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 僕は付近にまともな建物一つ無い荒野に立ち、手には拳銃を握っていた。

 僕のすぐそばには谷本さんが寄り添うように立っている。こんな砂埃の多い国に来てすら、彼女の髪は緩やかになびき、時折かすかに心地の良い香りが僕の鼻先をかすめていく。

 そんな僕らからいくらか離れた場所には、ライフルを肩から提げた男たちが幾人も立っていた。タクティカルベストやメット、バイザーに、予備マグや榴弾などが全身に武力を身につけた彼らの存在をそこに成立させている。

 民兵だろうか、それとも反政府軍か何かの一部だろうか。あるいはどこかの民間警備会社の人員だろうか。僕にはあまり見分けがつかないが、彼らが訓練され十分に統御された群の一部だということくらいは、その立ち振る舞いや僕らに対し必要最低限しか視線も言葉も向けないその様子から推測することが出来た。

 そして最後に。

 僕らの目の前には僕たち二人でも軍人たちでもない人々の姿があった。

 ぼろ布で目隠しをされ、轡をかまされ、細いワイヤーのようなもので後ろ手に手首と親指を繋ぎ合わされ縛られた、細く小さな人。

 それは数人の、拘束された子供たちだった。


「誰でもいいから一人を選んで」


 谷本さんの涼やかな声が、僕に、僕の手元に、送られる。


「撃ち殺して。そのために、今この場、この機会は、用意されているの」


 僕は右手に軽く握った拳銃を顔の前に掲げ、見やる。

 要するに、そういうことなのだ。


 



「人間の脳機能は、その進化の歴史の中で偶発的に様々なものを手に入れた。その場その場を、その時代を、その瞬間を生きることに偶然有利に働いた様々な機能が時に消え、時に受け継がれ、このつぎはぎの神経たちの固まりを作り上げた」


 異国の砂埃の下、谷本さんは拘束された子供たちを前に、僕に日本語で語る。


「『価値への意思』――君の死んだ友人は、上手い言葉を使ったと思う。私は、そして私の前の人は、違う言葉でそれを表していたけれど」

「前の人?」

「これは――このイベントが、いつから出来たのかは私も知らない。けれど、もう既に何十年か――日本が戦後復興を成し遂げて先進国の仲間入りを果たしてしばらく下からずっと、これは続いている」

「これってのは、なんなんだ」


 僕はいい加減、何もかもをぼかしたまま話すようなことに嫌気がさして、そう問いかけた。


「儀式のようなもの。とても分かりやすく、私たちを、あの国に生きる人間のほんの一部を、救うための」

「救うって、何から?」


 彼女は目を細めて、僕の視線を受け止めていた。


「君が、仕事のたびに感じているものから……あるいは生活のほとんど全てから感じているものから――君の友人を死人にしたものから」


 言葉に、息を詰まらせ、僕は咳き込みそうになる。力をこめて荒れた吐息を飲み下し、無理矢理に混乱や惑いを押さえつけ、僕は一つの単語を口にする。


「コンフリクト」


 正解、と呟く代わりに、谷本さんは少しだけ、肩をすくめてみせた。


「……いつごろから始まったのか、どんな利害が何処の、いくつの集団とどう取引されているのか――それは私もほとんど知らない。わたしが前の人から受け継いだのは、連絡の取り方や決行の仕方をはじめとしたいくらかの方法だけ」

「誰が始めたのかも、運営の全体像も分からず、しかし存在している行事だっていうのか? これが?」

「その通り。私も最初は信じられなかった。けれど、私たちは完全武装の軍人に守護されてここまでこれた。途中からは宿代を払うことも無く。パスポートの確認もなしにトルコからいくつ国境を超えたかしら?」


 僕は改めて突きつけられた旅程の異常さを思い返す。こんな旅が可能な理由はなんだろうか。どこかの物好きの変態が、大きな資金を動かしてでもいなければ、僕ら二人はここにはいないという事実。どこかの誰か。このわけの分からない旅に何かの価値を見出す者たち。

 周りを、周りに立つ武装した男たちを視線で示して、谷本さんは続けた。


「その時代、その年、その時に、貧しく、悲惨で、様々な点で全く先進国に及ばず、世界の底辺をさすらう国であること。それが、このイベントで選ばれる国の条件」

「第三世界――後進国。最貧国」


 僕は知らずとそう口に出していた。


「そう。日本のような、アメリカやヨーロッパの先進国のような、一定の豊かさを持った国の人間が、実行者となる。先進国世界において、その国がもたらす豊かさを全身で享受し、その生活を楽しみ、好み、愛する人々が、このイベントの主役に抜擢される」


 先進国世界を愛し楽しむ人々。七瀬、谷本さん、そして、僕。


「そうして、参加者はガイドと護衛に連れられて、どこかの貧しく発展の遅れた国に連れて行かれる。大抵はこういう、民族紛争や宗教的闘争や大国利権のせめぎ合いで引き裂かれ、死体畑みたいになった国に案内される。そしてそこには、あらかじめ用意されている」

「何が」


 僕は訊いた。訊くまでもなかったが、訊いた。


「撃ち殺すための子供たちが。戦争で焼け出されたり孤児になったり、こうした国ではある程度の面倒を覚悟するなら、子供を消耗品として拘束し、集めることは、そんなに難しいことじゃない」


 僕はすぐ傍に並べられた子供たちを見やる。一番近くにいるのは、赤茶けたぼろぼろの服を纏った、小さな女の子だった。北のほうの血が混じっているのか、この国の人間としてはやや肌の色は薄い。日焼けした日本人みたいだった。黒く、少しばかり癖のある髪を頭の後ろ側でまとめている。目隠しの布と猿轡はかすかに泥と血で汚れ、土の地面に座したまま折れそうに細い手足はぐったりと力なく投げ出されている。恐らくまだ十歳にもなっていないだろう。他の子供たちも、まあ似たようなものだった。


「連れてこられた参加者は、そうしてここで、誰か一人を――別に二人でも三人でもいいけれど――撃ち殺す」

「なんのためだ。何のために撃ち殺すんだ? 何のために、こんなややこしくてよく分からない旅があるんだ」


 あくまでこのイベントの仕組み、それを金銭的に支え主催する人間の意向などは知らないのだ、と谷本さんは僕の問いにそう前置きし、それから、答えを口にした。


「覚悟を試すため。それから――その覚悟が存在するのなら、それを強化して、意識のコンフリクトを防ぐため」




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