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 二機目の飛行機を降りるまでは普通の旅のように見えた――というのも、嘘になるだろうか。

 なぜなら谷本さんは行き先を全く告げなかったからだ。必要になるたびに最低限のチケット類を渡すのみで、僕はそのチケットの表面に印字された文字で行き先を知ることになる。

 最初は欧州に。それからトルコへ。

 そしてそこから、この旅の異質さが更に際立った。三度ほど車両を乗り換えながら僕と谷本さんは国内を移動し続け、小さな街で一泊した後、それまでの空港とは明らかに規模も管理体制も異なる小さな滑走路にたどり着いた。

 その間僕らは特に何も不自由しなかった。飲み水ですら、自分で購入する必要はなかった。それというのも、僕らの足として使われた自動車には二名の男たちが必ずついており、運転だけでなく食料の用意から用足し場所の案内まで全て面倒を見てくれたからだ。

 谷本さんは彼らに対して僕の聞き取れない言語を使ってコミュニケーションをとっていた。いつも見慣れたその唇から滑らかに単語すら聞き取れそうも無い異国の言葉が流れ出てくるのは、ほとんど悪夢に等しい光景だった。なぜだろうか――僕には彼女のその言葉が、恐らくトルコ語ですらないと直感していたのだ。

 男たちのコンビは車と共に入れ替わった。ただ、どの男に対しても、僕の印象はすべて似たようなものだった。ようするにそれは、日本ですれ違ったならば少しの間頭から抜けていかないであろう、剣呑な気配を纏った屈強な男たちだという事実を示していた。

 小さな空港施設の殺風景な部屋で、もう一泊した。ほとんど施設の中は見て回れなかったが、公的な空港ではないことは、その規模と人員、そしてなにより敷地全体から発せられるどこかおかしな空気で察することが出来た。

 早朝から小型機に乗せられ、僕らは三度目の空へと上がった。空港では谷本さんがいくらか施設職員と言葉を交わしたのみで、荷物検査もパスポート云々も何も無いままに僕らは機体に乗せられた。無論、他に乗客などいようはずもない。

 すこしずつ。肌に、手首に、刃先を押し込んでいくように。

 日本の自宅から、JRの車内、広く美しい空港を経て、海外に渡り、異国情緒溢れる町並みを経て、見知らぬ男たちの乗る車、観光地でもなんでもない小さな町、そしてプライベートな滑走路へ。鋭い気配を持った男たちに誘導され、僕ら二人は、少しずつ少しずつ、日常から遠くへと沈み込んでいった。


   *


 道端に若い女性が座り込んでいた。ひどく痩せていて、皮膚の一部が変色していた。死んでいるのかな、とも思ったけれど、耳障りな音を立てて咳き込んだので、生きているのだと気づく。

 辺りは岩石砂漠が広がり、小さな集落が近くに見える。乾いた空気に、たっぷりの砂礫。僅かな下草と、ぼろぼろのブロックや板材で作られた家々。

 僕と谷本さんは、砂塗れのトラックの荷台からそんな景色を見つめていた。おざなりな幌がかけられていたけれど穴だらけで、布の隙間や穴からちらちらと太陽の光が僕らの肌を撫でていく。


「ここが目的の国」


 そして谷本さんは、そう呟いた。

 僕は何故だか、そんなような気がしていた、とその言葉を受けて胸の内でひっそり呟いていた。

 小型機を降り、一泊し、トラックで移動し始め、僕はここがだいたいどんな国か見当がつき始めていた。あちこちに戦闘行為の跡と分かる崩れた塀や穿たれた穴や焼かれたあとの黒い色が残っていた。勿論、傷跡を残す人々も。


「あまり観光向きじゃなさそうだね」


 僕が冗談めかして言うと、谷本さんもまた応えるように笑った。


「そうだね――ここは、半世紀も前から、あるいはそれ以上前から……世界中でも本当に、クソみたいなことばかり起こり続けている国の一つ」


 汚い言葉で失礼、と谷本さんは悪戯っぽく囁いた。


「十九世紀の植民地支配と独立後の混乱、そこから生じた短絡的な民族主義による統一と分裂、経済格差による更なる統合と分裂、国連介入とその失敗、周辺国からの侵攻と過激なイスラム勢力の台頭、それを嫌ったあの超大国さんの暫定政権支援、次々に国外から流入する兵器の群……」


 さらさらと何かを読み上げるようにそうしたことを呟く彼女を前に、僕は力を抜いて息を吐いた。個々数十年の国際社会における悲惨さのスタンダード。まるでマックのセットメニューみたいにきっかり基本を抑えたクソッタレな状況下にある第三世界の諸要素。


「誰でもこういう国が存在すると知っている、そういう国」


 そして誰もが昼食のセットメニューの価格ほどにも気を払わない場所。


「そろそろ、教えてくれるのか。僕らが、どうしてこういう場所まで来たのか。どうして、谷本さんが僕を誘ったのか」


 訊くと、彼女は浮かべた笑みからそっと力を抜いた。笑みの種類だけを変えて、彼女は頷いた。


「私は、君の覚悟を試したかった――その上で、もしそれが存在するなら、それを固め、強化し、助けようと思ったの」

「助けようと――?」

「そう――もっとしっかり、生きていけるように、ね」


 言って、彼女はすっと自らのバッグに手を差し入れた。財布でも取り出すような日常的で滑らかな動作で美しい手の平を布地の中にもぐりこませ、そして引き抜く。

 いつから、そんなものを持っていたのか。

 彼女が取り出したのは、ある意味でこの風景にとても相応しいものだった。僕も見たことがあった――現実ではない、数々のゲームの中で、だけれど。

 それは、拳銃だった。


「はい。持っていて」


 差し出されて、反射的に受け取ってしまう。予測したこともない物体の重さに、すべり落としそうになる。重いと感じるべきか、軽いと感じるべきか、それも分からない。

 スライド部分を初め様々な箇所に樹脂素材が使われており、古めかしさよりも現代的な意匠が感じられる。

 僕は、ふと思いついて、少しばかり手間取りながらも弾倉を外した。

 グリップ下部からスライドして取り出した弾倉は、ずっしりとした重量を湛えていた。中には、拳銃弾としては少しばかり特徴的な、小型のライフル弾のような鋭い形状の弾丸が詰まっている。弾丸は二列に互い違いに並ぶように詰まっており、そのせいで弾倉も、それを組み込むグリップ部分も、やや太い。

 僕は視線を、手元の銃から逸らし、谷本さんへと向けた。微笑んだまま僕に銃を手渡した彼女の指先を見つめる。相変わらず美しく長い指だ。

 彼女は、なんと言っていたっけ? いくらか便利なところもある、だったか?

 いろいろ持ちやすいのはいいよ。大判の本とかダブルカラムとか。

 声が蘇る。

 ダブルカラム。複列式の弾倉のことだ。

 彼女の長い指はこれまでピアノを引き、本を支え、そして銃把を握ったことがあるのだ。




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