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過ちの恋  作者: 桜 詩
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2,身分違いの恋

 セシルの扱う商品がいくら良いものだとしても、売れなくては稼ぎとならない。それもこれも、やはり貴族の支援がなくては厳しいものなのだ。


それが……いまantique roseに来店しているマリアンナ・ウェルズ ウェルズ侯爵夫人である。

「セシル、これいいわね。これを買っていくわ」

黒い髪を綺麗に結い上げ、美しい美貌をもつ貴婦人のマリアンナは、茶色の柔らかな瞳をセシルに向けてきた。


マリアンナが手にしているのは、立体的に造花をつけてある扇とお揃いのレティキュールである。本物のような細工がとても美しい逸品だった。

「ありがとうございます」

「これ、セシルのデザイン?」

「はい」

セシルは頬をそっと染めて答えた。


「お気に召して頂けて嬉しいです」

「来週のお茶会でこれを使うわ」

マリアンナはそう言って微笑む。


つまりは、お披露目するからたくさん同じような商品を置きなさいという事だ。マリアンナがそうして購入してくれたものは、その後に買い求める貴婦人たちがたくさん来てくれるからである。

今は、貴族の社交シーズンが終わる時期なので、セシルたちのお店も最も忙しい時期を終えようとしていた。そんな時期にこうしたマリアンナの計らいはとても有りがたい事だった。

「ありがとうございます、侯爵夫人」


店の奥まった所にあるのは、ソファとテーブルのセットで、店内からは少し隠されたように配置されている。そこでマリアンナにお茶を淹れる。


「この刺繍も素敵ね、とても」

マリアンナが手にしているのは、刺繍の見本である。

「ありがとうございます」

ハンカチやレティキュールの端に飾り文字や好きな花や蝶や鳥を刺繍するのだ。その刺繍を施した生地見本を置いてあったのだ。

実際に刺繍したハンカチを店にも置いてあり、なかなか好評である。


来客のない時間に少しずつ出来る刺繍はセシルの得意とするところである。時には、複雑な意匠の刺繍を引き受ける事もあった。


「セシルは……今いくつ?」

「18になりました」

「まぁ……まだ若いわね。でも、そろそろ結婚を考える年頃かしら」

「相手がいれば……ですけれど」

セシルは曖昧に微笑んだ。


交際を申し込まれた事が無いわけではない。けれど……恋に恋する……ではないけれど、やはりそういう経験をしてと考えてしまうのだ。お店を維持する責任ももちろんあるのだけれど……。


「セシルは……なんだかわたくしの若い頃と似てる気がするの」

「え……」

「わたくしもね、女なのに仕事が楽しくて……。本当の恋はそっちのけ。でも恋に憧れはあったのよ?」

「でも、今は」

「そう。ちゃんと恋をして結婚もして……こうしてあなたたちみたいな頑張ってる女性たちと知り合えて、本当に楽しいの」

美しい笑みは、重ねた年齢の分深みがあって見惚れてしまう。


「素敵な出会いがきっとあるわ。セシルはとても可愛いもの」

「侯爵夫人にそう言っていただけますと、なんだか自信がもてそうです」

セシルは恥ずかしくなりながらもお礼を言った。


「それはそうと……セシルのドレス。マダム エメのではないの?」

「はい、これはマダム エメの元で修行しているミリアという者のデザインなのです」

「あなたによく似合ってるし、とても素敵。ミリアね」

「はい」


ミリアのドレスが目に留まった事が、嬉しくてセシルは顔を綻ばせる。

「高級品の生地は使ってないのに、とても上品に仕上がっているし……。今からéclat(エクラ)に寄ってみるわ」

「はい」


立ち上がったマリアンナに、戸口にかけてあった日傘を渡して

「ありがとうございました」

と見送った。


茶器を片付けていると、扉が開いて

「いらっしゃいませ」

と声をかけると、そこには男性が立っていた。


背格好と服装は、この間に来たギルと似ている。けれど帽子から覗いてるのは黒い髪で……。おそるおそる名を呟く。

「ギル?」

「そう、良くわかったね」


聞こえてきたのは記憶を刺激するバリトンの声。

目を丸くしているセシルの姿に、くすっと微笑んだギルは、帽子を脱いで戸口の横にあるハンガーにかけた。


長めの黒い髪を後ろでひとつに結んで、その前髪から覗くのは青い澄んだ瞳だった。

「この前の商品が気に入ってね。また来てしまった」

この前の、商品……。

それは一体どれを指すのだろう、セシルの事を言われた訳じゃないのに期待してしまうのを止められない。


「ありがとうございます、そう言って頂けると嬉しいです」


「今日はね、逃げてきた訳じゃないから」

ゆったりとした空気から、そうだと感じ取れる。

「よろしければ、お茶を飲みながらゆっくりとお選びくださいませ」

「じゃあ……そうさせてもらおうかな」


ギルをさっきまでマリアンナが座っていたソファに案内して、お湯を準備して、紅茶を淹れる。


ソファに座ったギルは、長い足を組んで寛いだ格好だがどこか漂う気品というものがあって、やはり間違いなくきちんとした上流の教育を受けてきたのだとセシルに物語っている。


彼と自分とでは、身分が違う……分かってる。


でも、今は……セシルの目の前にいる……。


ギルが再び訪れてくれて、セシルは自分が浮かれているのを自覚して、自然と頬が緩むのを必死に引き締めた。


「どうぞ」

「ありがとう」


カップを手にする仕草も、何気ない動きの一つ一つがセシルの目を捉えて離してくれない。あまりにも見てしまっていたのか、ギルの目とかっちりと合ってしまい、まるで呪縛にかかったかのように、外せなくなってしまった。


どこかで……何かが鳴っている……そんな気がしさえしてしまった。


「セシル……君の目はとても綺麗な色をしてる」

呟きにセシルは自分が真っ赤になったのが、その熱さで分かってしまって、ますます赤くなりそうで、手を頬にあてた。


「そういう言葉には……慣れてないです……」


ようやく視線を外すことに成功したセシルは、マリアンナが先程買っていった造花で飾られたレティキュールと扇を手にして、ギルの目の前に並べた。


「こちらは……もうすぐ人気がでそうな商品ですわ、贈り物をお探しでしたらお勧めです」

「へぇ、俺はやはり男だから疎くて。これは二つある?」

「二つ……ですか?」


恋人か、それとも結婚相手と愛人か……贈る相手が二人もいるのだと、セシルは少し傷付いた。


「今お持ちしますね」


「従姉妹のだ」

「え?」

「近くに、従姉妹の姉妹が住んでいる」

また、青い澄んだ瞳を真っ正面に見てしまって、まるで誤解を解こうとするかのように従姉妹だと2回も告げてくれたことに現金にも嬉しくなってしまった。


「レティキュールの、この隅には刺繍をすることも出来ます」

デザイン違いの物を幾つか持ってきて、ギルに説明をすると、

「じゃあ頼もうかな」


ギルが指定したのは、1つはPに周りをぐるりと薔薇の紋様で飾ったものと、Aで唐草と菫で飾ったものを選んだ。

「仕上げには一週間程かかります」

「分かった、それくらいに取りに来よう」


これで、また逢えると思うと頬が染まるのをもはや止める事もその努力をすることも出来なかった。


「はい、お待ちしております」


会っていた……その時はあっという間で、ギルは店を後にしてしまった。


「身分が違うわよ、セシル」

ポツリと呟いた。

けれど、そんな事実は跳ね上がって暴れる心臓にも、上気する頬にもなんの効果もなかった。


(これが……女の子たちが騒ぐ……一目惚れ……?)


それはよく聞くのは……


誰にも治せない。


誰にも止められない。


誰にも……叶えられない。


もしも叶わないからと言って……忘れることさえ、出来そうにもなく。

ただ、心だけが全てを支配してしまっている。


また会いたい……でも、叶わないのなら……会えない方が良いのかも知れない。その方が、一日も早く諦められるかも知れないのに

けれど、そんな事を今は想像もしたくなかった。


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