懲りもせずまた春はやって来る
よく人は毎日同じ日々の繰り返しで嫌気が差すという。
しかし、オレはそうは思わない。人は同じ日常を嫌い刺激を求める。つまり非日常を求めるのである。非日常。これは誰もが一回は望むものなのではなかろうか?だがしかしオレは望まない。日々は重なり自分を取り巻くものは変わっていっている。人はそれに気付かない。いや、無関心なだけである。そういったマンネリズムに陥り、そして人々は三面記事的な他の目新しいものに目を向けることで刺激を求めるのである。
オレはそんな誰にも気づかれない何気ない日々の変化を見つけるのが好きである。昨日見つからなかったことが今日、今日見つからなかったことが明日見つかるかもしれない。一日一日が大切だ。つまり、何が言いたいかというとオレは忙しいのである。
オレは私立桜ヶ峰高校に通う少し怠け者な男子高校2年生だ。好きなことは休日何もせずにダラダラすること。嫌いなことは部活動である。座右の銘は、暇をしていて忙しい、である。この怠惰な座右の銘を掲げているせいかオレは高校に入ってからというもの部活にも入らず、特に新しく仲のいい友達を作ることもしなかった。だからオレは日々学校のチャイム音がなればその音と共に帰り支度をしては家に直帰し、周りの生徒が放課後に教室に残ってはおしゃべりしたり、部活動に向かう最中オレは一人、着々と作り上げた退廃的な習慣をこなすため家路に急ぐ毎日であった。新学年になったものの相も変らぬ態度で生活をしていた。クラスのグループはすぐに出来上がりクラス内には生徒たちの会話が行き交っていた。しかしながらオレはそんなグループに属することもしなかった。
そして順調にオレの高校生活、いや怠惰生活は進んで行った。高校1年生も終わり、そんなオレにも平等に春は来るようであり、晴れて高校2年生に進級することができた。こうして光陰矢のごとし、時間は過ぎていくのであろう。
春。それは出会いと別れの季節と言われる。
桜ヶ峰新高校は入生を歓迎するかのようにまだ桜の花びらは満開に咲き乱れていた。そのあと否応なく聞こえてくる生徒たちの声に気付いてあたりを見まわしたら新しい季節が始まり人々は不安と期待に包まれているようだった。新しいクラス発表に期待を抱きその期待が叶った際に大喜びする人。仲のいい友達と離れ離れになり落ち込む人。新しい学園生活に心躍らせる人。さまざまな機微がまだ学校中に溢れかえっていた。
だがオレはと言えば不安と期待にも包まれることもなく、ただ怠惰のみに包まれていたのである。高校2年生になってもオレの生活は変わることもなく安全に、怠惰に過ごそうと思っていた。
桜の花びらも気付けば散ってしまい、その散りゆく姿を見送った後、始業式が始まって1週間ばかりか経ったあたりの4月中旬であった。
その日オレはいつも通り学校へ行き、新しく決まった自分のクラスである2年A組の教室へ入った。朝のホームルームも終わり1限の授業前オレは教科書を準備して席に着いた。
「なぁ。八橋」
「なんだよ谷元」
オレには唯一の友達がいる。それが話しかけてきたこいつである。オレの幼馴染で中学校から同じである、所謂腐れ縁である。この学校の唯一の友達であるこいつは人当たりの良い奴でおしゃべりでお節介をよく焼いてくるのだが、抜けてるところもあり時々何を言っているのか理解できない時がある。
谷元は不安そうな顔をして言ってきた。
「なあ八橋!もうすぐ英語のショートテストだけど勉強したか?」
「してないかな」
「だよな!あーよかった!てかこの前のノート見せてくれない?」
「なに?またかよ。あ、えっと。ちょっとまって……」
カバンからノートを取り出そうとした時、大きな笑い声が聞こえてきた。
「あはは!だよね!ていうかアタシも全然テストの勉強してないよーノー勉ノー勉!」
「ワタシもやばいかなー。ユイー。ノート見せてくれない?」
「いいよー!ちょっとまって……」
同じ教室の女子が大きな声で話していた会話が否応なく耳に入ってきた。しかも勉強してないという嘘をついている。
何がノー勉だ。英語の参考書を買っている時点でお前はノー勉ではない。もっと言ってしまえば筆箱がある時点でお前は確信犯だ。
そう思いながらオレは意識せずイスに座ったまま体を屈めてカバンからノートを取り出そうとしている女子生徒をぼーっと見ていた。
こいつもノートを貸す担当の役回りであるようだな。大変だな。まぁ名前も知らないがお気の毒な奴だ。
「ん?」
オレが見ていることに気が付いたのか、ノートを取り出している女子生徒はオレの方を向いた。するとそいつと目が合ってしまった。しばらく目が合ったまま向こうはずっと目を逸らす素振りを見せない。しかしオレはそのまま目を逸らしてノートをカバンから取り出し谷元に手渡した。
「はいノート」
「お、ありがとうー助かったよ」
「いいよ。ていうか今度からノートとっておけよ」
「おう。てかさ……ここだけの話。万条さんって可愛くないか?」
いきなり谷元はクラスの女子の話をしてきた。男子高校生という奴は誰かが好きだの誰が可愛いかと言った話題で友達同士で盛り上がることができるらしい。
「万条?誰それ?」
「は!いまノートを取り出そうとしてた奴だよ。お前さっきずっと見てたじゃないか」
「へぇー」
万条っていうのか。まぁどうでもいいけど。
「なんだよ……興味なさそうな相槌しやがって……よく見てみろって!可愛いから!」
オレはもう一度万条という奴をを見てみた。クラスの友達と仲良く楽しそうにしており、元気であり、見た目は肩くらいにまでかかるセミショートで艶のあるが少し外に跳ねた黒髪はどこか幼さも垣間見られた。顔立ちもハッキリとし、笑顔はどこか素朴さがある可愛さもあった。でも……
「ていうか八橋よ。クラスメイトくらい覚えておけよ。で、どう思うよ?万条さんのこと!」
谷元はどうしてもオレの意見が聞きたいらしい。おそらく自分が気に入った奴を他人からも共感されることで自分のそいつへの評価を正当化したいのであろうか。
「まあよく分からんがそうかもな。でも可愛いやつだって他にもいそうだけどな」
「まぁあなー。でもよ。なんていうかさーほら!万条さんは眩しいっていうか、女神っていうか!友達になりてーなー!なぁ!」
何を言いだすと思えばこれである。何を言ってんだ?こいつは。理解不能だ。
「なんだよそれ。よくわからんな。ていうかもう授業始まるぞ」
「あ、やべぇ教科書出してなかった!」
「はぁ……」
オレがため息をついたところでチャイムが鳴り教室に新しい担任の咲村裕子先生が入って来た。
「はーい。席着けー」
「はーい」
さっきまでの教室中に響き渡るしゃべり声が嘘のように生徒たちが静かになり席に着く。そして咲村先生の独り言が静かな教室で。
「あー、私教師よりアパレルの店員の方が向いてると思うんだよなー教師やめてー」
おいおい。今この人何て言った?
咲村先生は見た目はメガネをかけていていかにも真面目そうでおしとやかな雰囲気なのだが、それよりもやる気というものがなく教師と呼ぶのは度し難いほどのアウトローな先生だ。
「じゃあ授業を始めるか……あーー(時計をチラッと見て溜め息交じりに)ってまだ50分もあんのかよ……」
なんかこのひと、典型的なダメな生徒みたいだな……。
「はあ。やるか……教科書開けー。24ページだ。今日は――」
生徒たちは言われたとおりに教科書を開く。教科書をめくる音が教室にいる生徒分、バラバラにそれぞれのタイミングで開かれる音が聞こえる。オレもその音達と同様に教科書を開く。開いた教科書には羅列された文字が並んでいる。だがそれを真面目に読もうとしている生徒などほぼ皆無に等しいであろう。もちろんオレもその文字の羅列をじーっと見つめているだけであり、終いには文字との睨めっこに飽き飽きし教室の窓から見える校庭を見つめるが、また飽き飽きしては教科書を見始める。そうやって繰り返し繰り返す。教室という空間に閉じ込められて高校生活というものを過ごしていき、またこの今日という日が終わるのであろう。
当たり前であるが、そのように今日という日をいつものように過ごしていると、いつものように昼休みがやって来た。昼休みというのは誰かと一緒に弁当を食べるのが普通らしいが、食べるという行為が面倒なオレにとっては昼飯は抜きにして、校舎と体育館を行き来する、通路から外れた、第二の中庭とも言えるところにぽつんと一つだけおいてある、人通りの少ないベンチに寝転んで静かに日向ぼっこをしながら昼寝をすることが普通なのだ。
高校1年生の時からの日課であり学校には実質的に昼寝をするために来ていると言っても過言ではない。いや、過言である。
するといつもは誰も来ないここに人がやってくるのが分かった。その人は誰かを探しているようであった。
「なんだ?ここに人が来るなんて珍しいな」
ふと、オレは体勢を起き上がらせ、横目で見てみる。
ん?何だか見覚えがある顔だな……。あいつは確か朝の……。
そこには同じクラスの万条という奴であった。万条は昼ご飯の食べかけのパンを片手に持ち、こっちを向いているようであった。オレは何かと思い万条の方に目を向けた。そして万条と目が合った。しばらく合ったまま万条はオレを凝視を続けた。一向に逸らす素振りも見せない。そこには何やらどことなく緊張感が漂っていた。万条はそのまま目を逸らすことはせず片手に持っていたパンを自分の口元へ運んでいた。
なんだ。今日はやたらに万条と目が合うな。今朝の睨めっこの続きか?ていうか何でここにいるんだ。早くどっか行ってくれないかな。
オレは今朝と同様に視線を万条から逸らした。しかししばらくしても万条はその場に立っているのであった。オレはもう一度万条を見てみたが、万条はまだこちらを子供が動物園で動物を観察するような目力で見ていた。オレはナマケモノといったところだろうか。それにしても万条と睨めっこをしても仕方がない。それなら文字と睨めっこしている方がよっぽど良い。オレは気にせず、万条が視界に入らないように再びベンチに寝転がり、空を眺めることにした。空を見ると空は雲一つない快晴であった。雲が一つもない。
小さい頃、雲は色々な形に見え、色々なものを雲に例えていたものだ。あの形は犬にみえるだの猫に見えるだのと言ったように雲は変幻自在の幻想的な未知の存在だと思っていた。しかし時が経つにつれて知識が増えると雲は液体であることを知った。科学で証明されていることを知った。犬や猫の形に見えていたあの雲は液体であった。雲は未知の存在でも何でもなかった。憧れていたあの存在は液体という言葉で片づけられてしまうほどの存在であったのである。憧れなんてものはそんなものである。憧れたところで挙句はその存在の正体を知って幻滅するのである。自分から憧れておいて幻滅するのである。だったらそんなものは初めからない方が良いんだ。
空を見ながらそんなことを考えていると、授業開始の予鈴がなった。オレは体を起こした。万条の方を見ているとさっきまで立っていた万条はいなかった。
「なんだったんだ?あいつは」
一つ一つは長く感じる授業も後になって思うとあっと言う間であり放課後になった。またいつものようにチャイム音と同時に家にそそくさと帰ろうと席を立ち教室から出ようとした。きっとこの世に教室から出る早さを競う大会があったならば、オレは何かしらのメダルを表彰台で首に掛けていることだろう。そして表彰式が終わったら、その実力を見せつけるべく、さっさとその場から立ち去るのだろう。
そんな想像をしながら教室を出ようとした。しかしオレのメダル獲得を邪魔するかのようにオレの目の前に誰か立っていた。見てみるとそれは今日やたらに気が合う万条であった。
なんだ?何故ここにいるんだ?ここにいると通行の邪魔であろうが。全く。
オレは気にせずに万条の横を通り過ぎようとした。
だが、万条はオレを見て言った。
「あ、ちょっといい?」
「っ!?」
まさかオレに話しかけたのか?変な人に話しかけたらいけないって小さい頃言われなかったのか?……って誰が変な人だ。
オレは一瞬その言葉に立ち止まったが再び気にせず通り過ぎようとした。すると再び万条は話しかけてきた。
「ねぇ!ちょっといい?」
万条を見るとオレを見ていた。
どういうことだ?しかしどうやらこのオレに話しかけてきたらしい。しかしオレに用がある訳がない。きっと人違いだろう。
「あの。人違いじゃないですか?」
「いやいやぁ~八橋君だよね?君このあと暇?」
「え……?」
オレはその問いかけに驚愕した。
何の冗談だ?オレは高校に入ってから放課後誘われるなんてイベントは谷元以外には今まで一度もなかったはずなのに。何故だ?何フラグだ?
「え今なんて?」
「だからこのあと空いてないかな?って思って……」
「えっと……」
……このあとだと?空いているに決まっているじゃないか。しかしオレは帰らなくてはいけないんだ。しかし何故オレに?
あ、もしかしてノートをとってなかったのか?だから今日はあんなにオレを見てきたのか?ノートが借りたくてなかなか言い出せなかったのか?なんだ。そうか。そういうことか!
「もしかしてノートとってないの?それなら――」
「いやそういうことじゃなくて。どこかで話したいんだ!」
「……は……?」
万条は笑顔でそう言ってきた。だがその笑顔を見て危険を感じた。
――いや待て。話したい?いやちょっとまて。おかしい。オレは騙されないぞ。
確かに普通の男子学生ならば、女子から誘われたら何が何でも予定を空けるであろう。しかしオレはどうやら普通ではない変な人なのかもしれない。
オレは冷静に判断した。ここはとりあえず身を引くべきだ。何故ならば状況をはっきり理解できない以上、関わらないのが一番である。後で事件に巻き込まれた後では遅いのだ。
ああそうだ。物語ではよく主人公は事件に巻き込まれていってしまうが、あんなのはその相手を疑わなかった自分が悪いのであって関わらないのが一番いいのである。それにオレは主人公でもなければ相手役でもない。こんな怪しい誘いに自分から飛び込む必要などない。そんなことをするのはバカか破滅願望のある者がすることだ。
とにかく今はここから退散することが妥当であろう。
「悪いけど今日だけは無理なんだ。じゃあ帰るわ」
「え、ちょっとまっ――」
テキトーなことを言い万条の横を忙しそうに通り過ぎて教室を出た。
そのまま速足で下駄箱まで来たオレは立ち止まり考えた。
万条ユイ――――こいつはクラスでも人気者だ。明るく協調性があり見た目も可愛いんだろう。なんてリア充なんだ!対してオレはどうだ?オレはというと暗くて協調性がなくて見た目も可愛くない。まあ……最後の可愛くないはしょうがないとしてもやっぱりおかしいぞ。真逆じゃないか!
それによく言うではないか。類は友を呼ぶと。類は友を呼ぶの原理でいけば万条という人間はオレとは同類でないため、そんな奴がオレに話しかけてくるというのは原理に反している。だからオレと正反対である万条がオレに話しかけてくることはあり得ないのだ……いや。しかし問題はそこじゃない。何故、何の目的でオレに話しかけてきたか、が問題だ。クラスで話しているのは谷元くらいであってクラスの奴が放課後に誘い出そうとするなんて何か陰謀があったに違いない。それか何だ?本当にただ誘っただけなのか?まあどちらにせよ関わらないことが上策である。
そう思いながらオレは下駄箱から靴を取り出そうとした。
すると、
「やぁ!!」
という声がいきなり後ろから聞こえ肩を叩かれた。
「うわっ!?」
誰かと思うとまた万条であった。
「あはは!」
万条は驚いたオレを見て笑っていた。
いや今のところで何にも笑えるところなかったけど。こいつ人にイタズラして喜びを得る所謂虐めっ子か?しかも自覚がなさそうなのがさらにゆゆしきことだ。まぁいい。何の用だ?
「なにか用?」
「いやぁ~ほんとに用事あるのかなぁって」
は?こいつはさっき何を聞いていたんだ。用事があるなんて一言も言ってないぞ。今日は無理だと言っただけだぞ。それにオレは何か用があるのかを聞いているんだ。話をすり替えようたってそうはさせないぞ。
「へぇ。で、何か用なの?さっきから話しかけてくるけど」
万条を見ると笑っていた。正直何を考えているのかさっぱりわからない。何が目的だ?オレをどうするつもりだ。この清廉潔白のオレを。
しかし、虐めっ子万条は答えるつもりはないようであった。
「まぁねー」
あくまで答えないつもりか。こういうクラスでは人気者の奴に限って陰でとんでもないことをするんだ。やっぱり何か企んでるんだな。ますます怪しくなってきたな。早くこんなやつの前からは退散してしまおう。
「じゃ、オレ帰るから」
「え?もう帰るの?どっかで――」
「じゃあな」
オレが何度か振り返ってみると、校門を出るまで万条はこっちをずっと見ていた。
オレはせっせと家に向かって歩いていた時にまた考えた。
それにしてもなんなんだあいつは。昼休みにベンチに居たり、いきなり話かけて来たり、下駄箱で脅かしてみたり。谷元がなんか言ってたけどあいつ頭やばいな。
すると、何やら後ろで気配を感じた。
「なんだ?なんか誰かに見られてるような……。気のせいだよな」
後ろを振り向くと、一瞬だけ人影が電信柱の後ろに隠れるのが見えた。
「まさか尾行されている?まさかな。自惚れも甚だしい」
そんな独り言を言いながらもう一度、不意に後ろを振り向いてみた。
オレはつい、
「ま、まじかよ」
と声を漏らしてしまった。
というのも目を凝らして見てみると何やら電信柱に隠れているやつはとても万条に似ていたからだ。
て、ていうか万条じゃないか!尾行までするなんて……なんて奴だ。やっぱり断って正解だったな。あのまま付いて行ってたらどうなっていたことか。
「早く家帰ろ。まじで」
オレは歩幅を広げ速足で家へと向かった。そして何とか無事に自宅アパートまで辿り着いてからすぐに鍵を閉めた。
「ふぅ。ここまでくれば安心だ」
念のためにオレはのぞき穴から付いてきている万条がいないか確認した。確認したら外には誰もおらず、どうやら万条は家の前までは来ていないようだった。
さすがに家までは付いてきていないようだな……。
しばらく息を整えた後オレはローファーを脱ごうとした。そうしていると、家のインターホンが鳴った。
「宅配便でーす」
お、ちょうどいいな。もしかしてこの前通販で頼んだ野菜よくばりセットか?一人暮らしにはもってこいなんだ。キャベツ、ニンジン、ジャガイモ、等々盛りだくさん入った一セット500円。ワンコインだ。楽しみにしてたんだよな。これこの季節にしか期間限定でやっていなんだよなあ。
オレは脱ごうとしていたローファーをもう一度履いて快活な声で、
「はーい!」
と言ってドアを開けた。すると、
「よっ!」
という声が聞こえた。
なんて友好的な宅配業者だ。新しいな。最近の宅配業者の新たな商法か?
オレは宅配員を見た。その宅配員は女子高生の制服を着ていて、まるで宅配員ではないような容姿だった。
……え………?
その瞬間、全てを理解し、オレの快活さは一瞬にして綺麗に消え去った。それはもう綺麗に。そのまま動揺しながら言った。
「え?野菜セットは?」
「え?野菜?」
「うん……あのさ……もしかして宅配サービスとかやってたりする?」
「えっ?やってないよー」
「…………りょうかいっ!」
オレは少しの間、呆気にとられた後、そう言い恐怖のあまりすぐにドアを閉めた。
ドアさえ閉めてしまえば、安心だ。
と思っていたが万条の足がドアを閉めさせまいとひょいっと隙間に挟まっていた。
「おい!お前!足引っ込めろ!」
「うぐう!いやだあ!」
「はぁ?ふざけんなよ。っていうか力強いなこいつっ!」
……くそう。大ピンチだ。どうする?このまま万条の足がドアと擦れて足がちぎれるのを待つか?それとも諦めるか?迷わず前者であろう。
オレは文字通り頑張り続けた。が、しかし勝負は見えていた。
「ちょっと!!!!!」
と言って万条はドアをこじ開けてしまった。オレは力尽き玄関口で倒れ込んだ。
「っ!?」
「や、やったー!開いたーー!」
な、なんて力だ。オレは知っているぞ。クラスの女子が話していたのを聞いたことがある。これが噂に聞く女子力か!
「お邪魔していい?」
「お前……。もう相当お邪魔してるぞ……」
「ごめんね!ていうかそのお前ってやつやめない?」
「は?いきなりなんだよ」
「ワタシのことはユイって呼ぶのでいいから。じゃあとりあえずお邪魔するよ八橋君!」
「八橋?人違いじゃないですか?うちは……えー鈴木ですけど」
「じゃあ鈴木さん、とりあえずお邪魔するね!」
「ちょっと!お前!」
万条はオレの家に勝手に入り込んできた。ローファーを脱ぎ捨てお構いなしにあたりの部屋を見渡していた。
「へぇ~これが男の子の部屋かぁ~」
「いやオレを基準で考えない方がいいぞ」
万条はそう言ったが、おそらく普通の男子に比べオレの部屋は特に物がなく殺風景であろう。何故なら生活に必要なものしか置いていなかったし部屋の広さも6畳程なので物を置くスペースがなかったからだ。
「で。ていうかお前は何しに来たんだよ?」
「ん?」
「だから何しに来たんだよ?悪いがお前と付き合ってる暇はないんだよ。帰ってくれ」
「だーかーらー!」
万条は何故か怒り気味に言った。
「は?なに?」
「呼び方!お前はやめようって!」
「なんでだよ?そんな呼び方を気にする程仲良くないだろ」
「え?だってこれから同じ(・・)部員なんだからいいじゃん!しかも同じクラスだし!」
「ああそういうことか。それなら――」
……え?
オレの聞き間違いか?よく意味の分からないことを言っていたような……。
「……おい。今何て言った?」
「え?同じクラスだしって言ったけど?」
「いや。その前だ……その前何て言った?」
「えーっと、同じ部員なんだからいいじゃん。だったかなー?」
――い、いや。いやいや。待て待て待て!
「だったかなー?じゃねぇよ!冗談じゃないぞ!」
「うん。冗談じゃないよ?ワタシと部活やらない?」
おいおいおいおいおいおい。こいつ正気か?部活ってあのモラトリアムである学生の時間であるこの貴重な時間を下世話なお喋りや馴れ合いで無駄にするアレか?
オレは部活が大嫌いだ。気も合わないやつと慣れ親しんだフリをし、無駄なエネルギーを使って心臓の鼓動を減らす部活動というものが大嫌いなのだ。
「部活?部活ってあの学生達が休み時間や放課後に集まって何かやるって奴か?」
「そう!正解!ワタシと部活しようよ!」
……当たっていた。そ、それにしてもこのオレに部活だと?
フンッ。笑わせるな。オレは入らないぞ。何故ならばもうオレは帰宅部に入っているのだ。そう。オレは高校に入ってからというもの友達も人差し指を立てられるくらい(谷元である)しか居らずに毎日家に帰っては怠惰で怠惰を怠惰してしまうくらいのスーパー怠惰マンである。だが。オレはこの生活がとても楽しいんだ。この生活が崩れることは危険な状況だ。
それに部活なんて入ったら……。
「オレに部活の勧誘?残念ながらオレは入らない。他を当たるんだな」
「嫌だ!」
万条はすぐにそう答えた。
「おいおい。なんだよそれ。とにかくオレはやらない。青春したいなら他の奴と謳歌しろ。オレはそんな青春なんて求めてない。帰れ」
「そこまで言わなくても……ねぇ部活やろうよ!楽しいよー」
オレが部活を否定しても万条は本当に楽しそうに言うのであった。そして万条は勝手にオレの机の椅子に座り足を組んだ。オレはその万条を見て思った。
――こういうのを充実してるというのだろう。こいつも俗に言われる薔薇色ライフ満喫中か。薔薇色とは聞こえがいいな。しかし薔薇は色で言えば赤色だ。言い換えれば赤色ライフ。まるで血のようだ。悪いように言えば、血色ライフだ。酷い目に合う人生にしか思えない。
「だからやらないぞ。オレはまだ死にたくない」
「え?部活で死なないよ!あはは!何言ってんの?」
万条は笑ってオレを見てそう言った。
「したくないことはしないってことだ。運動嫌いだし」
「意外と楽しいんだよ?ていうか運動部じゃないよ!」
「あそう。でも文化部だろうがやらない」
「なんでよ?」
「忙しいんだよ」
「え?どこが!今日だって用事あるとか言って家に帰ってたじゃん!それにいつも学校でもすごい暇そうだよね?」
「は?暇をしていて忙しいんだよ」
「へぇ~なにそれ?変わってるね。あ!ていうかさ!ワタシは何て呼んだらいい?」
「あっさり話変えたな。ていうかもう話す機会ないから呼ばないでいいんじゃないか?」
「え~あるかもしれないじゃん!例えば部活とかでさ!あだ名で呼びたいなぁ」
「部活とかって……オレが入部するような言い方やめろよ。ていうかいつまでオレの家にいるんだよ」
「なんかあだ名付けづらい名前だなーなんかない?」
「ない。別にあだ名なんて付けなくていいでしょ。そもそも話さないんだし。ていうか帰れよ」
「八橋だから……八……あ!じゃあハッチーってどう!?」
ハ、ハッチー?何だそのダサいあだ名は。
「ハ、ハッチー?誰だそれは?」
「君のこと!それじゃあこれからよろしくねハッチー!」
こいつ話が通じないな……。
「もう疲れてきたな」
「それで今後の活動なんだけとさ……」
「いや、待て。さっき聞いてたか?オレは疲れたよ」
「え?うん。これからよろしくって」
「おい。お前の耳だけがご都合主義なのか?それともお前がバカなのか?ワザとか?どれだ?全部か?答えなくていいから帰ってくれないか?頼むから」
オレは呆れ顔で言った。しかし万条はすぐさまこう返答してきた。
「嫌だ!了解もらえるまで帰らない!」
こいつ何を言ってもダメだ。仕方ない。こういう奴には対してはとりあえず時間が過ぎてから向こうが折れるのを待とう。
「あっそ。じゃあ長期戦になりそうだからお茶持ってくる」
「長期戦?あ、ありがと」
オレは一先ず落ち着くために台所に来た。お茶の葉を探しながら、溜め息が出た。
「はあ……ていうかお茶どこにやったっけ……」
「お茶は下の棚じゃなかった?」
と、真後ろから声が聞こえた。万条は洗面台の下の棚を勝手に開け始めていた。
「ねぇねぇ。コップはどこ?」
「っ!?ってお前か。じっとしてろよ」
「お茶くらい自分でやるよ~」
「いや大丈夫。任せたくない。信用できない。ていうかウーロン茶でいいか?ちなみに下の棚は何も入ってないから。訳わかんないことを言うな」
「も~。ウーロン茶でいいよ!仕方ないな!」
万条は少し首を後ろに傾けて、横目でオレを見て言った。
「何故そんなに上から目線なんだよ」
すると万条はまた辺りを見まわしてから聞いてきた。
「ねぇねぇ。さっきも思ったんだけどハッチーって一人暮らしなの?」
「まあそうだな。ていうかその呼び方やめろ。何故ならば超ダセェから!」
「へぇ~大変だね。全部一人でやらなきゃだねハッチー」
ワザとだろこいつ。まぁもういいや。
「そうだな」
しばらく万条は沈黙した後に聞いてはいけないことを聞くかのような調子で、小さな声で訊いてきた。
「ねぇ。料理とかできるの?」
「人並みには」
それを聞いて万条は何か思いついたのか。ワザとらしく、
「ワタシお腹空いちゃったな!」
と、捨てられた子猫のような眼をしてオレを見ながらそう言った。
万条、オレに作れって言ってんのか?
「へぇ」
「なんか食べたいなぁ~」
「へぇ、そうなんだ」
「あー!お腹すいたなあ!」
「へぇ、そうか」
万条は顔をムッっとさせた。やはり万条はいきなり人の家来てご飯食べようとしているようだった。
「今日何も食べてないんだよね~」
何度もチラチラとオレを見てくる。オレは棚からコップを出しながら言った。
「へぇ、それは良かったね」
「…………」
オレがなかなか作るといわないので万条は黙り込んでしまったようだ。
……よし。諦めたか?
しかしお腹が空いているアピールだけではダメだと思ったのか、万条は作って欲しいことを遠回しに言ってきた。
「えっと……別に作ってもいいんだよ?」
そ、それだと余計に図々しいぞ……。
「でもそんなこと急に言われてもなあ。それに人に頼むときにはちゃんと頼むもんだろ?そんな遠回しな言い方はやめろよ」
「確かに!そうだよね!ごめん」
万条はそれを素直に聞き入れた。
「じゃあいくよ。ワタシのご飯を作って下さい。お願いします!」
万条は相当お腹が空いていたのか、真剣そうな顔をして言い、深々と頭まで下げて頼んできた。
「ワタシに何か恵んでください!ハッチー様」
ここまでされたのだ。答えはもちろん。
「嫌だ」
「えーーー!ここまでさせておいてそれは酷いよ~」
「酷いって何がだ?勝手に人の家に入り込んできて、あまつさえご飯までご馳走になろうとしていたナントカ条って奴よりは酷くないと思うぞ。どうぞ?」
「うわっ。ハッチーってそういう人なんだ……予想通り……じゃあもういいよ~。ウーロン茶注いだら持ってきて。あ、テレビつけていい?」
「ダメだ。電気代が掛かるからな。ていうか予想通りって……」
万条は少し拗ねたまま忠告を無視し、テレビをつけ、横になり始めた。
「おいおい。いつまで居座る気だよ」
「だって、お腹が空いてて動けないよ~」
そう言ってその場を動こうとしない。オレはとりあえずウーロン茶を部屋の中央にある卓袱台の近くに寝転んでテレビを見ている万条のもとへ持って行った。
「はい、ウーロン茶」
「あ。ありがと」
「で、いつ帰んの?」
「お腹が空いて動けない……。ほら、聞こえる?ぐぅ~」
万条はお腹が鳴る音を口で表現して見せた。不愉快だ。
「聞こえない。何もな」
「ほら。ぐぅ~!!」
う、うるせぇ……。
「それ明らかに口で言ってるよね?はぁ……もう分かったよ。でも約束しろ。食べたら帰るってな」
「ん?」
――十分後。
オレはなかなか万条が帰ろうとしないようであるので仕方なく要求通りにあるもので焼そばをつくった。そして万条にあげた。
「はい、これ食べたら帰って」
「うわ!ありがとー!美味しそう!」
万条は焼そばを一気に啜った後そのまま食べながら喋った。
「お、おいひぃよ!はっひーひょうひひょうひゅよね?(ハッチー料理上手だね?)」
「落ち着けよ……何言ってるか全く分からない」
万条は焼そばをお腹を空かせた子供のように頬張りながら食べていた。そう勢いよく食べていたせいか喉に詰まらせた。
「むっぐっっ!!!!!」
「お!おいおい!大丈夫かよ?ウーロン茶飲めって」
オレはウーロン茶を万条のコップに注ぎ足して渡した。万条はそれを飲んで喉の詰まりはとれたようで胸を手で叩きながら言った。
「ふぅ~死ぬかと思ったよ……」
「お前急ぎすぎだろ。ゆっくり食えって」
「うん……そうする……でももう食べた食べた~!」
ふと皿を見ると万条は焼そばをもう既に完食していた。
「食べるのはやっ」
「あー、おいしかったなぁ!」
「そうかい」
「うん、おかわり欲しい」
「やらないから」
オレが素っ気なくそういうと、万条は両手を背中の後ろの床へやり、体を支え、脚をちゃぶ台の下へ突っ込み、天井に目線を向けて、電球を見ながら言った。
「あ~ハッチー部活入ってくれないかなあ~」
その後、しばらく沈黙が続いた。万条は両足首を左右に動かして、天井を見ていた。
オレは万条を見ながら言った。
「じゃあ……そろそろいいかな。よろしく」
オレはそう言って右手を差し出した。
「ん?どうしたの?いきなり手なんか出してさ。手相占いできないよワタシ」
「いや、そうじゃなくて」
「え?なにー?お手?」
「いやだから……」
万条はそう首をかしげた。続けて分かった顔をして言った。
「あ!なーんだ!これからよろしくってことだね!!ごめんごめんこちらこそよろしくね!」
万条はオレの右手を握りしめて嬉しそうにしていた。
「よかった!よかった!これでハッチーが入部してくれたお蔭で助かったよ!」
オレはその嬉しそうな万条の顔を見て、言った。
「いや。そうじゃなくて。その焼そば分の代金。200円でいいよ」
「え?」
「だから焼そば代、返してって言ってるんだけど――」
「えーーーー!お金とるの!?それはなくない?普通とるものなの?いやとらないよ!」
「え?とらないの?」
「とらないよ!ハッチーのケチ!」
「ケ、ケチじゃない!オレは倹約家なだけだ!」
「はあ……なんだあ。てっきりハッチーが部活に入ってくれるのかと思って嬉しかったのになぁ……あーなんか疲れたぁ。眠くなってきたよー。じゃ、ちょっとだけ横になるね……」
そう言いながら万条はお構いなしに再びテレビを点けっぱなしにして横になった。
「おい。テレビの電気代がかかるだろうが。ちゃんと消せよ」
「う~ん……おやすみ……」
万条は体を横にし、少しうずくまったように膝を曲げて、お腹に寄せ、片腕を自らの頭の枕にし、もう片腕は胸のあたりで力もなく、床に垂れていた。
「おやす、じゃなくて帰って寝ろよ……」
「う~ん」
そう小さく返事をしたかと思うと、部屋は急に静かになり始め、段々と万条の鼻息が聞こえてきた。
「おい」
「…………」
「お~い」
「……zzz」
返事が返って来ない。万条は目を瞑って眠っていた。微かな寝息が静かな部屋に聞こえてくる。気付くと万条は無防備に寝顔を露わにしていた。その横顔は今まではしゃいでいたのが嘘のように、静かであった。
――なんだこいつは。勝手に人の家に来て、焼そばを食べるだけ食べて、勝手に寝て。好き勝手にも程がある。万条、部活がどうとか言ってたけどそもそも何でオレなんだ?まぁどんな理由にせよ、入らないけどな。ていうかいつ帰るん……っておいっ!
万条についての文句を心の中で言っている時、ふと横になっている万条を再び見ると制服のスカートがめくれ上がり微妙にパンツが丸見えなのであった。し、しかも……。
「ぴ、ピンクだとっ!?」
やばい。つい声に出してしまった。
唐突に大きな声を出してしまったので、万条はそれにビックリしたようであった。
「え!?何?どうしたのハッチー?急に……ちょっと静かにしててよね……おやすみ」
「お、おい……起きろ。その……早く……」
「……zzz」
「おい‼」
「ん~?なあに?」
「起きろって!」
「……う~ん……」
「おい!その……早く起きろ」
見たのではない。見えたのだ。
「……え~?何で?」
き、気付いていない!?これが薔薇色ライフスタイルか……。わ、悪くない。っていやいや、オレ何言ってんだ。
「は、早く帰らないと……えーっと、親御さんが心配するぞ……」
「起こさないでよ……おやすみ……」
「いやよくない!おい!起きろ!」
「う~。うるさいなぁ~よいっしょっと」
万条は起き上がり、目を擦りながら時間を聞いてきた。
「あ、ごめん今何時か分かる?」
「今は……7時くらいだな。ってもうこんな時間かよ」
万条は背伸びした後に、眠気を飛ばしたのか、元気に言った。
「ありがと!じゃ、ごちそうさまでした。そろそろ帰るかあ……」
「ああ、早く帰れ。親御さんが待ってるぞ」
「ハイハイ。わかったよ~。じゃ明日ね!」
「いや、明日以降は勘弁してくれ……てかやらないから部活」
ってそうか。オレはこいつと同じクラスではないか。
万条は玄関へ行きローファーを履いてドアを開けて出た。
「お邪魔しましたー今日ありがとね」
そのまま万条がドアを閉めながら笑顔で言った。
「焼そば美味しかったよ!じゃあね!」
「じゃあな」
万条は帰った。あの無邪気な幸せ者には是非帰り道、気をつけて事故に遭って欲しいのもだ。万条は嵐のようにやって来て去る時もまた嵐のように去っていった。お気楽な薔薇色ライフ満喫中だ。しかし薔薇ということはいつか散りゆく運命にある。散ってしまうならはじめから咲きたくないものだ。
翌日。オレは昨晩あまりよく眠れなかった。
昨日起こったことがオレにとってはあまりに非日常であった。クラスの人気者というべき万条に話し掛けられ、オレの家までやって来たかと思うと、「部活を一緒にやろう」などと言われ、内心でそわそわしていた。今までのオレの日常、即ちオレの怠惰っ生活は危機に瀕していたからである。
朝。オレはいつもよりも早く目が覚めてしまった。
昨日の万条を思い出すだけでオレは、動揺していた。今日もまた昨日のように話し掛けられ、家まで跡を付けられ、あの壮快な調子で「部活をやろう!」などと言われてしまうのではないだろうか。オレは学校へ向かう途中、どうやって万条を避けるかを思索していた。その時、オレはふと自分のやっていることが馬鹿げていると思った。
オレは何をこんなに考えているんだ?もしかしたら万条は話し掛けて来ないかもしれないじゃないか。第一、オレは部活をやるつもりはないんだ。ならば、話し掛けられたとしても、白々しくしていればいいだけじゃないか。そわそわする必要もない。
しかしオレは油断していた。万条は昨日部活をやらないと言ったオレに対して更に部活の勧誘をするようになったのである。朝オレが教室に来た途端に向こうからこう話しかけて来たのであった。
「よっ!そこの暇そうな君!部活やらないかい?」
朝の第一声がそれか……。
「誰ですか?あっち行ってもらえませんか?」
「だ、誰って!同じクラスじゃん!」
「そうなんだ。初めまして。そしてさようなら」
そう言って音楽を聴こうとすると万条はそのイヤホンを取り上げて、
「部活のことなんだけど」
と怒ったようにオレに顔を近づけて言った。その近づいてきた顔から眼を逸らし、オレは続けた。
「ちょっと。誰ですか?」
「同じクラスの万条ユイです。よろしく!」
「そうなんだ。初めまして。そしてさようなら」
オレは携帯電話をいじりながら、自分の席へ向かった。
「ちょっと!何回やるの?」
「ん?誰ですか?」
「万条ユイです!次はさようなら、禁止ね!」
「そうなんだ。初めまして。グッバイ」
「英語もだめ!」
「おいおい。なにやってんだ?八橋~。今日は来るのが早いな!それにしてもお前ら朝からよ……って……八橋と誰かが話してる!?え!?しかも何で万条さんとっ!?」
そうしていると登校してきた谷元が話しかけてきた。
「ああ、ちょうどいいところに来たな。助けてくれ谷元。オレの目の前にいる万条はどうやら耳が悪いらしくてな。何を言ってもキリがないんだ」
「え?そうなのか?て、ていうか八橋!万条さんといつの間に友達になってたんだよ?」
「は?友達?誰と誰が?」
「お前と万条さんだよ」
「え?違うぞ」
「えーーーーー?ひどい!そうなの!?」
「そうじゃないのか?」
谷元はそのやり取りを不思議そうに見た後に言った。
「まぁ、よくわからねぇけど、まさか八橋に先を越されるとはな……」
「先を越される?」
「い、いや別に。ていうかどういうきっかけで友達になったんだ?ま、まさか八橋から話しかけたとか!?」
「そんなわけないだろ。何でオレがこんな頭の中お花畑みたいな奴に話しかけなきゃいけないんだよ。ていうかさっきも言ったけど友達じゃないし」
万条はそう言ったオレに対抗して言ってきた。
「あ、頭の中お花畑じゃないし!ハッチーこそケチのくせに!」
「あ、ていうか今思い出したけど昨日の焼そば代返せって」
「嫌だ!絶対いやだあぁ!」
「おい。まさか返さないつもりか?昨日は大目に見てウーロン茶代は取らないでおいたんだぞ?それなのに焼そば代さえも払わないって言うのか!?」
「普通焼そば代なんてとらないでしょ」
「なんだよ普通って。それはお前の普通だろうが」
谷元はその少し喧嘩じみた会話を聞いて言った。
「おいおい。二人ともよく分かんねぇけど落ち着けって。ていうかやっぱり友達じゃないのかお前ら?」
「違う。ただのクラスメイトだ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
「違うよ!部員でしょ!ハッチー入部したじゃん!」
「おい。なんで過去形なんだよ。ふざけんな」
「ハ、ハッチー?」
そう言って谷元はその二人の会話を訳の分からない顔をして聞いていたが、その後に笑って言った。
「そうか!まあよくわからんが八橋よかったな!入部おめでとう!」
「は?お前までまた……」
「いいじゃねぇか!万条さんこんなに誘ってくれてんだし。それに八橋暇じゃん」
そう笑いながら谷元は言った。
「何を言うか。オレは暇をしていて忙しいんだ!」
○
その日朝から万条に話し掛けられ、谷元に万条と友達であると誤解されたまま昼休みがやって来た。オレは通常運行、安全運転であのベンチに行こうと席を立とうとした。
するとまたもやその時、背後からもう嫌になりそうな台詞が聞こえてきた。
「よっ!」
オレはその声と同時に肩をポンっとされた。見てみると万条がいた。
「またお前か」
万条はニコっと笑いながら言った。
「ねぇ!ついて来て!」
万条はオレの腕を掴み取り、どこかへ連れていこうとした。
「ちょ……いきなりなんだよ」
腕を払おうとするが、万条は腕を思ったよりも力強く掴んでいたので振り払えなかった。万条のなすがまま連れていかれた。すごい力だな。女子力高いな。
しばらく万条に連れていかれて気が付くとそこは学食であった。生徒たちがたくさん集まり昼食を食べている。オレはここ学食に来たのはこれで2回目である。初めて来た時は高校1年生の頃、一人で食堂がどんなものなのか見物がてら行ったきりである。しかし行ったはいいが生徒の数と彼らの話し声の多さに圧倒され、居心地が悪くなり、結局学食に滞在した時間は3分あるかないかくらいであった。
「ここで話そう」
万条は空いていた席を見つけて、やっと腕から手を放してからそう言った。
「え?わざわざ何でここまで来たんだよ」
万条はなかなか座らないオレの両肩に手を乗せて、体重をかけて無理やり座らせた。
「そこ座って。はい飲み物。お茶ね」
万条はペットボトルのお茶をオレに渡した。
「あ、ありがとうございます。じゃなくて何?こんなとこまで来てさ」
「もちろん部活の話だよ」
「なんでここなの。ていうか入部してないよ?ていうかぶっ飛ばすよ?」
「にゃはは!」
「にゃははって……話聞いてる?」
「あ、ワタシちょっと何か買ってくるね。待ってて」
「お、おい!ちょ!」
万条は何かを買いに行ってしまった。
周りの人たち話している会話が否応なく聞こえてくる。オレはお茶を飲みながらあたりを見まわした。周りはほとんどが誰かと一緒に昼ご飯を話をしながら楽しそうに食べ物をつついてる。いや、むしろ昼ご飯を食べながら話していると言った方がいいかもしれない。オレにはまるでその昼食は誰かと一緒にいるためだけの媒体としてしか見えなかった。楽しそうに食べ物をつついてる。
「どうしたの?ハッチー!なんか変な顔してるよ!」
いつの間にか万条がパンを持って戻ってきた。
「もともと、こういう顔なんだよ。変な顔で悪かったな」
「いや、普通にしてれば、そんなことないと思うけどさ。でもさっきはなんかすごい目つきで周り見てたよ」
へ、変な顔じゃないだとっ?オレが?どんなセンスしてるんだ。っておい。いま、どんなセンスしてるんだって言った奴、ここに並べ。
「褒めたって何も出ないぞっ。そのパン奢ろうか?」
「あはは!大丈夫だよ!何で周り見てたの?」
「いや別に」
「ていうか前から思ってたけど時々ハッチーってすごい顔つきするよね?なんていうかこわいというか。近づきづらいというか」
「そうですかい」
お前の部活勧誘の方がこわいけどな。
「でもさ!だからさ!一緒に部活やろうよ!絶対に楽しいよ!」
……またその話か。部活なんてくだらん。やはりダメだ。仕方ない。こちらからしかなくてはいけないのは癪だが、どんなに話を逸らそうとしてもダメとなると、はっきり言うしかない。
「悪いけどさ。オレは部活なんて入らないよ。はっきり言っとくけどさ、迷惑だから止めて貰っていいかな?ほんとにウンザリしてたんだ。それに部活だとかそういうのほんとに嫌いだからオレに勧誘なんて今後一切やめろ」
オレは万条の眼を見て、冷徹に、表情を変えず、淡々とした口調で言った。
よし、ここまで言えばいいだろう。さ、帰れ帰れ。
「…………」
万条は俯いて黙り込んだ。前髪で万条の表情は隠れてしまい、買ってきたパンは開封されたまま、手を付けていなかった。
この様子を見れば、さすがにもう退くだろう。
「…………」
万条はしばらく沈黙を続けた。
言い過ぎたか?だがこれくらい言わないとダメだ。そうしないと分からな奴もいるんだ。自覚は芽生えさせた方がいい。
「じゃ、オレ行くわ。じゃあな」
オレはお茶一気に飲み干してからそう言った。するとそれまで俯いていた顔を上げて、万条は大きな声で真面目な顔をして言った。
「……嫌だ!!!一緒にやろう!」
「え?」
なん……だと?しかも声デカいよ。
万条の声に驚き何があったのかと周りの人がこちらを見てきた。
「ちょ、声デカいよ」
「あ……ごめん」
「まあいい。つまりは部活やらないから。ほんとうに迷惑だからやめろ。じゃいくわ」
オレは席を立ってその場から去ろうとした。すると万条は立ち上がり、
「ワタシ、諦めないからね!」
と意地を張ったように万条は言うのであった。オレはそれを見向きもせずにそこから立ち去った。
……どんなに拒否しても来るなんてもうどうしようもないじゃないか。
○
それから相変わらず万条からの勧誘を理続けて何日か経ったある日の朝。教室へ入るとどうやら万条はまだ登校しておらず、オレは久しぶりに平和な時を過ごしていた。オレは自分の席に着いてから一先ず喉が渇いたので水筒を取り出した。するとちょうど谷元がオレのところへやって来た。
「八橋おはよー」
「ああ、谷元か」
いつものように挨拶を交わし、オレが飲み物を飲んだ後に谷元は言った。
「八橋~おまえさ。もしかして万条と付き合ってるの?」
「ブゥッーーーー!!」
谷元が言ったことに驚き、オレは谷元に口に含んでいたものを吹きかけた。
「うわっ!!おいおい!」
「わ、わるい。でもお前の言ったことがあまりに見当違い過ぎてな」
「え?万条さんと付き合ってるって話か?」
勘違いも甚だしい。いやもう勘違いのレベルじゃない。
「だからお前。何を言っている。日本語で言ってくれ」
「は?日本語だよ。お前こそ何言ってるんだよ」
「じゃ、じゃあ英語で言ってくれ」
「え~?ドゥユーラブマンジョウ?」
「くたばれ」
「なんでだよ!だって最近いつも一緒にいるしよ。同じ部活なんだろ?」
「だから何を言っている。誰か通訳してくれ」
「おいおい誤魔化すなよ~」
「いや、部活だって入ってないし付き合うなんてあり得ん。あんな恐ろしいやつ」
「そうなのか?なんか学食で万条が『嫌だ!』とか『一緒にやろう』とか言ってたのとか見てたぜ。それに最近、万条お前に付きっ切りだろ?付き合ってんだろ?どうなんだよ~青春してるなぁ!」
「付き合ってない。よく考えてみろ。お前とくらいしか話さないオレにそもそも万条が話しかけてきている時点でおかしいんだ。何か裏があるに違いない」
「そうなのか?ていうかまだ万条さん来てないんだな。残念だったな」
「その残念の意味が分からない。むしろ嬉しいんだが」
「またまた~まぁ何か相談あったら言ってくれよ。いつでも恋相談に乗るぜ~じゃあオレは席戻るぜ」
「はぁ……」
谷元。是非そのままこの世のカップル達を救ってくれ。
それにしてもこの数日間で万条に付き纏われ過ぎて目立っていたのかもしれない。早いうちに手を打たなくてはいけない。事が起こった後じゃ遅いんだ。
しかしそんな束の間、その日万条は休みであった。なんとすがすがしいのであろうか。こんなに一日が充実して思えるのも久しぶりである。久々に快適な一日が暮らせたオレは学校が終わり自宅の近くをブラブラ散歩することにした。まずは古本屋街を回って本でも買うかと思って行きつけの森書店で本を探していた。
「あれ、もしかして!」
嫌な予感がしながら振り向いて見るとそこにいたのは立花という男であった。一年の時同じクラスであった。ただの去年クラスが同じだっただけの知り合いである。
「ああ立花か、偶然だね。なにしてたの?お前確か、水泳部じゃなかったっけ?今日部活ないの?」
オレがそう聞くと立花は急に少し動揺したように見えた。
「え、えっと、まあ今日はな。いつもはあるけど今日は休みなんだよ」
「そうか」
そうなんだ。オレから聞いておいて悪いが頗るどうでもいいよ。早くどこかに行ってください、お願いします。音楽聞きたい。
「ああ、そういう八橋は何見てたんだよ?人に言えないような本か?」
「まあ、そんな感じ」
「それにしても八橋は相変わらず暇そうだな!」
と立花は笑いながら言った。
「何を言っている。暇していて忙しいよ」
「あはは、なるほどな。ストイックだな。ていうか暇そうだが、最近万条さんと同じ部活入ったって聞いたけど」
とんだ情報が流れてるな。しかも鵜呑みにするなんて信じられん。それにしてもやはりもう誤解が出回っているようだな。
「いや、入ってないから」
「そうなのか……じゃあいいか」
「何が?」
「いや、別に。それにしてもあの部活いま部員募集してるらしいな」
「へぇ」
オレを誘ったのは部員集めってとこか。なるほど数合わせということか。くだらない。
「そうなのか。まぁじゃあオレはそろそろ行くわ」
「ああ、じゃあまたな八橋」
「また?まぁじゃあな」
またはないだろうけどな。
○
次の日、その日は一番授業が多く、一番嫌いな曜日である。そんな日に限って良くないことは重なるものである。その日、残念なことに万条は出席していた。風邪にはもっと頑張って欲しかったものだ。そして昼休みになり、万条に話し掛けられる前にすぐに教室を出ていつものベンチへ行って昼寝をしていた。
「……て!」
ん?なんか聞こえるな。
「起きて!」
ん?オレは目を開けた。そこにはまた万条がいた。
「早く起きて!やっぱりここにいた」
また万条かよ。なんなんだ。
「ん?人違いじゃないですか?」
「いや、あってたみたい!やっぱりここにいた。ついてきて」
と言いながら腕を掴まれた。ていうか力つよっ。
「どこ行くんだよ」
オレの問いかけも空しく、万条は数々の部活の部室が立ち並ぶ第三校舎へ連れてきて、二階の一番奥の部屋に入った。オレは強制的に連れてこられていた。部屋に入ってみるとそこには本棚や机がいくつかあり、真ん中に長机が1つ、更に椅子が5つあった。オレはその光景を見て心を込めて言った。
「なにこれ」
「部室だよ!」
と、平然と言う。
「そっか、じゃ、オレは用事があるからいくわ」
「待って、昼休みだからここでお昼にしようよ」
面倒だな。どうかわそうか。
「オレ、お昼食べないんだ。」
「じゃあ、わたしのパン一つあげる。二つあるから」
お昼を食べないといったのになぜ渡すんだ?Sなのか。それともドSなのか?まあ、Sなんだろうな。
「オレ、パンだけは家庭の決まりで食べちゃいけないんだ。悪いね」
「あ、ごめんね、今度からはおにぎりにするね」
おい。こいつ今の本気にしたのか?てか今度ってなんだ。これからオレが当然のように昼にここに来るようではないか。
「なんかもう既におれが部員みたいな話し方だけど考えすぎだよね?」
「安心して、もう部員だよ!」
ああ、駄目だ。ここにいたら危険だ。昼休みは静かなベンチで昼寝してるのに。
「本当に本当に残念なんだけど、今すぐ退部させてもらうよ。じゃあね」
「とりあえず、話だけでも聞いて!」
「話を聞く義理はない」
「部活やろ!」
「だからやらない。オレには関係ない」
「ある!」
キリがない。オレがどんなに断ろうとしても向こうに聞き入れる意志もない。万策尽きた。
「何を言ってもこれじゃあな」
「ん?」
「わかったよ。話だけな。で、話って何?今度持ってくるおにぎりの具は何がいいかとか?それなら、明太子だな。まあ、オレが食べることはないだろうけどな」
「そうじゃなくて!」
「え?違うの?」
「部員募集してるの!」
「全然違った……。ていうか、オレに言ったところで何になるんだ」
そういえば昨日、立花がそんなこと言ってたな。
「で、何で部員集めなんだ?」
「とりあえず、部員不足なの。去年、先輩たちも卒業しちゃって」
「へぇ、それで?」
「だから部員集めしてる」
「じゃあ、集めればいいじゃん」
「だからハッチーを誘ってる」
「オレじゃなくていいだろ。ていうかなんでオレなんだよ」
「この前、目があったからかな。誘ってくれって目してた」
どんな目だ。後でネット検索してみるか。
「いや、してないし」
「実を言うと、うちの学校部活入ってる人がほとんどだし時期的にも部員集めは難しいの。でもハッチーは部活やってない!ワタシは見たもん!昼休みだっていつもあそこで寝てるだけなの!それに同じクラス!だからいいよね?」
この前、昼休みにオレのお気に入りのベンチにいたのはオレを観察していたのか。
「嫌だね、そんな都合よく数合わせしても仕方ないだろ。しかも1年の新入部員も来てないのか?まぁ部員が来ないってことは人気ないんだろ。なら現状を受け入れるべきじゃないか?」
「わかった!とりあえずそこ座ってて」
「え?なんで?って聞いてないし」
オレは万条に言われるがままに座った。万条はさっき持って来たと言っていたパンを食べ始めていた。オレがそれを見ていると、
「やっぱり食べる?」
と聞いてきた。
「いや、大丈夫。いらない。で何やってるの?なんで座らせたの?帰っていいかな?」
「無理!」
「いやその無理ってやつも無理だ」
「オーちゃんが来るかもしれないから。今日も来ないのかなぁ。ねぇ来ると思う?」
「う~ん……それオレに聞いてるの?そのナントカちゃんとやら知らないし。部員仲間としてオレを認識するのやめてくれない?それに何でオレに聞くんだよ。ワザと?それともワザと?」
「オーちゃんは部員だよ!」
「へぇ。聞いてないし。で、そのオーちゃんとやらは来ないな。何故ならもう昼休みは終わるからな」
万条は腕時計をしていないが自分の腕を見て、
「あーーー!ほんとだ!もうこんな時間。ていうか、次の授業の教科書忘れたから借りなきゃいけないんだった!」
「腕時計してないじゃないか。ていうか別のクラスのやつに教科書を借りられるなんて便利だな。オレなんて忘れた日は減点されないかひやひやしてるっていうのに」
「え~、じゃあ友達つくれば?」
「簡単に言うなよ。それに教科書を借りるための友達なんて友達なのかよ、そんな無駄な労力使うのはごめんだ。それならひやひやした方がいい」
「じゃあ、次はワタシが貸してあげるよ!」
「ありがたいが、同じクラスだろうが」
「そっか!ていうかもう教室戻らないと!もう授業始まるし!」
「そうだな」
オレは立ち上った。部室を出ようとした。ふと部室の隅の机の上にノートが置いてあることに気がついた。
「何このノート」
そのノートの表紙には道楽部活動記録と書いてあった。
「あ、それはなんていうか活動を書き留めておく活動記録のようなものだよ!」
と万条は答えた。
「へぇ」
そう言って無造作にオレはそのノートを開いてみた。そこには去年からの活動記録が書いてあった。例えるならば、寄せ書きのようにバラバラにそれぞれ部員がその日の感想を書いている、記録帳とは程遠い粗雑な仕上がりであった。今年の欄を見るとノートは白紙に近い状態であった。去年はびっしりと書かれていたが。
「なんだこれ。だいぶ前から書いてんだな」
「うん!これは大事な記録だからね!」
「へぇ。ってなんだ」
しかしノートをペラペラめくっているとオレの勧誘のことが書いてあるページがあった。
今日は八橋君、ハッチーを部活に誘いました。何故なら誘ってほしそうな眼をしていたからです!そして入部してくれました。
と書いてある。
「万条お前な……」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
そう言ってオレはペンを取り出して、
勘弁してくれ。
と書いておいた。
万条がそれを見ていたのか、急に喜んだように言った。
「面白いでしょ?記録取るの!」
「いや、それ以前に主観的過ぎるなこれは。しかも部外者を巻き込むなんて」
「あはは!まぁ適当に思った事でも今日何が食べたいとか気軽に書いてほしいな」
「そんなこと書かないだろ。てか部員じゃないし」
くだらない事する奴だ。ほんとに。
「なんでこんなことしてるの?」
「いいじゃん!」
「別に良いけどさ。ていうか道楽部って何?」
「まぁ文芸部みたいなもんだよ!もともとは文芸部だったんだ!」
「だいぶざっくりだな。文芸部でいいじゃないか」
万条はどうやら教科書を早く誰かから借りたいらしく、そわそわし始めた。
「ほら!早く戻ろ!」
「あ、そうだった」
ていうか結局今日も昼休みを無駄にしてしまった……。
教室へ戻り、自分の席に着くといつものように谷元が話しかけてきた。
「八橋お前また万条さんと昼休みイチャイチャしてたのか~?」
と、頭の悪そうなことを言ってきた。
「そんなんじゃないよ。無理矢理部室まで連行されたんだよ」
「れ、連行!?いいなぁお前~。で、何されたんだよ?」
「なんか勘違いしてないか?たまったもんじゃないよ」
「ほんとか~?お前最近楽しそうだな~」
「楽しそう?苦しいの間違いじゃないか?」
「まぁ表情はそうかもしれないけど無表情よりはいいぜ」
オレそんな無表情だったか?
「……そうか?変わらないだろ。ていうか谷元。先生来てるぞ。教科書用意したのか?」
「あっ!まだ出してなかった!」
「谷本お前。いつもそうだな」
チャイムが鳴り、担任である咲村先生の授業が始まった。
「さあ、みんな席に着けー。めんどくさい授業の前に1つやることがある」
咲村先生は何やら紙袋を教壇の机の上に置いた。ある生徒が尋ねた。
「せんせー、それなんですかー?」
「これはな。くじびきだ」
くじびき?なになに?お金とか当たるの?どれくらいキャリーオーバーされてるの?
「今から席替えをはじめる!」
席替えか。いまの席気に入ってたのに……。
「では、女子の袋はこっちの白い袋、男子のはこの黒い袋、一枚ずつとっていってくれ」
生徒たちは一斉に立ち上がり、袋の前に行列をつくる。彼らは一緒に並んでいる友達とじゃれ合いながらわくわくした面持ちで、自分の番を待っていた。
オレはまだ座ったまま、並んでいる列を見ると、先頭で谷元がくじびきを引いていた。谷元はくじを袋から引出し、折ってある紙をめくって、それを見て、何やら喜び始めた。
「よっしゃー!一番だぜ!」
おい谷本。一番ってたしか……
谷元の謎の歓声とは裏腹に、咲村先生は静かに言った。
「良かったな谷元。一番は一番前だ。これで授業前にちゃんと教科書を出すようになるといいな」
「え?一番って……うわー一番前かよ!せんせー、もう一回引いていいですか?二百円払います」
「二千万ならいいぞ。そして二千万貰ったら私は教師も辞めてやろう」
……先生の本音を聞いてしまった気がする。
「無理っすよ~。うわ、最悪だ~」
そう言って、谷元がこっちにやってきた。
「八橋、オレ一番前だった……交換してくれよ!」
「良かったな。羨ましいよ。交換しないけど」
――しかしまあやはり一番前は嫌だな。一番後ろでなお隅っこが好ましい。何故なら、前の席だと教室全体が見渡せない。それに誰かに背後を許すなんてありえん。もしかしたら、後ろから凶器で刺されてしまうかもしれない。それに隅っこが良いのは隣に一人座る奴が減ることだ。オレが隅っこを望むのは人よりも壁と仲良くしたいからだ。
するといつのまにかクラスの生徒はくじを引き終えており咲村先生が引いていない人はいないか確認した。
「みんな引いたかー?」
そろそろ引くかと思い、オレはくじを引きに行った。引こうとした時、先生が笑って言った。
「八橋で最後だ。残り物には福があるぞ」
「そうだといいですね」
オレは残り物に福などあると信じていなかったので、無愛想に答え、くじを引いて二つ折りにしてある紙を開いた。それを見て、つい声を発した。
「おっ」
そこには一番後ろの左隅っこの席、つまりクラス全体が見渡せる窓際の左後ろの席である、番号が書かれていた。
……残り物には福がある。信じてみるものだな。
「じゃあ、新しい席に着けー、授業はじめるぞー」
「えーー」
生徒たちはそう言いながら新しい自分の席に着いた。オレも念願の席に座った。
「じゃあ、教科書の五十六ページを開けー」
そう言って咲村先生は生徒を席替えした後の余韻に浸らせることもさせないで黒板に板書を書き始めた。オレはその板書を書き写していた。
しばらくその作業を続けていると、何やら頭にぶつかってきた。
「なんだ?」
机上を確認するとさっきまでなかったノートの切れ端で折られた紙飛行機があった。その翼の片方に、開いて、という文字が見えた。オレは言うとおりに紙飛行機を開いて見てみた。そこには、
放課後、部室に集合!
と書いてあった。
こ、これはもう万条しかいない。ていうか万条席どこなんだ?
ふと、右を向くと一番後ろの右端に座っていたのは笑顔でこちらを見ていた万条であった。なんという席を引いてしまったんだ。福どころか禍いじゃないか。オレはその紙飛行機に、
やめろ。
とだけ書いてそれを万条の方へ飛ばした。しかし、飛ばしたとほぼ同時に咲村先生が振り向いてしまった。
「おい!八橋!いまなんか投げてなかったか?」
あ……やば。見られたか?ど、どう誤魔化そうか……
「な、投げてないですよ。虫じゃないですか?」
咲村先生の顔を窺いながらオレがそう言うと、
「そうか?随分大きな虫に見えたが。まぁいい」
と咲村先生はまた板書を書き始めた。
「ふぅ……」
全くもう。ふざけんなよな。危なかったじゃないか。ていうか何でオレが怒られそうになってんだ?
「っ!!?」
そう思っていた矢先、また頭に何かぶつかった。
反省する素振りも全くなく万条はまた紙飛行機を飛ばしてきた。中を開いて見ると、
危なかったね(笑)
と書いてあった。
誰のせいだ!
仕返ししてやりたいところだが次はバレて怒られるかもしれないのでオレのこの寛大な心で大いに無視して、板書を写してやることにした。
しかし板書を書いているとまた何か頭にぶつかった。またぶつかった。そして、またぶつかった。
オレは無視し続けて板書を写していた。すると、無視しているのに対抗してきたのか、一斉に何かが頭にぶつかった。見てみると、どうやら一斉にたくさんの紙飛行機が飛んできたみたいだった。万条の方を見ると平然と板書を写していた。
なんてやつだ!もう我慢できん。
そう思ってオレは仕返しするために飛んで来た紙飛行機を回収し、よく飛ぶように黙々とそれらを折り直していた。すると、
「ちょっと八橋」
と、オレを呼ぶ声が聞こえた。今はそれどころじゃない。後にしてくれよ。
「なに?いまちょっと忙しいんだけど」
「ちょっと八橋。何やってるんだ?」
なんだよ。忙しいって言っているのに誰だ。全く。
「だからいま……」
オレはそう言いながら顔を上げると、そこには怒り立った咲村先生がいた。
「だからいま何やってたんだ?」
ん?あれ?もしかしてやっちゃった?
「……えっと……」
や、やってしまった……。
そもそもオレに話しかけてくる奴なんて谷元と万条くらいしかいないじゃないか。って、そんなことよりも今はどうこの状況を打破するかだ……
「え、えっと……何やってたんですかね?逆に教えてくれませんか?」
咲村先生は呆れた顔をして言った。
「はぁ。お前、放課後生徒指導室に来い」
「……は、はい」
くそ。万条のやつ、何てことを。少しは反省しろよ。オレの放課後という貴重な時間を無駄にしやがって。
万条を見ると屈託のない笑顔であった。オレは諸悪の根源を目の当たりにした。
○
放課後。生徒指導室。咲村先生はお怒りのようであった。
「おい、八橋。最近生活が乱れているんじゃないか?授業も寝ていることが多くないか?」
「そうかもしれないですね」
「もう少し改善した方がいいぞ、何か問題でもあるのか?」
「まぁ、あります。問題は分かっているんですが、その問題が何とも手強くて。どうしようもないというか。例えるなら自然災害みたいなものでなんです」
「例えなくていい……。で、その問題っていうのはなんなんだ?」
「いや、別に。言うほどのことでも」
「いいから言ってみろ。帰さないぞ」
そ、それだけはきつい。さっさと帰りたい。
「じゃあ、分かりましたよ。言いますよ」
「よし、言ってみろ」
「はあ……実はですね……」
数十分ほどオレは今部活にしつこく勧誘されていて閉口していることを熱弁した。
「部活?ああ、今部員募集してる道楽部か。なら、入ったらいいじゃないか。たいした問題じゃないな」
「嫌ですよ。オレにとっては大問題です。部活なんてやりません」
「何故だ?何か部活が出来ない理由でもあるのか?」
「ありますよ。そりゃあ。たくさん」
「今何かやっている事でもあるのか?」
「何かをやってない人なんているんですか?」
「お前な。確か部活やってないよな。家では何をしているんだ?」
「何をって。家にいるんですよ」
「つまり、家でダラダラしているのだな?」
「まぁ、そんな感じですかね」
「ならば部活をやっても問題ないだろう。むしろ問題あるのはお前の生活とその態度だな」
「そうですか?ていうか部活なんて嫌ですよ。忙しいんです」
「忙しいとか言ってどうせお前は家でダラダラしているだけであろう。全く」
「そうですよ。でもダラダラしているからこそ時間がないんですよ」
オレがそう言うと咲村先生は呆れ顔で言う。
「あのな、お前も分かっているだろうがいつまでもそんなことは出来ないんだぞ」
「はい。知っています。だからですよ。だから今のうちにダラダラしておくべきじゃないんですか?」
「だからこそ、お前は今のうちに他のことを経験しておくべきだ。それじゃ社会に出てから心配だぞ。その部活をやってみたらどうだ?」
「なんで無理矢理合わないところに属さないといけないんですか。それに現状ではすることない無理をしろっていうんですか。それに社会に出てからって言いますけどそんな経験していないことを先取りして言われても閉口しますよ」
「お前は現代の若者の紋切り型のようなことを言うなよ。別に無理しろなんて言っていないだろうに。それにお前が思っているほど無理に合わせることなんてないんだぞ。世界は意外と優しかったりすることもあるんだ。ということでだ八橋」
「はい?なんですか?」
咲村先生は道楽部の入部の紙を取り出してオレの名前を勝手に書き始めた。
パワハラだ。パワハラでしかない!
「よしっ!」
「よしっ!って……。何いってるんですか。部活顧問にも言わずに」
「お前こそ何を言っている。この部活の顧問は私だぞ」
「え……?」
「だから道楽部の顧問は私だということだ。入部おめでとう八橋」
「いや、ちょ……オレの意思が反映されてないですよ」
「あははは!お前は話しやすいな!」
「嬉しくないですね。ていうか話逸れましたね」
オレが反論している途中で咲村先生は遮って毅然と言った。
「じゃあ、とりあえず今から行って来い」
「え?今からですか?確か今日は用事が……」
咲村先生はオレの右肩に手をポンッと乗せ、その後に肩を力一杯に掴んできた。
「私も一緒に行かないとダメか?」
「いえ。行ってきます」
「そうか。それは助かる。今から会議があるんだ。あ、八橋。帰ったらすぐにバレるからな。私も終わったら一回顔出そうと思ってる」
とニッコリ言うのであった。
「はぁ、分かりましたよ。じゃあ行ってくるんで。失礼します」
オレは生徒指導室を出て部室へ向かった。
とても不愉快だ。いつもなら家に向っているはずであるのに。あー面倒なことになった。これはもう避けられそうもない。それに何だかんだであのパワハラ顧問にまとめられてしまった。それにしても何故こうなった。ああ。そうだあの万条とかいう鬱陶しい奴のせいだ。こうなったのも万条のせいだ。あれもこれも、世界の紛争も地球温暖化も全部、万条のせいだ。
仕方なく部室へ向かっていると、途中で万条が視線に入った。
あれもこれも全部。この悪の根源の……
「やあ!ハッチーじゃないか!」
万条は爽快にそう言った。全くもってその爽快さが不愉快だ。
不愉快であったのでオレは気づかないフリをして過ぎようとした。しかし、万条はオレの行こうとする向かい側に立ち行く手を塞ぐ。避けて歩いて行こうとする度、オレの前に立ちふさがる。万条は忙しそうに言った。
「気が合うね!」
「そうかな?そっちが無理矢理合わせているようにしか見えないけど」
「やっと、喋ったね、で何やってるの?」
や、やられた……
「オレの目の前にいる誰かさんのせいで咲村先生に呼び出されてたんだよ。それであのパワハラ……じゃなくて咲村先生に部活に入れられたんだよ。道楽部の顧問にな」
「え?ってことは入部!?」
万条は驚きと喜びが混じったように、目を丸くし、だが口角が上にあがったまま言った。オレはその表情を見て少し照れながら、無愛想に言った。
「ああ、無理矢理だけどな。今ちょうど部室に行って来いって言われてたんだ。行かないと何されるか分からないからな。で、お前は今何してんの?」
「部員補充!」
「へぇ。なるほど、大変そうだな。じゃあ頑張って」
「え?ハッチーもするんだよ!もう部員なんだから」
「そうなの?でも遠慮しとくよ。じゃあ頑張って」
「その……遠慮とかじゃなくて……入部したんでしょ?ほらぁ行くよ!」
万条はオレの腕を掴んで、どこへ行くかも知らせないままであった。オレの手を引っ張り、髪が風に揺られながら、どこかへ連れて行っている万条の横顔は微笑みが零れていた。もうこの状況に慣れてしまったオレは常套句である台詞をただ言うしかなかった。
「おい、ちょっと!」
そして「部員補充するから手伝って」と言っては、校舎を行ったり来たり連れまわされ、万条とオレはチラシを校内に貼り周り、さらにチラシを配って部員補充に勤しんでいた。万条はずっと楽しそうにチラシを配っていた。しかし部員補充どころか、生徒達は誰も見向きもせず、万条が持っていた部員勧誘のための拙いチラシの数は全然減っていなかった。
オレはもうかれこれ疲れたので、その辺に座り込んでチラシを配っている万条をただ見ていた。
あー帰りたい。いつまでやるんだ。かれこれ結構長い間やってるぞこれ。それにしても何でオレが部活なんて。くだらない。部員補充とかしなくていいよ。
オレは疲れた声で言った。
「もう今日はいいんじゃないか?」
「待って!あと少しだけ!」
万条は、オレにそう言うや否や、まだ残っている生徒にチラシを配りに行っていた。それを見て、全然まだ帰れそうにないので溜め息をついた。
万条に渡されたチラシの一部をぼーっと、読むわけでもなく眺めていると、チラシに影が入り込んできた。誰かがオレの前に立っていた。
「よ!八橋じゃないか、また会ったな」
ん?誰?
顔を見上げて見ると、声をかけてきたのは最近どこかで会った奴であった。
「ああ、立花か」
まさかまた会うとは。
「なに?どうした、そんなところに座り込んで。何やってるんだ?」
「ああ、部員補充だとさ」
そう言ってオレは万条の方を指差した。立花は不思議そうな顔をした。
「お前やっぱり部活入ってたのか?」
「いや。さっき、咲村先生に無理矢理入部させられたんだよ」
「お!そっか、ならちょうどいいな」
「は?何が」
そう言って立花は万条の方へ行き、
「オレも手伝うよ」
「え?手伝ってくれるの?」
「おいおい、なんでだよ、お前水泳部だろうに」
「実はさ、水泳部やめたんだよ!」
あ。だからこの前、あんな時間にあんなところにいたのか。
オレは軽い気持ちで訊いてみた。
「へぇ。なんで辞めたんだよ」
「オレさ、あの部活大嫌いなんだ。先輩たちも含めてよ。だから辞めてやった」
オレは少し驚いた。というのも立花の顔はその質問をした瞬間に、険しくなり、なにより立花の回答が思っていたよりも棘のあるものだったからだ。
「そ、そうなのか、それは措いといて。部外者が手伝う必要ないだろ。ボランティア?」
「いや、実はさ。オレこの部活入ろうと思ってたんだよ!水泳部辞めた後どっか入ろうと思ってたんだ。で、この前、八橋にこの部活について聞こうと思ったんだけどよ。入ってないっていうから。でも八橋も入部したなら丁度いいな!友達もいるし」
友達?立花と誰が?
それを聞いていた万条が嬉しそうに言った。
「え、じゃあ入ってくれるの?」
「ああ、入るぜ!」
「やったあ!よろしくね!えっと……」
「立花ヒロアキだ。よろしくな!」
「うん!立花君だからバナ君だね!よろしく!」
バナ君?誰だそれ?新入部員か?……新入部員か。
万条と立花が握手をし、その後立花が万条の持っていたチラシの一部を受け取り、再び部員補充のための勧誘をしていた。
しばらく二人はそれを続けていると、万条はずっと座っていたオレの方にやって来て、怒ったように頬を少し膨らませてから左手を腰に当て、偉そうに右手の人差し指でオレに指を差し、腰をオレの方向へかがめて言ってきた。
「ちょっと!手伝ってよね!バナ君はあんなに手伝ってくれてるのにさぁ!」
「そうしたいのも山々なんだが、山々過ぎた。もう少し休ませてくれ」
「いみわかんない!もう!」
万条は立とうとしないオレの両腕を引っ張り始めた。
「ほらぁ~!立っっ~て~」
すると急にオレは少し顔が赤くなり、恥ずかしくなった。
何故なら目の前で万条が身をかがめていたため、万条の女の子らしい匂いが漂い、さらに目線を真っ直ぐにしていると胸のが強調されて視線に入るからだった。
「ちょ、ちょっと止めろって」
そう言って、自分で立ち上がり、先ほどぼーっと眺めていたチラシを投げやりに通りすがった人に渡そうとした。
「これ、どうぞー」
「ほう。面白そうだな」
「え?」
その人をしっかり見てみると咲村先生であった。
「お、ちょうどいいところだったみたいだな」
げっ。パワー咲村ハラスメント。本当に来たのか。
「先生!さっき、部員補充しました!」
「万条お疲れ。八橋もやればできるじゃないか!」
座ってるとこ見られなくて良かった……。ていうかオレはなにもしてないけど。
待てよ。でもこれはチャンスかもしれない!
「そうです。本気出せばこんな感じですよ。だからもういいですよね?一人補充にも貢献したことですし退部届くださいよ」
よこせ!
「それはダメだ」
「え?何でですか?」
「たかが一人を部員補充しただけだろう。それにお前の怠惰生活には問題があるからな」
くっ、ここで引き下がったら再びチャンスが来るのがいつかは分からない!
「それは先生の解釈じゃないですか。考えてみても下さい。怠惰とは言いますけどそれは悪い方向に捉えてしまっているんですよ。良い方向に考えれば怠惰っていうのは余裕と同義でですね。さらに言ってしまえば――」
咲村先生はオレを遮って、笑顔で、しかし力強く言った。
「お前。安心しろ。さっきちょうど道楽部部員名簿にお前の名前を書き足しておいた」
……このパワハラ顧問め。
咲村先生は立花の方を向いて続けて言った。
「立花よろしくな。とりあえず一度部室に行こう」
「そうですね‼」
「あ、八橋。お前にも部室を紹介しないとな」
「そ、そうですねえ……」
この人めんどくせぇな……。
……あれ?何で立花の名前知ってるんだ?こいつ名前言ったっけ?まぁ教師だったら名前覚えるのも普通なのか。
「よし!ではついて来い!」
○
咲村先生に言われるがまま部室に連れてこられた。咲村先生は部室のドアを開けてから言った。
「おーい。新入部員を連れてきたぞ。って誰もいないのか。大花はどうした?」
大花?ああ、おそらくこの前万条が言ってたオーちゃんって奴か。
「なんか最近は来てないみたいです……どうしたんだろう」
「そうか……まぁあいつはマイペースだからな」
そんな中、オレは二度目のこの部室を見まわしてある疑問を見つけた。
――そうだ。ほんとうに今更なのだがこの部活って本来の活動は何やってるんだ?それすらも聞いてなかった。確かこの間、万条は元々は文芸部だったって言っていたな。じゃあ見たところ本棚があるし読書か?そもそも道楽部って何だよ。
「すいません。あの先生、今更なんですがこの部活って普段何してるんですか?読書とかですか?」
咲村先生が驚いて言う。
「え?八橋知らなかったのか?よく入部したな」
あんたが入れたんだろうがよ。
「逆に何も知らないオレをよく入れましたね。で、問いに答えてもらえますか?」
「うちの部活は道楽をする部活だ」
「はい?読書とかですか?」
「だから道楽だよ」
「ハッチー、楽しいことをするんだよ!」
「それ、楽しそうだな!」
立花がそのままそう言った。
何言ってんだ。この人たち。付いていけない。付いていく気ないけど。
「あの、退部届ってどこですか?」
「またまた、八橋!お前は冗談が好きだな」
うるせぇこの人。教師という立場じゃなかったら東京湾に沈めていたところだ。
「ほんとうによくわからないんですけど。道楽部ってなんです?」
「まああれだ。表向きは文芸部のようなことをやっているけど本当の活動は楽しいことをする部活だ。分かったか?」
何言ってるか分からない。ていうか分かりたくない。ていうかうるさい。
「まあ。つまり文芸部のような活動をしていると嘘ついて、ただのたまり場としてここを使っているということですね」
「そんな感じだな。でも文章を校内新聞に載せたり、文化祭の時は雑誌作ったりとまぁめんどくさいけど本来の活動はしている。文芸部が文芸だけをやるとは限らないのだよ。まさか文芸部みたいだからって文芸だけすると思ってたのか?」
普通はそうじゃないのかよ。この人前からおかしいと思ってたけど、本当におかしい。
「はぁ、そうですか。まあなんでもいいです。で、いつもは何やってるんですか?その新聞とか文化祭以外は」
「知らないぞ。そんなこと」
「は?」
「まあ、好きなようにしてくれ。部員と本来の活動しながらも楽しいことをみんなで楽しむ。これがうちの部活だってことだ」
「楽しいことですか?なるほど。サッパリ分かりませんね。じゃあ、今日はとりあえず帰っていいですか?あ、ていうかこの提案、超楽しそうじゃないですか?」
「……お前は何かにつけて皮肉を言う奴だな。しかし今日はもう帰っていいだろう。ではまた明日ちゃんと来いよ。八橋」
そう落ち着いて言った咲村先生の表情の裏には殺気を感じた。
この殺気。す、すごい圧力だ。1000ヘクトパスカルはあるだろう。仕方ない。
「分かりましたよ。行きますよ」
と、ここでは言っておこう。誰が行くか。
「では、私はもう行く。万条と立花も早めに帰れよ」
「はーい」
咲村先生は部室を去った。
「さ、オレも帰るわ。じゃあな」
「ちょっとまって!」
万条が帰ろうとしたオレを引き留めた。
「ん?なに?まだ何かやるの?勘弁してよ」
「ワタシもー!」
「何が?」
「はぁ……だから!一緒に帰るの!」
「誰と?」
万条は呆れた顔をしながら言った。
「ハッチーとに決まってるでしょ!」
「き、決まってたのか?」
オレが驚いていると立花も焦ったように言った。
「オ、オレも帰るぜ!」
「え、もしかしてこれって……3人で一緒に帰るやつ?」
「違うの?」
「一緒に帰ろうぜ!」
オレは一緒に帰る必要性がないと思い、「嫌だ」と言おうと口を開こうとした瞬間に万条はふとしたことを言った。
「あ!ていうかさ、部員なんだし携帯教えて!二人とも」
「あ、おう。いいぜ!」
そう言って立花はすんなりと携帯を取り出して連絡先を教えた。オレはその光景を見て唖然とした。
あ、あり得ない!ありえんティだ!よくもまぁ易々と連絡先を交換できるな。悪用される可能性が0とは言い切れないだろうに。
万条と立花は交換を終えたらしく、
「じゃあ、ハッチーのも!」
「あ~何て言うか悪い。携帯って持ってないんだよな~」
「嘘!この前いじってたじゃん!」
「それはおそらく……オレに似た他の誰かじゃない?うん間違いない」
「そんなのありえるわけない!」
万条はそう言い切った。
「何故そう言い切れる?理由を述べられるか?それにありえるじゃなくありうるだ。下二段活用だ。そんなんじゃ余計に番号なんて交換できんな」
「もぉ~揚げ足ばっかりとって!めんどくさいなぁ……あ!バナ君よろしく」
万条は何か思いついたのか、立花に耳打ちをし始めた。
「ん?何て言ってるんだ?オレに聞こえないぞ」
「八橋。それはそうだよ。聞こえたらまずいじゃんか……」
少し経った後、耳打ちし終えたらしく、万条と立花は制服のシャツの腕をめくって言った。
「分かったぜ!」
「おいおい。何をするんだよ」
オレがそう言った後、立花はオレの背後に付いた。そして羽交い締めにして両腕の自由を奪った。
「な、何するんだよ。いきなり」
一方で万条はオレの前に立って少しだけしゃがみ始めた。
「ちょ、何するんだよ……」
「バナ君!そのままお願いね」
そう言って万条はオレの制服のズボンのポケットに手を入れ始めた。
「ちょっ!」
「動かないでよ!あ、あった!」
万条はオレのポケットから携帯を取り出した。すると立花も両腕を離してくれた。
「携帯、持ってるんじゃん!」
「え?ほんとだ、おかしいな……さっきまではなかった気がしたんだけど。気のせいだったみたいだな。悪い」
「もう……ハッチーってどうしようもないよね……まぁいいや。じゃあ交換しとくよ!」
万条は勝手にオレの携帯電話の電源を付けた。その瞬間、万条は悔しそうな顔をした。
「って。そっか……」
「……ようやく気付いたようだな。ふふ。こんな時を想定して、本当は想定してないが、オレが暗証番号を設定していないわけがないだろう!バカめ!」
「ワタシとしたことが……ヒント!ヒントちょうだい!」
「ヒントだと?そんなものオレはあげないぞ。なんでもあるコンビニにでも探して来い。店員さんにヒント売ってますか?って聞いて来るんだな」
「もぅ~めんどくさいなぁ。バナ君お願い」
またか。だが、オレが言わなければ暗証番号が分かるはずもない。そして何をされてもオレは暗証番号を言わない自信がある。
そう思い、オレは自分から両腕を差し出した。立花は再びオレを羽交い締めにした。
「自分から両腕を犠牲にするなんて……八橋お前すごいよ。ていうか教えればいのに」
「さぁ、羽交い締めしたはいいがそのあとはどうするんだ万条。オレは絶対に吐かないぞ」
しかし、何故だか万条は余裕の表情であった。
「ふふふ。甘いよハッチー。この世で一番恐ろしいものはなんだと思う?」
「なんだよ。やけに余裕そうだな。それはまぁ核兵器とか?」
万条は笑った。それも嘲笑的な笑いであった。
「若い!若いよ、ハッチー!」
「若いって……同級生だろ。じゃあお前の答えはなんなんだよ」
「この世で一番恐ろしいもの。それはね……こちょこちょだよ」
「は?」
「こちょこちょだよ!」
「こちょこちょだと?ふっ。笑わせるなよ。まだこちょこちょもされてないのに可笑しいぞ」
「バナ君。しっかり押さえてて」
「おう」
「いくよ。今なら間に合うよハッチー。できればワタシはしたくない……降参するなら今……だよ?」
「何を言うか、今更……」
「うるさい!ええい!」
万条は子供がじゃれて来るように、勢いよくオレの体中をくすぐり始めた。万条のくすぐりはオレの想像を凌駕していた。しかし!
「くっ!っ!やるな……だがこれではオレに暗証番号を吐かせることは……」
「どうだハッチー!レベルをあげるよ!」
何っ?これが最大レベルではなかったのか?これ以上のレベルは……。
「えええい!ほら!」
万条のくすぐりのテクニックはとどまることを知らなかった。
「あああああああああああああああ!!」
そう叫んだあと一瞬だけオレは温かな日差しと共に広大な草原が見えた。
げ、限界だ……。限界というものはほんとうにあるのだな……恐ろしい。
「す、す……」
オレは声を発するのにも難渋するほど意識が朦朧としていた。それを見て万条はくすぐりを緩めた。
「え?聞こえないよ?」
「す……すいませんでした!」
オレがそう謝ると万条は手を離した。
「うむ。よろしい」
オレは立っていることもままならないほどこちょこちょのダメージを受けていた。
「お、お前……何者?」
「ワタシは万条ユイだよ」
オレはもう対抗する気力もなく自分から暗証番号を解除した。そして携帯を万条に渡した。
一つ気付いたことがある。この世で確かにこちょこちょが恐ろしいことが分かった。しかしそんなこちょこちょよりも核兵器よりも恐ろしいものを見つけてしまった。前言を撤回する。この世で一番恐ろしいもの。それは万条ユイである。
その最恐こと万条はオレの携帯と連絡先を交換し終えた。
「完了っ!」
「万条さん、オレにも後で送っておいて」
「了解!あ、携帯ありがと、ハッチ」
「あ、ああ」
「じゃあ、帰ろうか!」
オレはまだこちょこちょのせいで足が震えていた。いや万条への恐れなのかもしれない。
オレたちは下駄箱で靴を履き替え、学校から出た。歩きながら万条が言い出した。
「いや~それにしても二人が入ってくれてよかったよ~」
「楽しみだな、これから」
「……」
「これで部員だいぶ増えたし良かった」
万条は夕暮れでオレンジになった空を見上げて言った。すると立花が、
「そうだ!明日、今後の予定決めようぜ!」
「おい、立花聞き捨てならないな。冗談にしてもきついぞ。休日だぞ?」
「いいじゃねぇか、せっかく入ったからんだし楽しもうぜ」
「それとは別だ。休日は休日。休日って休む日のことを言うんだぞ?知ってた?」
万条はそれを無視して言いだす。
「じゃあ、ハッチー。お昼集合でいい?」
「ああ!いいよな?八橋!」
「お前ら元気だな。よくないに決まってるだろう」
「もう。仕方ないなぁ。じゃあ来週ちゃんと来てよ!絶対に!」
「はいはい。行くよ」
と、ここでは言っておこう。
そう言った矢先、別れ道に辿り着いた。オレの帰り道は右であるが……。
「オレこっちだから!また来週な!」立花はそう言って左の道を指して行って帰った。
「万条お前も左だろ。じゃあな」
「ちょ、ちょ!ワタシも右だよ!」
「も、って……そうか。お前はオレの家を知ってるのか。こわいな」
そう言いながらオレは右の道を先に行った。万条もオレについて来るように右の道を行った。そして万条はオレの横に並んできた。しばらく沈黙の中オレと万条はただ歩いているだけであった。
話すことねぇ。一緒に帰るとこういったことが起きるんだよな。めんどくせぇ。これなら初めから一緒に帰らなくても変わらないだろ。
万条も話すことがないことに気付いたのか、
「話すことないね……」
「そうだな」
「でも、これもこれでいいよね!」
いい?これもいいものと感じることができるのか?何を言って――
万条は笑って言った。オレはその横顔を見た。夕日に照らされているからにしても目がとてもキラキラしていた。その瞳はオレには眩しく見えた。
―――そうか。
いまオレは谷元の言っていた万条が眩しいと言っていた意味が分かった気がした。
「どうしたの?ハッチー?」
「え?いや。一つ聞いていいか?」
「え?うん。いいよ」
「万条ってどうしていつもそんな笑ってるんだ?」
「簡単だよ!笑っていたら楽しくなるじゃん!」
笑いながら言った万条の顔にオレは少しの間、見惚れてしまった。オレが考えもしないようなことを簡単に言ってしまうのであった。本当に恐ろしい……。
春。それは出会いと別れの季節と言われている。オレにとっては万条と立花に出会い、怠惰との別れといった季節になってしまいそうである。しかしオレは怠惰を手放すつもりはない。道楽部に入部させられて正直、面倒なことになり、閉口している。万条という奴は思った通り元気な奴で、いや思った以上に元気な奴でオレとは正反対であるように感じられた。厄介な部活に入れられたものだ。これからオレの怠惰はどうなってしまうのだろうか。
この部活に入れられたことで部活といものが非日常から日常に変わってしまうのではないか?オレはマンネリズムにも陥っていないし非日常を求めた覚えはないのに。
そう。非日常とうものは日常にすぐに変化してしまう可変性の高いものだ。だからそんなものを求めても仕方がない。オレは日々の変化をもう見つけられなくなるのであろうか。これは怠けることを怠けていた者への怠けの神からの天罰だろうか。どちらにせよ、罰であることには変わりないだろう。