第36話 攻防、岡崎 城攻め 三人称
ご心配をおかけ致しました。
週末はリアル事情でちょっと多忙でした。
岡崎城から一キロメートルほど距離を取ったところに松平軍が慌しく陣の構築をしている。
その様子を岡崎城の物見櫓から今川氏真をはじめとした数人の武将たちが注意深く観察していた。
井伊直親が氏真に向かって心配そうに声を掛ける。
「殿、落ち着かれましたか?」
先程の騙まし討ちの失敗と単騎とはいえ凄まじい勢いで駆けてきた若武者に余程驚いたのか、氏真は半ば放心してすぐに行動に移れずにいた。
今、こうして物見櫓に上ってはいるが、梯子を上る最中も足が震えていたのを井伊直親は知っている。
「すまない、大丈夫だ。何とか落ち着いたよ」
ばつが悪そうに苦笑いを浮かべて答える氏真に蒲原氏徳が横合いから話し掛ける。
「ここから見る限りでは荷駄隊は見当たりません。大高城から逃げてきた事を考えると松平軍に十分な兵糧はないでしょう――」
氏真が既に震えていないことを確認するとわずかに語調を強める。
「――ただ、ここは元々が松平の領地なのである程度の兵糧を調達してくる可能性はあります。それでも長期戦は無理でしょう。松平元康は短期決戦を望んでいるはずです」
そこへ補足するように井伊直親が付け加える。
「すぐに攻めてくることはないでしょう。来るとすれば夜襲か、夜明けを待っての攻撃と思われます」
「兵糧と予備の武器を持ち込んではいるが父上が討たれた今、のんびりしていられないのはこちらも同様だろう?」
氏真の問い掛けに年長者の蒲原氏徳が即答する。
「殿、まだ我々の方が有利です。長期戦を回避したいのはこちらも同じですが、松平側の方が切実です。我々は城門を固く閉ざして援軍を待ちましょう」
この場合の援軍は桶狭間から撤退してくる軍だ。
素破に撤退してくる今川軍に、岡崎城へ集結するように呼び掛ける書状を持たせて走らせてある。後はその書状に従って集結する軍勢を待つだけだ。
「果たしてどれだけ来ますか……」
家臣の一人が不安そうにつぶやくと蒲原氏徳が『余計なことを言うな』とばかりに一睨みして、話し出す。
「わからん。だが、我々も頼みと出来る援軍が他にない以上は待つしかあるまい――」
そして、首をすくめている武将から井伊直親へ、さらに氏真へと視線を移して話を続ける。
「――松平軍はこちらを城から引きずり出そうとあの手この手で来るでしょう。挑発に乗せられたりせずに城に籠もる。それが上策です」
松平元康相手に半数の兵力で野戦を挑むなど氏真も望んではいない。蒲原氏徳と井伊直親を交互に見ながら籠城を決定する言葉を発した。
それでも不安そうな表情の氏真に井伊直親が快活な笑いと共に語り掛ける。
「援軍さえ集まれば我々の勝利です。ここは慌てずに構えていましょう」
「分かった。氏徳と直親の言葉に従おう。俺は戦の経験がほとんどない、二人とも頼りにしているぞ」
氏真はそう伝えると、城外に布陣している松平元康の軍勢へ不安そうな視線を向けた。
◇
甥の忠勝に手柄を立てさせたかったのだろう、本多忠真が岡崎城を睨み付けて吐き捨てるように言う。
「氏真が小賢しい事をしてくれる」
「そう何度も言うな、見苦しいぞ」
たしなめる坂井忠次も、本多忠勝があの時城門を抜けていれば、今頃は氏真の首と岡崎城の双方を手に入れていたのは間違いないだろう、とは思う。
そんなやり取りをしている二人をよそに石川家成が元康に語り掛ける。
「如何しますか? 兵糧が心許ないです」
家成は自身の言葉に苦笑しそうになる。兵糧が心許ないのは当たり前だ。大高城から撤退する際に余計な荷物とならないよう、余分な食料や予備の武具は置いてきていた。
その己の判断に歯噛みをする思いだ。
元康も『分かっている』とうなずく。その視線の先には固く城門を閉ざした岡崎城があった。
「城攻めになるかも知れないな」
先程、斥候から知らされた岡崎城の兵数はおよそ一千。対するこちらの兵数は二千余と倍以上の兵力であることを元康は心の内で再確認する。
城攻めとなれば倍する兵力があったとしても相当の損害を覚悟しなければならない。ましてや守将に蒲原氏徳と井伊直親がいる。
守将が氏真だけであったら、との思いが胸を過る。
元康のその思いを言い当てるように酒井忠次がこぼす。
「蒲原氏徳と井伊直親が厄介ですな。氏真だけであれば数に任せて攻め落とすことも容易でしたでしょう」
それは戦の経験が少ないという理由だけで氏真を侮るものではあった。だが、それ以上に戦歴の豊富な蒲原氏徳と、まだ若いが、今回の尾張遠征の先鋒の指揮官を任されていた養父の井伊直盛に付いて、幾つもの戦を経験している井伊直親を警戒しての言葉だった。
石川家成は井伊直盛の率いる軍勢の戦いぶりを思い出して身震いをすると、まるで自分に言い聞かせるようにこぼした。
「立て籠もっているのが親の方でなく幸いだったと考えましょう」
その石川家成の言葉に『井伊直盛だったら方針を変えて松平城にでも矛先を変えている』との言葉を元康は呑み込んで石川家成と酒井忠次へ向けて告げる。
「三日以内には勝負を付けたい。城攻めの形だけは繕う。近隣から破城槌 となる丸太を切り出させろ。兵士たちにも城攻めを触れ回れ――」
そう言い、二人に厳しい視線を向けると『だが、本命は野戦だ』と力強く言い切る。そして松平城のある方向へ向き直り言葉を続ける。
「――挑発を繰り返して野戦に持ち込めないようであれば松平城へ向かうことも考えてくれ」
元康としても岡崎城に未練はある。だが、今は独立することを最優先と考えることにした。
主君のその思いを感じ取った石川家成と酒井忠次が『何としても岡崎城を取り戻す』との決意のこもった目で答える。
「畏まりました」
「氏真を引き吊り出してご覧に入れます」
◇
今川軍、松平軍双方の思惑が外れ、互いに決め手に欠けていた。
今川軍は援軍の到着を待ち望み、松平軍は今川軍への援軍が到着することへの不安と焦りにせきたれられる。互いが失策の上に新たな作戦を上書きしていた。
◇
◆
◇
岡崎城へ向けて松平軍の波状攻撃が繰り返されていた。その何度目かの波状攻撃を、氏真と蒲原氏徳、井伊直親の三人が物見櫓から見下ろしている。
決して大きな城ではないが、一千の兵士で守るには大きすぎた。
どうしても手薄な場所が出来てしまう。加えて松平軍はこの岡崎城を熟知していた。攻め手と守り手との違い以上に今川軍が防戦に手こずっているのが見て取れる。
自軍の兵士の消耗もそうだが、松平軍が予想したよりも激しい攻撃を仕掛けてくる事に氏真のなかの不安が膨らんでいた。
籠城して援軍を待つという基本方針は変わっていないが、疲弊して崩れるのではないかとの思いが氏真に弱気な発言をさせる。
「予想していた以上に攻撃が激しいな」
氏真の思いを敏感に感じ取った蒲原氏徳が穏やかな口調で勇気付ける。
「そうですな。こちらの消耗も激しいですが、松平軍の損害はそれ以上です。あのような激しい攻撃を早々続けることは出来ません――」
蒲原氏徳は氏真の視線が城門付近の敵兵から自分へと向けられたタイミングで勇気付ける言葉を再開する。
「――敵も時間を掛ければ掛けるだけ自分たちが不利になるのは分かっています。それに拠点となる城を確保しなければなりません。いつまでもこの岡崎城にこだわってはいられないでしょう」
その言葉に氏真が幾分か安堵を覚えた瞬間、他の物見櫓から叫び声があがった。
「破城槌だっ! 破城槌が来るぞーっ!」
弾かれるようにその兵士の示す先へと視線を向ける。敵中央奥、松平元康の本陣付近に巨大な三つの破城槌が見えた。
◇
右翼の指揮をしていた石川家成が本陣の松平元康の下へと駆けつけてくるなり、元康に進言する。
「殿、中央の部隊が少し前に出すぎています。下がらせてください」
「今から破城槌を打ち込む。それが終わったらすぐに下げる」
そう抗弁する元康だったが、ここまでの波状攻撃に予想以上の手応えを感じていた。
今川軍は岡崎城の防衛に手こずっている。予想以上に自分たちの被害が少なく敵の消耗が激しい。その事実はあわよくば『岡崎城を落とせるのではないか』、との思いに膨らむ。
「分かりました。くれぐれも焦らないようお願い致します」
その瞬間、家成の言葉を掻き消すように掛け声が響く。続いて辺りを揺るがすほどの喚声が轟いた。
「破城槌、第一段行けーっ!」
松平軍の喚声の中、破城槌が岡崎城の城門に突き当てられた。
地響きにも似た重低音が響く。その音に松平軍からさらに喚声が上がる。その喚声の中、破城槌の第二段を繰り出す掛け声が聞こえた。
喚声の中、城門前に打ち捨てられた第一段の破城槌を乗り越えるようにして破城槌が城門に衝突した。
再び響き渡る重低音と喚声。
その喚声の中で元康は城門の軋む音を聞いた気がした。『城門を打ち破れるかもしれない』『岡崎城と氏真の首、両方を手に出来るかもしれない』元康の中にそんな思いがわき上がる。
元康は馬上から身を乗り出すようにして一際大きな声を発する。
「出せーっ! すぐに次の破城槌を出せーっ!」
元康の声が響き渡る中、第三段の破城槌が城門目掛けて動き出した。
今回、どうしても長くなってしまったため二話に分割して、下記の二話を連続投稿致します。
第36話 攻防、岡崎 城攻め 三人称 15:00
第37話 攻防、岡崎 援軍 三人称 多分、夜には推敲終わります。




