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 映画がエンドロールに入る。

 すると僕は、そっと隣に視線を向ける。

 黒字に白の英字や漢字がざらざらと流れていく、単調でありつつもどこか味わい深い光の模様を見続ける――その瞳に、何故か惹かれるからだ。

 二時間の映像体験の中で、物語に、作り事の壮大な世界に取り込まれた者のどこか虚ろな眼差し。意識のいくらかをどこかに置き忘れたような、綺麗な表情たち。

 その日僕の隣に座していたのは、谷本さんだった。彼女は僅かに目を細め、じっくりと映画の余韻を味わいつつその内容に引き摺られて現実の自らを内省する者の顔をしていた。

 映画の内容は、どうということは無い戦争映画だ。一兵士の生涯や悲劇的活躍を描くというよりは、ただ圧倒的な戦場の殺戮とぶっきらぼうな残虐性を叩き付けるようにカメラに収めたような映画で、悪くはなかった。

 全てが終わり、場内に通常時用の明かりがともると、谷本さんは大きく一つ伸びをしてから、「ああ、面白かった」と小学生並の感想を漏らした。端的だしシンプルすぎる一言だが、猫のように細めた瞳を中心に顔一杯に浮かべた満足そうな笑顔を見れば、こちらまで同じ一言を思い浮かべてしまう。


「こういう映画、よく見るの?」


 僕が聞くと、彼女は素直に頷いて見せた。


「うん。結構好き。君は?」

「まあ、嫌いではないよ」

「嫌いじゃない? ほんとに? どういうところが?」


 そう聞かれると難しい。僕はしどろもどろにならないよう気をつけながら、なんとか言葉を繰り出す。


「男の子的な単純な趣味としてさ……銃とか戦争とか。ネットで調べたり本で読んだりさ。よくするんだよ」


 この日は、なんとなく二人で遊びに出かけた日だった。谷本さんの提案で昼過ぎから都市中心部の駅で合流し、だらだらと本屋や喫茶店を冷やかし、夕方から映画を鑑賞する。なんとも真っ当な休日だった。

 僕らはまっすぐ映画館を抜け出ると、そろそろ年末が近づき、寒風と共にどこかよそよそしい騒々しさに包まれた駅前の道を歩き始める。

 時刻はまだ七時過ぎで、多くの人々の背中が蠢き、クリスマスに向けてなのか新年に向けてなのか分からないイルミネーションと大量の街灯と立ち並ぶビルの灯りがきらきらと背中の群を照らしている。


「それで」


 しばらくして、やや唐突に、谷本さんは僕に声を向けた。


「どうして、お友達が亡くなったのか、だったよね」


 大量の足音と人いきれの中で彼女の声は随分聞こえづらかった――が、その内容の剣呑さに、僕は一瞬息を乱してしまう。

 映画を鑑賞する前に時間つぶしで入った喫茶店で、僕は七瀬について彼女に話していた。何処からそんな話になったのか、といえば、単に僕があのファミリマで働くことになった理由を聞かれたからだった。かつて同じコンビニで働いていた、今もういない友人の存在に触れた僕に、谷本さんはいくらか問いを発した。

 彼女と友人であったこと。この国で、この町で、人生を大いに楽しむ女性であったこと。聡明な人間であったこと。

 自殺という手段でいなくなったということ。

 そして、あの日図書館のテラスで話したこと。

 話は、七瀬がなぜ死んだのか、というところで打ち切られた。映画の時間が迫っていたために。


「君はその理由が分からない。当たってる?」


 続けて訊いてくる谷本さんに、僕は苦笑した。その通りだというのもあったし、今更ながらにプライベートなことを話しすぎた気恥ずかしさに襲われていた。と、いっても、その頃には僕と谷本さんは既にそれなり以上に親密な友人くらいにはなっていたのだけれど。


「当たってる」


 頷いて、僕は細く息を吐き出した。夜空の藍色をバックに吐息が白い筋を残す。分からない。ちっとも。

 けれど彼女は、小首をかしげてみせた。


「本当に?」


 きゅっと開かれた瞳に横合いから覗かれ、僕はしばし戸惑う。

 谷本さんは、すっと――どこか寒気を覚えるような表情をしていた。僅かに唇の端が上がっている。笑みではないが、笑み以外だと表現も出来ない。そんな顔だった。


「今の君は、考えてみれば、ねえ、七瀬ってその人に凄く近いところにいる気がするけれど?」


 その言葉に、僕は暫時、思考する。 

 趣味多き七瀬。コンビニで働いていた七瀬。妙に賢かった、少なくとも愚かではなかった七瀬。

 なるほど――愚かさだけはどうだか分からないが、七瀬がかつていたコンビニで働き始め、さらに谷本さんと出会い彼女の幅広い趣味に付き合うようになってからの僕は、ある程度七瀬の生き方に、かつてあった彼女の生活に、近い場所にいるはずだった。

 どうして彼女は死んだのだろうか。

 なんとも嫌な感覚が、うなじから背中を滑り落ちる。身体の中に冷えた金属でも流し込まれたみたいな。

 僕は夜の日本の街を眺め回す。人の群、きらびやかな洋服とアクセサリーと鞄たち。道を走る山ほどの、ぴかぴかの自動車。馬鹿馬鹿しいほどの量の商品を詰め込んだ百貨店のビル。前衛的な曲線の踊る輸入家具が並ぶだだっ広い家具屋。遠くからは路上演奏のギターの音と、滑らかな反物のような耳障りのボーカルが聞こえる。ワンフロアぶち抜きの大型書店の袋を持った人々が僕らを追い越していく。

 僕の好む僕の国の日常。豊かさに裏打ちされた景色。多くの趣味と文化を内包し継続させる力ある光景。

 僕は本を読み、映画を鑑賞し、喫茶店で友人と語らい会う。僕の好きな時間。楽しみの時間。

 その時、僕は何を感じていたのか。当たり前の都市の光景と、それに対する自分の好ましさを、谷本さんに見つめられながら再認したその瞬間の気持ちを、どう表せばいいだろうか。

 ぞっとする一瞬があった。見たこともないはずの、七瀬の自殺現場がフラッシュバックした。彼女が底抜けの明るさも生来の楽天さも手首から体温と体液と共に風呂場の排水溝に流してしまった光景が瞬いた。


 いまぼくがかんじているもの。


 皆、じっくり考えてみれば、見つけられるかもしれないもの。それを見つけて、僕は足を止めた。歩行者用信号と交差点の前で立ち止まった僕に、もう一度、言葉が投げかけられる。


「本当に、分からない?」


 くすぐるように。谷本さんの囁きが流し込まれる。

 僕は、弱弱しく首を振った。そうするしかなかった。

 分かる。本当に不思議な話だったけれど、何故だかその瞬間の僕には理解できていた。それは本来予想でしかなかったけれど、僕にとってはほとんど確信だった。


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