13,重ねた時の分だけ
ひさしぶり会える、ようやくその日を迎える事が出来てセシルは、落ち着かないままに朝を迎えていた。
最後に来た手紙で待ち合わせは、王都の一番大きな公園、フォレストレイクパークの入口でとなっていて、セシルは寒くなった季節に合わせて、帽子とコートを羽織り足取りも軽く家を後にした。あれこれと悩みすぎて、髪は結局気にくわないし、ドレスだって今日のお出掛けにふさわしいのかわからないし、ブーツだって少し古くなってる気がして、それでも、会える事の嬉しさはそれを上回っていた。
待ち合わせの、パークの入口で待っているとセシルもすでに何度か顔を会わせたウォーレンが御者を務める箱形の馬車が目の前に停まる。
「セシル」
中からは、ずっと会いたいと思っていたその人、ギルが扉をあけて降りてきた。
「さぁ、乗って」
こんな高級な馬車に乗ることが躊躇われて、艶のある紅いベルベットのシートと艶々に磨かれた木目の美しい室内をただ視線を巡らせてしまった。この馬車に似合うのは、高級なドレスの貴婦人なのに……。
「え、と」
戸惑うセシルの手をまるで貴婦人にするかの様にエスコートして馬車に導く。
「やっと……逢えたね」
どこへ、という問いは真っ直ぐに見つめてくる青い瞳と、そしてそっと軽く頬に触れてきたその手に、言葉にならずに消えてしまった。
黒のロングコートが、背の高い彼には良く似合っていてドキドキするくらい格好良かった。
「セシルの書いてくれた手紙を一字一句覚えてしまうくらい読み返して、折り目が擦りきれて逢うまでに破れてしまうかと思ってた」
「そんなの、私だって同じ。私なんて新しい紙に貼ろうかとおもったくらい。でも……こうやって逢えたら、やっぱり手紙だけじゃ足りないって思ってしまう」
目の前のその存在は、ギルの姿を香りを体温と感触と……話す言葉、五感のすべてを刺激してしまって、募らせていた気持ちは、昂って止まらなくなりそうで、思わず涙ぐんでしまう。そんなセシルを抱き寄せるギルのその肩に額を当てると生え際に暖かい息がかかりうぶ毛の一本ずつに至るまでが感じ取ろうとしているように思えた。
馬車はやがてどこかで停まり、
「ギル様、着きました」
ウォーレンから声がかかるまで、寄り添っていた。
先に降りたギルがまたエスコートをして降ろしてくれると、それはどこかの貴族の屋敷の様だった。
「ここって」
「知り合いの屋敷なんだ、今はカントリーハウスに帰ってるから、今日はゆっくり過ごしたくて訪ねさせてもらったんだ」
立派すぎるその屋敷にはそこに見合うだけの手入れされた立派なガーデンがきれいで思わず見惚れてしまった。
「立派なお屋敷ね」
貴族の屋敷というのは、こんなにも圧倒される物なのだろうか?それともこのお屋敷が凄いのだろうか?
「温室があるんだ」
「温室?」
「そう、冬でも温かいから花が綺麗に咲いてるそうだ」
「ギル様、軽食を温室に準備してくれているそうです」
「ありがとう、ウォーレン。後は休んでいてくれ」
ウォーレンは馬の世話をするのか馬車の側に立ってお辞儀をしている。馬車着き場からゆっくりと歩き出した。
ガーデンには、ギルの言葉通り人気は無くて、シンとしている。主人がいない間も、使用人たちはいつも通り美しく保つために働いているのだろうが、その動きはあまりにも控えめなのに違いない。
美しく整えられたアーチを潜り、大きな木にはブランコがつけられて、小さな子供が遊ぶのが想像できる部分もあってなんだかほほえましい。
配置された樹木や小さな池や小川。それに整えられた垣根が道を作っている。
歩いた先に硝子で作られた建物があり、それが温室なのだとセシルにもわかった。
「おとぎ話のお城みたい」
キラキラと日差しを浴びて光っているのがまるで魔法の世界みたいに見えたのだ。
「女の子らしいね」
「子供っぽいってこと?」
「いや、可愛い」
「本当に褒めてる?」
誰もいない、という解放感からセシルはギルの側に近く寄り添うように立つと、ギルもそれに応えて腰に腕を回してぴったりと身を寄せあってゆっくりゆっくり歩いた。
温室の扉を開けると、温かい空気は二人のコートを不要にしてしまうほどだった。広々とした温室は色々な花で美しく彩られていて、冬だということを忘れさせてくれた。
温室は庭の一部だというのに、まるで部屋のような花に囲まれた空間があって、カウチソファがあり、その前のテーブルの横にある小さなワゴンの上にはバスケットとそれからティーポットが用意されている。
「凄い……」
この温室だけでセシルの部屋がいくつ収まるだろう。
「せっかくだから食べよう」
ギルが手を伸ばしお茶を淹れようとするので、セシルは
「出来るの?」
「見よう見まねで出来るかなと」
セシルはそれを少し面白がって見ることにしてみた。きっと、そんな事をしたことがないのじゃないかと思ったから。
カウチソファに腰を下ろしてそれをじっと見ていると、慣れないはずなのにそんな事を感じさせない優雅な動きは淀みがなくて器用に紅茶を淹れてしまう。
「いつもセシルに淹れてもらってばかりだから」
まもなくして、紅茶の香りが花の香りに混じって漂いだして、カップにはいい色のお茶が入った。
「どう?」
「美味しい」
セシルは笑顔でそれを口にした。
バスケットの中にはスコーンが入っていて、それに小さなベリージャムの瓶が入っていた。
スコーンはとても美味しくて、散歩の後の空腹を満たしていった。
「セシル、話したい事があるんだ」
「話?」
「兄に結婚の話が出てる」
「お兄さんに、それはおめでとう、よね?」
「家同士のだから本人たちはどう思うか分からないけどね」
それを聞いて、この時代、結婚というものは本人同士の意思だけでは出来ない、ということを思い出す。
「兄が結婚するのは多分来年か再来年か……、そうしたら俺はセシルを家族に紹介したいと思ってる」
「……本気なの?」
二人の身分は、確実に違う。こんな立派な屋敷を持つ知人がいるのだから、ギルの家だって同じくらいのはず。
本来なら……家族に紹介なんてされる関係にはなれない。
階級、というのは本来なら分かたれていて、こんな風に同席することすらあり得ないこと。
「兄が結婚すれば、今と状況が変わるはずだ。だから、それまで信じて待って欲しい」
状況が変わるという意味はセシルにはよく分からない。
「信じる……、いつかその日を待ってていいのなら」
ギルが次男なのだとすれば、家を継がないと言うことだ。つまりは、継がなければその身分は表向きは平民と変わりないはずだ。
例え家の仕事があるにしても、ギルの言葉を信じない理由は無かった。反対はされるかも知れない、でも……希望はあるのだと信じられた。それは、楽観的過ぎるかも知れないが、このままギルと会うことを後押ししてくれる言葉だった。
「約束だ」
髪を撫でるように手がふれて、そして額がつくほどに顔が近づく。
「約束ね」
額とそして鼻が触れあって、躊躇いがちに唇が触れる。
「セシル……」
ギルの低く掠れた声に熱を感じて、その背に手を回した。
躊躇いがちだったその二つの唇は、やがて大胆にお互いに触れあって思いの丈を伝えるように、何度も何度もキスを交わした。
はじめての恋人のキスは、いくつもの花の香りが纏うように二人を取り巻いて、まるで春のようだった。




