だから……なかなか、飲めない」
「約束の、手紙はちゃんと出来るよ」
「……約束、ね」
小さなテーブルの上に身を乗り上げたギルセルドは、こめかみにキスをした。
「会えないからって、あいつを……近づけたら駄目だから」
「あいつ?」
「さっきの、騎士」
「やだ………名前だって教えてないのに」
「ずっと、教えなくていい」
「ずっと?」
まるで子供みたいに、独占しようとしている自覚はあった。
セシルと呼ぶ男は、自分だけだとそうであって欲しかった。
「俺の事をギルと呼ぶのは、身内以外ではセシルだけ」
「そうなの?」
「だからセシルだけが、俺の特別なんだ」
わかった?と目で問うと微笑んで頷いた顔がとても綺麗だった。
「じゃあ………そろそろ行かないと」
立ち上がって扉へ手を掛けたギルセルドに、セシルは後ろからお腹へと手を回して来てそして、
「枕の下に、ギルからの手紙を入れて眠るから……そうしたらきっと……夢で逢える?」
「じゃあ俺もそうする、……待ってて」
そっと離れた温もりを追うように、体を引き寄せて唇を重ねた。
セシルと会えず、なのに他の令嬢の相手をする準備をするのは……考えるだけで苦痛だった。




