16,真夜中の逢瀬
こんな風に、しかもこんな真夜中すぎにギルを部屋にいれてしまうなんて、寝ぼけてるのかも知れない。
窓から物音がして目が覚めて、見てみるとまさかお菓子を持ってギルが立っているなんて本当にびっくりしてしまった。
もしかするとこれはセシルの欲望が見せた夢の中なのじゃないかと思わせる。
そんな事を思いながらも、小さなセシルの部屋に長身のギルが入るとなんだか窮屈そうだ。薄暗い部屋に、ランプを1つつけても仄かな灯りにしかならない。ゆらゆらと部屋を照らす硝子を通したオレンジとイエロー色の灯りは、同じく揺れてどこか幻想的にお互いを照らしている。
「ね、この部屋ってあなたの部屋のどのくらいの広さ?クローゼット?シューズクローク?それともベッド?」
セシルは小さなキッチンに立ち、ホットワインを用意しながら言うと
「バスルームかな?」
ゆっくりと測るようなギルはそう言った。
「バスルーム?バスルームがこの広さなのね」
「そう、それで従者が頭に一人、腕と足で四人」
「そんなに?」
「冗談だよ」
「やだ、もう」
セシルは笑った。
ここには、キッチンにある小さなテーブルと椅子が1脚しかなくて、壁にぴったりと寄せてあるレースの天蓋のついたベッドの前に、敷いた厚みのあるラグの上にトレーを置いてクッションに寄りかかるようにして座る。
「ラグに座るなんて、考えられない?」
「なかなか快適だよ、寝そべりなからセシルと話せて、しかもワインも飲める」
言葉通り、体を伸ばして上半身だけ起こしたギルはお世辞にも行儀が良い体勢ではないのにやはり見惚れるほど、どこか品が漂うのだ。
ギルが箱を開けると、チョコレートから小さなケーキに、フルーツ。焼菓子等がたくさん入っていた。
「すごい!」
セシルは、箱の中に指先を入れてそのまま摘まんでケーキを口にした。
「美味しい!ねぇこれって、どうしたの?」
「舞踏会の、会場にはこういうのが並んでる。それを少し部屋に運んでと言っただけ」
「なんて、贅沢なの」
セシルは笑って
「でもその、贅沢なお陰で私はこうしてギルに逢えて、夜なのにお菓子なんて食べてるの。もっと贅沢ね」
ホットワインを飲みながらだから、ネグリジェにコートだけど暖まり寒くはない。
艶々としたチョコレートを食べると、すぐに溶けて無くなってしまう。
「ねぇ、舞踏会ってどんなの?」
「知りたい?」
「ええ、興味があるわ」
「じゃあ、立って」
ギルはセシルを立たせて、トレーと箱を小さなキッチンの近くのテーブルに置いた。
「足をのせて」
素足を言われるままに、ギルの素足にのせると力強い腕はしっかりと体をホールドして、
「腕は、こう」
と腕を重ねあう。
ギルの鼻歌に合わせてゆっくりとセシルの体は動かされ出した。
「ワルツだ」
流れるような動きはとても優雅で、狭い部屋を同じ場所でステップを踏む。しかもドレスではなくて、ネグリジェにコートで。
「ねぇ……こんなにもぴったりとくっついて踊るの?」
まるで抱き合うようにしてるセシルはそう尋ねると
「まさか……好きでもない女性とは、こんなにも近づけない」
ギルは華麗にターンをしながら、セシルは高々と抱き上げてしまった。子供にするかのように軽々と抱えてしまったので、笑い合いながら、セシルはその手をギルの肩に置いた。
背の高いギルを見下ろす体勢になって、セシルのストロベリーブロンドが肩を滑り落ちてギルの頬にかかる。揺れるランプの灯りがその顔の陰影を濃くしていて、芸術的な鼻梁のラインを際立たせている。
セシルを腕に抱いたままギルはベッドに座り、そのまま膝に座る格好になると、うなじに手が滑り込んでゆっくりと指がなぞり自然二人の距離は縮まり唇が音もなく重なりそして、余韻を残して音をたてて離れた。
「チョコレートとワインの味がして……媚薬みたいだ」
いつもよりも低い声にセシルはぞくぞくした。
「媚薬の味を知ってるの?」
「いや」
くすっとギルは笑った。
「それくらい……理性を無くしそうだってこと……。そろそろ、帰るべきだな」
その言葉にセシルはその首に腕を回した。
「いや、帰らないで、と言ったら?どうするの?」
「……帰れなくなる……」
「じゃあ、このまま帰ってしまわないで?」
そっとほんの少し体を離したセシルのその唇には、キスが息をつかせないほどの熱をもって襲いかかる。
ようやく少し離れた頃には息切れを起こしそうだった。
ガウン代わりに着ていたコートは知らないうちにラグに落ちて、セシルの素肌にはいつか、綺麗だと言った事のある手が触れて、息の仕方さえままならなくしてしまった。
セシルの手が、ギルの髪にかかるとギルは黒髪をするりととって、ラグの上に置いた。現れた金髪はランプの灯りに煌めいて、セシルをうっとりとさせた。
「黒髪も、素敵だけど……こっちはもっと……綺麗」
何度交わしたかわからないほどのキスと、それからもっと親密な愛の形にセシルは不思議な感覚に陥った。
それと共に…もっと、一緒にいられたらと貪欲な欲望が目を覚ます。
いつものベッドは二人で寝るには狭いけれど、その分寄り添える。
いつものシーツはひとつになったかのようなシルエットを描いている。
セシルの狭い部屋は、幸福の空気で満たされていた。
****
ギルが身じろぎする雰囲気に気がついたセシルは、扉を控えめにノックしている音に気がついた。
「どうやら……時間切れらしい」
「……まだ外は暗いのに」
セシルはカーテンの隙間から光がないことを見て言った。
「俺が帰りたいと思ってると、そう思う?」
セシルは脇から肩に腕を回して、肩に唇を寄せた。
「わかってるの……、夜が明ける前に行かなくちゃいけないのは」
いくら、セシルが貴族の娘じゃないとはいえ、未婚の娘の部屋から朝帰りをさせるわけにはいかない。
額から髪を撫でてキスをするギルを見上げると、ギルはベッドから降りて、散らばったままの服を拾い身に付けた。
ベッドに座りながら身支度をするギルの背に後ろから抱きつくと
「我が儘を言ってもいい?」
「まいったな、セシルの我が儘ならなんでも聞きたくなってしまいそうだ」
「逢えない日は手紙を書いて……、それから毎日私の夢だけを見て。本当は夢だけじゃなくて、逢うのは私だけにしてほしいのに」
振り返ったギルは、抱きしめてキスをする。
「本当に帰りたくなくなって……困る。約束するよ……」
「去っていくのを見たくないから、見送らない……」
セシルはそう言うと、シーツにくるまってベッドに横になった。
身支度をしたギルは、狭い部屋を横切って扉に手をかけた。
扉は開いてそして、閉じて……。
見送らない、と言ったのに、窓から見たくて仕方なかった。
昔はよく男なら、父について外国へも行けたのにと思った物だった。けれど女だったからこそ、今のこの出会いがあった。
思い出したくない事を思い出して、さらにくるまったシーツからはセシルの物じゃないスパイスの利いたグリーンシトラスとシガーの香りは夢じゃなくて現実だったと伝えている。
眠れないセシルの瞼を、カーテンの隙間から入り込んだ白い光が刺激してそっと顔をだす。
「……朝なんて……嫌い」
呟いた声を掻き消すように、シーツを深く被り直す。
夢を覚めさせて、現実を突きつける朝はセシルに優しくはなかった。




