17,約束の手紙
いつしか毎朝店に行くと、器用なエスターに髪を結ってもらう事が習慣になりつつあり、他人に髪を触ってもらうことは心地よい事だと気づかされそれは楽しみな時間になっていた。
「あら、今日は……いつもとすこし香りが違いますね」
「え……?」
そんな風に言われてドキッとしたのは昨夜の事を思い出したからだった。ギルとそしてその香りに包まれるように過ごしたあの時間は、セシルのこれまでの人生を変えてしまうのじゃないかというくらいに、それくらいの力を持っていた。
手際よく動くエスターの手はよどみなく、今日もまた複雑に編み込んで仕上がる。鏡の中を見れば、少しだけ大人になったような気がした。
「はい、出来ました」
微笑むことエスターにお礼を言って、セシルは造花のイヤリングをつけた。薄紅色のふんわりとした雰囲気の飾りは、今の気分に合っていると言えた。
その日届いた新聞には、社交シーズンの幕開けにふさわしく華やいだ話題が一面を飾っていた。
次の王となるエリアルド王子のロマンスだった。
大きな絵で王子とそしてお相手となるフェリシア・ブロンテ伯爵令嬢のきらびやかな世界を描き出していた。フェリシア嬢のデビュタントの白いドレスは可憐でそして清楚で、エリアルド王子は凛々しく描かれていた。
こういうものは大抵大袈裟に書き立てそうだけれど、麗しい王子と美少女の恋は、ギルと自分がそうであったように、一目惚れがあながち大袈裟だとまでは思えなくて、今年の社交シーズンはとても華やかになりそうだとセシルは思った。
現にその日は、貴族の令嬢を連れた夫人たちは入れ替わり立ち代わり店を訪れて、antique roseは大忙し、そしてそれはどのお店も同じくだったようで、馬車は変われど、常に店の前には停まっていた。
「社交シーズンが始まると、こんなにも違うものなのですね」
エスターが感心したように呟いた。
「お母様、扇もいくつか買いましょうよ。ドレス毎に変えなくちゃ」
「そうね、セシル。じゃあ、いくつか持ってきてちょうだい」
今来店中の親子は、スペンサー子爵夫人とその令嬢だ。
つん、とした態度をとるが、綺麗な金髪の巻き毛とそれからベリー色の唇が綺麗だ。今年のデビュタントのその令嬢の為にあれこれと購入するようだ。
「ねぇ、セシル。ブロンテ伯爵のご令嬢はここへきた?」
「いいえ、こちらには……」
「そう、じゃあ被らないわね」
新聞に載っていたブロンテ伯爵のご令嬢をかなり意識していると見えた。どこかで会ったときに、注目を浴びるフェリシア嬢と持ち物が似たような物になりたくないのだろう。
テーブルの上にはあれこれと並び、そしてたくさんの物を購入していった。
地下に置いてある在庫を、また取りに行かなくてはならない。
「……こういう時、男手があったら……」
元々は父の店で、接客には女性店員を雇っていたから地下に行くのも戻るのもドレスでは一苦労だ。
それにしても、この年の忙しさはセシルが店をしだしてからははじめての事だ。せっかくのドレスが、ダメになってしまいそうだ。
そんな慌ただしい日でも、ウォーレンが昼過ぎに店に届けてくれた手紙を落ち着いてから読もうと思うと、不思議と活力が沸いてくる。
店が落ち着いた夕方近くに、ギルのシグネットリングで封をされた白の封筒を開くと、その手紙はセシルを気づかう言葉と、それから昨夜は帰るのが遅くて、側についている従者に注意されたということ、兄が婚約者とはじめて顔を会わせたけれど、お似合いに見えたということ、それから、部屋の窓から見ると今日は朝は綺麗な空で、一緒に眺められたら良かったと、そんな風な事が書かれていた。
そうして、字を目で追いながら書いている姿を想像すると自然と笑みがあふれてしまう。
いつものように、パンと野菜を買ってそして家に帰る。
楽しくも、何もないただの部屋は今はすこし違う。
部屋には、貰った手紙もそれから一緒に過ごした気配もまだ残っているから……。ほんの少し一人だけの空間では無くなっていた。




