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10.5


「ありがとう」


 言葉を吐き出し、僕の旅は終わった。

 終わったのだけれど、僕は、一つ、疑問を抱えていた。


「君は殺さないのか?」


 笑みを浮かべる谷本さんに、僕はそう問いかけた。

 彼女はしばらく、僕の言葉を受けても黙ったまま、じっと笑顔のままで立ち尽くしていた。傾いたオレンジ色の日差しの中で、その時の彼女は、僕がそれまで見てきた彼女の姿の中でもいっとう美しく見えた。


「君は、殺すつもりは、あったのか?」


 僕は重ねて問いかける。長く美しい指、今は何も握っていないその指をもつ彼女に向けて。


「……今はもう、その気は無い」


 答えて、彼女はほんの少し、ばつの悪そうな顔を見せた。


「どうして、そんなことを訊くの?」


 逆に聞き返されて、僕は慎重に言葉を選んだ。


「君は……前の人は、と言った。君の前にこの行為を行った人間から、日本で、全ての必要な情報を引き継いだと」

「ええ、その通り」

「じゃあ、さ」


 単なる小さな引っ掛かりだった。どれもこれも。気のせいだということにしておいてもいいくらいの話だった。が、どうしても気になってしまった。


「君はどうして僕とともにここにいるんだ? 『前の人間』と僕が――今回の発砲者であるところの僕が共に、一緒にいるのは、通常の手続きなのか? 前回の君の番がイレギュラーだったのか、今がイレギュラーなのか、どっちだ?」


 谷本さんはずっと、このイベントを僕に突きつけながら、どこか一歩引いた場所で僕を見ていた。

 それ以前に、谷本さんが前回のこのイベントの主役だったなら、彼女は日本で全ての説明を受けて、その後どうしたのだろう。一人で海外に渡って、一人でこのイベントに望んだのだろうか。

 なら何故、僕は直接谷本さんに手を引かれるようにしてこの場にいるのだろう。この手続きの微妙な違いは、何だ?

 今度の沈黙は、先よりも長かった。男たちが死体を車両に積み込む音が止んでも、まだ彼女は立ち尽くしたままだった。

 どれくらい経っただろうか。いつの間にか彼女の表情に弱弱しいものが、混ざっていた。それまで見たことの無い顔だった。


「……本当は、一人で来させるものなんだと思う。私は『前の人』からは、そう聞いている」

「じゃあ、どうして?」


 どうして、僕と一緒に、こんな後進国くんだりまで旅してきたんだ?


「私は、二年前にこれを経験した。それ以前はとても深い懊悩の中で生きてた。豊かさの中で生きる喜びと、その罪悪感の狭間で」

「撃った後は?」

「ものすごく、爽快だった」


 悩み――生得的な脳の善のモジュールを黙らせ、意志が、欲求が、致命的なコンフリクトを起こさなくなったその爽快さを、彼女も感じていたのだ。

 撃ったその時には。


「……今現在は?」


 僕が鈍く重い声で尋ねると、谷本さんは溜息をついて見せた。


「どうだろう」


 笑ってしまうような曖昧な答えを口に出して、そのおかしさにくすりと笑う。


「このイベントは、時間稼ぎにしかならない」


 彼女は諦めたような声音で僕に言った。


「あくまで一時的に善意を麻痺させることが目的で、それ以上のことは出来ない。私たちの善意は……強烈で無視のできない、遺伝子と脳に刻印されたこの業としての善意からは、そう簡単には逃れられない」


 自分の腕を自分で抱くようにして、谷本さんは目線を地面に落とす。


「自分でもう一度殺すべきなのか。それとも、もっといい方法があるのか。あのコンビニに入ったのは、一つの考えを実行しようと思ったから」

「僕に、殺させるため?」


 先読みして、僕はそう口にした。


「そう。君を導き、誘い、教え、目の前で君に殺させてみる。それで、前よりも、何かが変わるかと思った」


 谷本さんは――彼女は。

 かつて時間稼ぎのこのイベントを実行し、子供を撃ち殺し、晴れ晴れとした気分で日本に帰ったのだろう。

 けれど、それからある程度の時間が経過して。後進国の子供を殺すことで究極的な搾取の一つを自分の手で行ったことで得た覚悟――善意の麻痺の時間が、切れてしまったのだろう。

 僕の傍に佇む彼女の姿は、今やはっきりと脆弱だった。弱弱しく、寒々しい。

 変わるかと思った。彼女は今そう言った。

 そんな台詞が出てくるのは、勿論、変わらなかったからだ。

 谷本さんはバッグに手を入れると、銃を取り出した。僕に渡す銃を取り出した時の再現のような動作で、隠し持っていたらしきもう一丁を美麗な指で支え持ち、それを自分の顎に、上向きに突きつける。


「君は、どれだけの間、明るく生きられるんだろうね」


 どこか晴れ晴れとしたような声で、彼女は言った。

 時間切れ。またも意識のコンフリクトの狭間に落ちていくその展開に対し、彼女はこういう行為も覚悟していたのだろう。

 子供たちを撃ち殺すという搾取によって別の搾取の罪悪感を黙らせ、尚生きられないなら、どうすべきか。谷本さんの判断は、分からないでもなかった。

 分からないでもなかったけれど、僕はそれを黙ってみている気はなかった。


「君よりは長く生きられると思うよ」


 僕は出来る限り優しく、そう言葉を返した。

 それはある意味で、僕にとって、本当に彼女に伝えたい、感謝や好意や悲しみの入り混じった、祈りと告白のないまぜになったような一言だった。

 そんな一言を放つと同時に、僕は手に持ったままだった銃を彼女に向け、引き金を引いていた。彼女が自分自身に銃弾を撃ちこむより早く。その長い指が引き金を絞るより早く。

 僕の撃ち放った弾丸が、彼女の胸に突き刺さった。

 彼女の力が抜け、血が溢れ出す――その前に。

 僕はマガジンに残った弾を全て吐き出す勢いで、引き金を引き続けた。反動が手の平と肩を叩き、銃口がぶれ、狙いはどんどん怪しくなった。首に当たり、腕に当たり、腿を貫き、肩を引き裂き、腹部をずたずたにした。


「僕は、君のことも搾取するよ」


 死に行く彼女に、僕は告げた。

 何もかもが終わって、再び訪れた静寂の中で、僕は深く息を吸って、吐き出した。

 人家も工場もスーパーマーケットも僅かな量しかない後進国の空気は、砂っぽくはあったけれど、本当に美味しかった。

 さあ、あの明るい故郷に帰ろう。




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