14,約束
社交シーズンを迎えるのに、セシルまた店の商品を最新の流行のものへと変えていきとても忙しくしていた。
「セシルいるかな?」
やって来たのは、ケイだった。
「ケイおじさん」
「弟子の作った靴なんだが、傷を作ってしまってね。セシルに合うサイズじゃないかと思うんだが、どうだろう」
ケイが持ってきたのは、茶色のレースアップのブーツとそしてピーチピンクのリボンのついた靴だった。
傷がついたとは言っても、ケイのいう傷は本当に目立たない小さな傷なのだ。だけれど仕事に関しては鷹のように厳しい目を持っているケイはそれを見つけてダメにしてしまう。
「そろそろくたびれてきていただろう?」
「ありがとう、ちょうどそう思ってたの」
いつも足に合わせて微調整をしてくれるので、まずは履いてみると、その靴はサイズは少し直せば十分合いそうだった。
「セシルのその、恋人はどこの誰なんだい?」
いささか、唐突に。靴の具合を見ながら、さりげない風を装ってきっと気にかかっていたのだろう、その事を切り出した。
「恋人……って」
「近頃その、出掛けたりしてるんだろう?」
近所にいる人達は、みなどこかで繋がっているし、噂でも流れてしまってるのだろうか?
「もしかして噂になってる?」
「いや、エメさんがね。近頃一緒に出掛けたりしてる相手はきっと恋人だって。一緒にいるのを見かけた事もあるからと」
「確かに……時々会ってる人はいるの」
「余計なお世話だと思うけどね、その人はどういった人なんだろう。この辺りの人じゃないんだよな?」
「ええ、多分」
「その人は、やめた方がいい。セシルにはもっと似合う人がきっと居るから。私たちに話せないような男は……いつか君が傷つく」
「……ありがとう、ケイおじさん。でも、私は信じたい……」
「いいかい、セシル。身分のある男にいいように言われて、簡単に捨てられる、そんな話はよく……ある事なんだ。本人同士の意思とは関係なく、階級の違いはとても大きな壁なんだ。今は何もかも楽しい時かも知れない。でも、その代償はとても重くなるかも知れないんだ」
ケイの眼差しには心配で堪らないという光があり、セシルは上手く話せない事を心苦しく思った。ケイの言うように、そんな話は時々噂として聞こえて来ているし、セシルだってその事は考えなくもなかった。
けれど……。
「ケイおじさん。でもね彼はちゃんと家族に紹介するって約束してくれたの」
「家族に、か」
「お兄さんが結婚するらしくて、結婚して落ち着いたらって」
「そうか……。私はセシルをお父さんの代わりに見守っているからね」
「私もそう思ってるわ、だから、何かあったら直ぐに報告させて」
「わかった……。じゃあこれ以上野暮な事は言わない、けれど気をつけなさい。自分を大切にしないといけないよ」
「ありがとうケイおじさん」
「じゃあ、すこしサイズを調節してまた持ってくる」
優しく肩を2度触れて、ケイは店を去っていった。
心配されるのはとても、ありがたいのに、なのに優しいケイやマダム エメに上手く説明を出来ないのは心苦しくて、話して理解してもらえない事は寂しい事だった。
ギルの名を出して、もしも彼の兄の結婚に障りが出てしまったら?そうなったら、自分たちも上手く行かなくなるかもしれないし、本名じゃないと分かったら?セシルはショックを受けるに違いない。
騙されてる、なんて絶対にないと信じてる。けれど、まだ隠されていることを炙り出したいとは思わなかった。
今はただ、ひたすらにギルが言う言葉だけを信じて待ちたかった。いつか、約束の日が来ればきっと二人には話せる、その日が来ると信じてるから
その時にはきっと、セシルの周りの人もわかってくれるはずだとそう思っていた。
店にはエスターが今年一押しの髪飾りと、それからデイドレスを身に付けていて、それを見ればきっとみんな真似をしたくなるほど素敵だった。
「ミセス・アンドリュース、そのドレスは?」
「マダム エメのドレスなんです。私も作ってもらって」
微笑むエスターは、どこにも非の打ち所が無いくらいの美人でしかも、姿勢のよい立ち姿がより際立たせていた。美人なのにどこか愛嬌のある彼女は、男女ともに魅力的に映るだろう。
「今年はこういう、花モチーフが流行りそうなのですって」
去年シーズン終わりに流行りだした造花の物は、やはり今年も継続しそうで、セシルは控えめに結った髪に、花モチーフの髪飾りを襟足近くに飾ったエスターを見つめた。
「というよりも、ミセス・アンドリュースが流行らせてしまいそうだわ」
「そうだと嬉しいけれど、今年はどんな女性が何を流行らせるかしら」
流行の発信はやはりなんと言っても王都の貴族の婦人だ。
「今年のデビュタントには、目立つレディがいるかも知れないわね。新聞には要注意ね」
「驚いたわ。ミセス・アンドリュースは商売向きね」
「私は特に自分は良いのだけれど、誰かを着飾るのは好きみたい。セシルの髪も、1度触ってみたいわ。さらさらでとても素敵」
「ほんとう?私は、巻き毛に憧れたの。色だって金髪になりたかったし」
茶色だけれど、綺麗に流線を描いているエスターの髪はセシルの欲しかったものである。
器用なエスターは、セシルを前に座らせると細かくいくつも三つ編みを作って、細いピンクのリボンも編み込んでいく。それだけで飾りになるように仕上げてしまった。
後ろはそのさらりとした真っ直ぐな髪を活かして垂らしてある。
華やかで可憐な雰囲気に仕上がった。
「ほら、とっても可愛い」
鏡をみせながらエスターはセシルを鏡越しに覗き混む。
「ありがとう、ミセス・アンドリュース。なんだかお姉さんが居たらこんな感じだったのかしら」
「あら、じゃあ私にも妹がいたらこんな感じなのかしらね。今日のデートはこの髪型できっと恋人も見惚れるわ」
「デートって……!」
約束もしていないのに……。
セシルは曖昧に笑って
「いつお誘いが来ても慌てないように、ね?」
エスターはいたずらっ子の様に微笑んだ。
エスターはいつも明るくて、落ち込みそうだった気持ちさ明るく照らしてくれるようだ。
応援してくれている訳では訳ではないのだろうけど、反対もされないというのは、なんだかホッとさせてくれる。
antique roseにも、antique roseがある通りにも馬車や貴婦人や紳士たちが少しずつ増えてまた華やいだ季節がやって来た。
それと引き換えにギルはなかなか逢えなくなるのではないかとそう思えた。
貴族や上流の人々は、毎夜どこかで夜会に参加していると聞く。
だとすれば、ギルもそういった生活をしてして、そういった階級の女性たちと楽しい時を過ごすのじゃないかと思えたから。
その想像はセシルを、あの花に囲まれたあの幸せの象徴のような時間から遠ざけさせた。




