18,夜明け (Gilseld)
『去っていくのを見たくないから……見送らない』
そんな風にシーツを被ってしまったセシルを置いてギルセルドは離れがたい気持ちで部屋を後にした。
1つずつの言葉も行動も全てに愛しいと感じてしまう。
扉をノックしていたのは、騎士のザックだった。がっちりとした体格と強面で、いつもならきっちりと着ている騎士服ではなく黒いロングコートを羽織った姿だった。
黙って先導するように歩く彼の後を歩くと、どこかで見ていたかのように目の前に走ってきた馬車が速度を緩めて、それと並走するように歩きながらザックはそこに手をかけて扉を開けるとギルセルドを乗せた。
ギルセルドとザックを乗せた馬車はそのまま速度を徐々に上げて走り出した。
強面の男が、無表情でただ黙って目の前にいるだけというのはとても居心地が悪い。それも……明らかにギルセルドが褒められる行いをしていないと自覚のある今は。
突然予定にない外出をした上に、すぐに帰ると言いながら夜明け前まで……ノックされるまで部屋を出なかった。
「……何も言わないんだな」
「言ってほしいのですか?」
顔に違わず太い声に、ギルセルドはため息が出た。
ついさっきまでは、セシルの女の子らしい顔と体と、そして声とそれを目と手と、耳で満たされていたというのに。
「なんですか、そのため息は。私だとて、小さくて華奢な女性と比べられるのは不本意です」
「……なんだ、わかったのか」
「私は、殿下は奔放に見えてもいい加減な方ではないと信じています。お相手の方の事をきちんと考えておられるのなら、私がとやかく言うことではありません」
そう言われて、すっと心が冷える気がした。
相手の事を考えているなら……。きちんと考えているか、そう聞かれればギルセルドの心はもちろん決まっている、だが……現実的に考えて、まだきちんと将来を見据えて見通せている訳ではない今、本来なら一夜を過ごすべきではなかった。
「……なんの、迷いもない」
「左様で」
ギルセルドは、セシルに伝えていない事がある。
それなのに、彼女はギルを信じると言い、想いを素直に伝えてきてくれる。
それは偶然の重なりから生まれた奇跡のような出会いとそれから、幸福すぎる関係を築けている。
溺れていると言われても仕方がない。
「彼女を……愛してる」
「左様で」
「だから、頼む」
何をとは言わない。
ザックにはそれで伝わるはずだからだ。
「お任せを。必ずお護りします」
「それは心強い」
ギルセルドは微笑んだ。
ギルセルドの、行動ゆえにザックたちが配慮して警備を動かしているのはわかっているし、余計な仕事を増やさせているのも
「悪いな」
「任務ですから」
ギルセルドは、堅苦しく言うザックに軽く頷いた。
間もなく王宮の前にたどり着き、ギルセルドは速度を緩めた馬車からザックに続いて軽い身のこなしで降りた。
門衛に軽く合図をしてザックと共に門を潜り抜け、自室へとたどり着いた。
寝不足の顔のフリップを見て、
「悪かった、先ずは休め」
ギルセルドはそう告げた。
「あなたは王子としての自覚がおありで?あの方ではここへお迎えすることは難しいのですよ、普通の……街の娘の、人生を変えてしまうおつもりですか?」
「お前は反対しなかったのでは?」
「ベッドを共にしないくらいの分別はおありかと」
「分別か……。確かに、無くしてしまってるのかも知れない」
「殿下、否定をしないのですね」
状況的な証拠を見てみれば、誰もがそう考えるだろう事はわかっていた。
「どうしようもない……そういうものだろう?」
結婚どころか婚約も、そしてそれすらもすぐに出来ないのに分別が無いと言われても抗議する気にはなれない。それは正しい意見で間違っているのはギルセルドの方だから。
「私たちは、お仕えする身ですから結局はあなたに逆らえはしません。ですから……仰せのままに……。意に添いましょう例えそれが、間違いだとしても」
フリップはそう言い、お辞儀をすると部屋を出ていった。
着替えをする気にもなれず、ジャケットとベルトだけを外して寝室のベッドに横たわった。白々と明るくなる窓を眺めながら軽く瞼を閉じた。
女性へ宛てての手紙など、セシルに書くまでは身分ゆえに軽々しく書いた事などなかった。けれど、なんと書けばいいか悩まされるのさえ今のギルセルドには苦ではなくむしろ悦ばせる事だった。
寝返りをうった瞬間に微かな薔薇の香りがして、さらりとした髪の感触を思い出した。早く、堂々と会えるようになりたい。
一先ずは、エリアルドの結婚が上手く行くこと、セシルの事を公に出来るとすればそれから、だ……。
二人はまだ出会ったばかり。
待つのは、焦れさせ苦しくさせた。自分の欲で人の事を急かすなど……、只でさえ重圧のかかるエリアルドには悪く思えたが、純粋な気持ちよりも、欲で、上手く行くことを願わずに居られなかった。




